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辞世を詠む|俳句修行日記

 新選組の土方歳三が豊玉の俳号を持っていたと知り、誇らしい気分になって、フフンと鼻歌。それを聞いた師匠が「こんなんもある」と、『動かねば闇にへだつや花と水』という句を、沖田総司の辞世だと言って引っ張り出してきた。
「辞世ですか」と言うと、「常に心に秘めおくのが俳人の心得ぞ」と師匠。

 芭蕉は『平生すなはち辞世なり』と述べ、全てが辞世だと宣言。つまり、今を限りに思うことこそが俳人の生き方なのだと。眼前の景色は、自らの身の置き場などではない。それは、自己から脱するための架け橋なのだ…

「俳句は一期一会。自分を脱ぎ捨てた場所に置かれた墓標じゃ。」

 気の向くままに俳句を詠んでいたボクは言葉を失い、机の前にボーゼン。終業時間になってようやく、「覚悟がなければダメということすか?」と聞いてみる。
「そじゃな…」
 師匠は悪戯っぽい笑みを浮かべて、「しかし、特別なもんは必要ない」と。

 師匠のたまう。「ひとは日々再生しておる。今日は昨日の続きなどではなく、実は、就寝によってリセットされとんのじゃ。つまり、眠りの中で形成された『新たな過去』を携えて目が覚める。そして、その『過去』につないでおまえは、今日一日を謳歌する。つまり、その日一日を生きること自体が『辞世』を刻むことに他ならない。ただ俳人は、それを明確に意識して言葉にするだけのこと。」
 何やらよく分からんが、おそろしや師匠、おそろしや俳句の世界…(修行はつづく)