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良い意味で、自分の周囲環境を疑うこと(休職日記)

 おはようございます。朝4時半にトイレに起きたら、外がめちゃくちゃまぶしくて。そのまま朝風呂入浴してリラックスしてます。


 今日は通院日なので、ここ数週間を振り返ってました。その中で気づいたことは「自分の周囲や環境を疑う」大切さ。


 疑うってネガティブなことに見えるけど、自分が成長するために必要だと私は思ったのです。


 ここ数週間、もっと言えば、私の休職もですが、目上の人たちへの失望がありました。


 彼らは歳を重ねるうちに、どこかで成長や思考がストップしてしまったように見えたのです。


 そうなる人と、ならない人の差は、挑戦を続けて保守的にならないかどうかじゃないかなと感じました。


 年齢を重ねたら、多くの人はだいたいのことをわかった気になると思います。でもそれは当たり前。ずっと同じフィールドにいるから。


 毎年同じことが繰り返されてたら見慣れた景色。若い人に、ドヤ顔して何か言ったりしちゃうんじゃないかな。

 自分も35歳になって、やっぱり20代の人の悩みに対して「それは難しい問題だね」と思うことは、減ったと思います。


 でもそういうように「自分が見てる世界がイージーに見えるのは、自分がすごいからじゃない。同じ環境にいるから」と疑えるか、ということです。


 これめちゃわかりやすい例で言うと、職場の困ったお局さんです。


 仕事はできるけど性格が悪い。指導された人が嫌な思いをして職場の雰囲気が悪くなる。


 なぜ起きる?お局さんに新しい仕事をさせないからでしょ。ずっとマジョリティ側にいさせるから。逆の立場の人の気持ちが、わからない。


 だからって転職が良いとか、そういう話ではありません。


 イージーに見えてるときこそ、自分の周囲環境を疑う。


 私は自分が失望した大人たちみたいにはなりたくないので、自分自身も年齢を重ねていくけど、自分の発する言葉を一層丁寧に、周囲に対して愛を持って話したいなと思います。

(※自分と土台が違う訳の分からん人たちに対してを除き)

 

 ちなみに、あなたの周囲にわけわからんことばかり言う人がいたら、その人の身の置き方も考えてみてください。

 あ、この人イージーモードだったんだな。そう思えたら「そうかそうか。どうりで浮世絵離れしたこととか、他人から見たら解せないことばかり言うわけだ。やれやれ」と思います。


 私、最近20代の人の悩みを聞くこと多いですが自分を責めてばかりの人は、「自分が悪いのかって思わなくていいよ」って言ってます。

 だって誰にもそんなことわかんないし。自分が全く悪くなくても、お前が悪いっていうように、見せる汚い人たちもたくさんいるよって言います。


 ジャッジをしないのは大切だし、自分以外の原因も冷静に分析できたら、自然と心が軽くなる気がします。

 あ、自分の都合の悪いことは見ない、というのは違うけどね。



 皆さん今日もニュートラルにいきましょうね。

 私は今日は、プランターに春菊の種をまくよー。

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