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夢だったブンデスリーガの世界へ。

こんにちは、noteでの初めての投稿になります、笹原丈です。

この度、2022年からブンデスリーガ1部に所属する1.FCケルンで働かせて頂くことになりました。

今回はどんな経緯でこの何者でもない自分がこのような大きなチャンスを掴むことになったのかを昨年の振り返りも込めて書かせて頂きます。


自己紹介​

自分のことを知らない方のためにまずは自己紹介させてください。

27歳、静岡県出身、ドイツ・ケルン在住、ドイツでの生活は今年で8年目になります。2021年の年末までドイツ企業で5年以上働かせて頂き、そのうち3年はエリアマネージャーとして勤務させて頂き様々な13カ国出身の61人の従業員と14店舗のマネージメント、そして最後の約半年間はデンマークでオープニングマネージャーとして6店舗の新しいお店をオープンさせて頂きました。

2021

毎年、年末になると今年は本当にクレイジーな1年だったなと毎年思います。特にここ2,3年は特にクレイジー度が毎年更新されていきますが昨年は本当に刺激的で色んなことが起き、たくさんのことを得られた1年になりました。なんと言っても6月に伝えられたデンマークへの半年間の長期出張。デンマークでは英語で仕事をさせてもらいました。

実はそれまでは英語がかなり弱くそれを克服しなければ夢であるブンデスリーガで働けるチャンスはないと思い(ブンデスリーガではドイツ語が話せない外国人選手が多く英語も多く使われるため)たまたまSNSで以前、Jリーグで通訳として仕事をして今はアスリートなどに向けた英語の個人レッスンをされている方を見つけ連絡させて頂きそこで自己投資させて頂きました。

5月にレッスンを始め1ヶ月ほど経った時に社長からデンマークへの半年間の長期出張を伝えられた時、自分の英語のスキルはまだまだ低かったですが2014年にドイツ語が0の状態でドイツに来た時のことを思ったらやれる自信しかなかったので"やらせてください"と伝え、その数日後には車で約10時間ほどかけてデンマークの首都コペンハーゲンに向かっていました。

実はこの時、年末には5年間お世話になったこの会社を辞めようと決意していました。そして辞める時には1番いい状態でまだまだ勢いのある状態でやめたいと思っていたためこれはちょうどいいチャンスかもなと密かに思っていました。

前の会社は大好きでしたし仕事もやりがいがあり人間関係にも本当に恵まれていました。自分が5年前に入社した時はまだ100店舗もなかった小さな会社が今は約1000店舗ドイツ中に展開しドイツだけではなく前述したデンマークや他のヨーロッパの国々にも展開していき本当に周りから注目される程、短い期間で爆発的に大きくなった会社で働かせて頂き刺激的な毎日をこの5年間送らせて頂きました。この5年間で本当に素晴らしい人達に出会えて本当に何も出来なかった5年前の自分をブンデスリーガで働けるまでに育てて頂きました。こんなに短期間で周りが驚くほど成長した会社で働かせて頂くと普通では経験できないような特別な経験ばかりをさせて頂けて高卒で何の実力もない27歳の若者に考えられないような責任のある仕事もたくさん任させて頂きました。東京オリンピックは残念ながらコロナの影響で予定通りには開催されませんでしたがコロナさえなければ2020年に東京オリンピックで働かせて頂ける機会も頂いたりしていました。​

そんな素晴らしい会社で本当に良い条件でいい環境で働かせて頂いていたのになぜ6月頃に年末にはこの仕事を辞めようと思ったのか?

