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礼真琴の歌は人々の心を動かす『RRR × TAKA"R"AZUKA ~√Bheem~』


110周年のパネルと共におめでたさがある派手さ


今年初めての観劇は宝塚星組公演から始まった。
大晦日から元日にかけてRRRの映画も観て万全の体制で臨んだ。
その結果…

両方とも見直したい!!

知ってた。
千秋楽のライブ配信は自宅で見るし、映画は自宅だった為、映画館で観たいと思う。今でも公開している映画館様ありがとう。
2024年初めからトンデモない熱量に当てられた私はラーマの炎の如く筆を取った。
この熱が冷めず、水が差すかも知れないが…ビームとラーマのように手を組んで、水蒸気の如く爆発的パワーを生み出して、最後まで書けるように祈っていてください。

⚠️ネタバレありますので、未観劇、未視聴の方はここから下は気をつけてください!



映画は宝塚でどのように描くのだろうか、と頭の片隅に置きつつ、宝塚では映画との相違を楽しんで見ていましたので、かなり感想がブレると思います。

今回は映画と宝塚での神性の扱いによるスター性の違いを主に書いていきたいです。機会があれば他の事も書いてみます。
誓ってインド神話に詳しい者ではありませんので、ご容赦ください。ご指摘はください。インド神話学びたいです。(FGOのマスターを兼任している身としても)

映画を見た時…

ごめんなさいラーマ…かっこいい…!良い!神様化した!!これがインド映画…!!最高だな…!
やはり大義を背負って苦悩している男は色気があって刺さる…と己の癖を自覚するフェーズをひとしきり終え、冷静になり自分なりに噛み砕いてみた。
もちろんナートゥが一番有名な事は存じてましたが…個人的注目ポイントは「Komuran Bheemudo」でした!

ラーマの発した「彼の歌は人々を動かす(意訳)」

この言葉を聞いてだから宝塚では√Bheemなのだと心で理解した。
ここが√Raamaじゃないな。と。
おいおい知りましたがインド内でも、言語が違うんですね…でも伝わる歌の力=神性を借りてより強さが増して、人々が洪水のように押し寄せたのではないかなと。
その説得力をより感じるのはもちろん礼真琴しか体現出来ないと確信した。この気持ちは観に行っても揺らぎませんでしたね。最高でした。

やはり礼真琴の歌は人々の心を動かす

これに尽きます。

私の映画を見た際に、ラーマの昔から備わっていた神性があって、苦難を経て神様である「ラーマ」になって、引っ張られたビームもアクタルという仮の名前では無く、決意を歌い、満を辞して神様の「ビーム」として成った。とそう感じました。元々ゴーンド族って歌や祈りによって神秘的な力を借りていたのかなと想像。

一方宝塚では、ビームの幼少期が描かれていない事を逆手に、ゴーンド族の守護神必ず守ってくれる神様としてすでにいる。羊飼い『ビーム』だったなと。その分マッリを救えない訳がない。というプレッシャーがより強かった気がするので、友情や愛に揺れてもブレてはいけないという芯があるのに、とっても人間らしく表情がコロコロ変わる事が人の良さが滲み出ててアンバランスさが際立ってました。あれは「アクタル」として本来の神性がないビームの本性だとしたら少し寂しい…
そう思えるのは、3点くらい
・「アクタル」と名乗っていないから「ビーム」の力で少年を救えて
・友人「ラーマ」からマッリ救出失敗の時の「アクタル」「ビーム」の揺れ
・ジェニーから「ビーム」じゃない「アクタル」よと言われたから笑顔で踊れたのかな
と考察に至った…でもとってもDosti期アクタルの表情可愛いから見てほしい。

からのラーマですが、幼少期の場面はありましたが、シータの側で護れが父の言いつけだったのでここで、類稀なる銃のセンス=神性の片鱗がないからまだ人のままなのだろうなと納得しました。
だから、高潔な魂の「ビーム」に触れたから「ラーマ」になれたのだろうと思います。

ともかく私は…

RRRは最高です!!!

で締め括らせていただこうと思います。
新しいインド映画に触れる機会をいただけた事に感謝!
また、別のインド映画に触れたいと思います。
でも今はまだ!!RRRに浸らせてください!
そして、星組が無事に大千穐楽まで終えられますように!!

こんな強いポスター写真なのに優しい美味しさの萩の月

耳にはナートゥを流し、ご飯はインド料理を求める🍛毎日をしばらく過ごしたいと思います。
でも頭にはベレー帽を被ってます。
ターバンの巻き方教えて有識者。

Dosti各位、幸せでハッピーな日々を過ごせますように!


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