それは少しずつ自分に"本当にこの心地の良い環境のままで良いのか"と自問自答する時間と回数が増えてきたのがこの決断をする経緯に至ったと思います。この会社に残れば安定した生活といい給料、新車のアウディの車も出して頂いてました。だけど心のどこかで、誰も守ってはくれないような自分自身でしかなんとか出来ないようなところにあえて身を置いてまた1からチャレンジしたいという思いがどんどん大くなっていっていました。

そんな中、自分の友人を通して今働いてる会社に比べたら格段と小さいけれどこれから大きくしていきたいという会社のオーナーに出会いこの会社を任せたいというお話を頂きました。

おそらく1番初めに直接話させて頂けたのが6月頃でそこから何度かお会いさせて頂いていつも丁寧に状況を説明して頂いていました。本当はすぐにでも来て欲しいと言って頂いていましたが自分のわがままで今の会社の仕事をきちんと終わらせて気持ちよく今の会社を辞めさせて頂きたいと言い苦しい状況の中、年末まで待って頂くことになっていました。

自分の人生を変えた社長からの電話と覚悟

デンマークでの長期出張も終わりに差し掛かっていた12月の初めに事は起きます。当時の会社の社長から電話がきて急に"1.FCケルンで働きたいか?"と聞いてきたのです。最初は状況が理解でしませんでした。"FCケルンがフロントで働く日本人を探している、お前にぴったりだ"と話を続けて、それを黙って聞いていると全身がゾワゾワするような不思議な感覚に自分の身体が襲われていたこの体験をこれから忘れることはないと思います。そして前の会社がFCケルンとパートナー提携をしていたこともあり何度かFCケルンのスタジアムの中で働かせて頂いたり社長にFCケルンのパーティーに連れて行ってもらっていたこともありFCケルンのお偉いさんの1人が自分のことを覚えていてくれているとのことでした。

そして電話を切る頃には"是非やりたいです!"と声を張って言っていました。

ただ、正直その後はどうしていいか分からなかった。約半年間自分のわがままを聞いて待ってくれているオーナーがいる。社長も電話でただ問題はFCケルンが求めているのは学歴のある人材だから入れるかはわからない言われていました。何と言ってもFCケルンのようなブンデスリーガで働いている人間はみんなエリートで自分のような高卒の外国人が普通に入れるような場所ではない事は容易に理解できると思います。それでもやっぱりずっと夢だったブンデスリーガでましてや自分が大好きなFCケルンで働けるチャンスがあると思うだけで鳥肌が立ちました。

高卒の自分が採用してもらえるチャンスは少ないとわかってはいたが挑戦することにしました。長い間待ってくれていたオーナーには今の状況を正直に話そうと決めて、もしこれがダメだったらよろしくお願いしますなんてことは言いたくなかったので覚悟を持っていました。短いようで長かったデンマークでの半年間も終わりドイツに帰ってからそのオーナーにすぐに会いに行きました。そして、本当にそれがやりたいことだからそれに挑戦したいですと正直に話して、長い間待って頂いたのに申し訳ないですと謝罪しました。その時その人から出てきた言葉はなんとこんな言葉でした。"その申し訳ないという言葉に正直ピンとこない、あなたはまだ若いんだから本当にやりたいことをやらなきゃダメだよ。"

1.FCケルンに就職が決まるまでの怒涛の3週間

そこからFCケルンに入るまでの数週間が始まりました。今までの人生で初めてまともに作る履歴書。自分のブンデスリーガへと1.FCケルンへの熱い思いを込めて書いた文章も添えて送りました。数日後、1次面接の案内のメールを頂き、オンラインでの面接で初めてのFCケルンの方々と交わす会話。自分でもびっくりするくらい緊張して身体が震えてました。緊張しながらも自分の思いを伝えて、そこでそのポジションを勝ち取るまでに3次面接まであることをそこで伝えられました。1.FCケルンにとっても重要なポジションになると言っていましたし前述した通りエリート達が働く職場だから無理はないです。その後日、2次面接の案内のメールが届き、2次面接はFCケルンの練習場があるGeißbockheimのクラブハウスで行われました。選手とクラブ関係者しか停められない駐車場に車を停めてクラブハウスに向かうと普段テレビやSNSで見る選手達が練習の準備をしていました。大きいクラブハウスの中にあるオフィスに入り待合室のようなところで待っているとバウムガルト監督が12月だというのに相変わらず半袖でいるのが見えました。しかも自分に挨拶までしてくれ感激していました。2次面接は1次面接に加えて2人の大御所の方がいましたが案外1次面接よりも平常心でいられました。ですがその2人からの1時間以上に渡る質問攻撃。ある程度準備はしてきたつもりでしたが予想もしていなかった質問も何度か浴びせられ、たまにつまずいた部分もありましたがまあまあな手応えはありました。面接中は集中していて気づかなかったですが窓のすぐ反対側ではプロの選手達が練習していました。面接を終えクラブハウスを後にする時、絶対にここで働きたいという思いがさらに強くなっていました。その次の日、3次面接の案内がメールで届き最終面接の内容はオンラインでパワーポイントを使ってのプレゼンテーションでした。このプレゼンテーションで自分の人生が決まる。その日までにちょうど1週間あったためそのことだけに全力を注ぎました。ここで本当に思い知らされたのが自分は1人じゃないということ。本当にいろんな人が助けてくれました。資料を作り終わってからもいろんな人にお願いして練習でプレゼンさせてもらいその度に修正しては練習しての繰り返し。全ての時間をこの最終面接のことだけに使いました。ここで聞かれるかもしれない質問も色んな場面を想定して質問リストを作り解答も全て書き込み本番に万全な状態で臨みました。そして最終面接当日、目を瞑ってでもプレゼンできるまでになっていたため全く緊張はありませんでした。我ながら堂々と出来ていたと思います。面接が終わった時はここまでやったんだから後はどんな結果が出ても悔いはないと思ってました。ここで抜群の準備をして本番を迎えれば緊張に押し潰されずにもはや緊張を楽しめるということをさらに学んだ経験になりました。

合格の通知

その最終面接の日の夕方、FCケルンの人事部の人から電話があり、是非一緒に働きたいという言葉を頂きました。本当は大声で叫びたい程嬉しかったですが何故か思いのほかありがとうございますとしか言葉が出てこず、電話を切った瞬間我に帰って声を出して車の中でガッツポーズをしてました。そしてプレゼンの手伝いをしてくれた全ての人や普段お世話になっている人達に合格の報告と感謝の気持ちを伝えました。みんな自分のことのように喜んでくれて本当にすごいことだよと声をかけてくれました。ただ、本当に自分の中ですごいのはたくさんの助けてくれる人がいたこと。この縁を繋げてくれた社長や、長い間待っていてくれたのに自分が最終的には違う選択をしても背中を押してくれたオーナー、前の会社の上司や同僚、手伝ってくれた友達や本当に心から喜んでくれた両親。この人達なしで勝ち取れるものではありませんでした。

スタートライン

ただ、本当のスタートはここからです。ブンデスリーガで働くという夢は確かに叶いましたがそれはあくまで過去の夢。人生で想像もつかないようなところに辿り着くには常に自分の夢を更新していかなければいけない。自分が夢に近づいてきて夢の目の前まで来たらまた夢を自分から遠いところに設置する。そうして理想の自分は自分の前を走り続けてその理想の自分を後ろから追いかけるリレーは一生続きます。ここからは厳しいスポーツの世界でのチャレンジ。スポーツの世界では結果だけが求められます。今までのように会社がどんどん大きくなってってその波に乗っていれば何とかなるような甘いものではないですし大きな波を自分で起こさないといけません。

1.FCケルン

これから自分が働かせていただく1.FCケルンを少しだけ紹介させてください。

1963年にブンデスリーガは創設されましたが1.FCケルンはなんと初代ブンデスリーガ王者です。

日本との関係もとても良好で何と言っても日本人でヨーロッパで初めてプロサッカー選手として活躍されたレジェンド、奥寺康彦さんが初めて海外でプレーしたチームが1.FCケルンでした。逆に言えばケルンはヨーロッパで初めて日本人をプロ選手として獲得したクラブです。1977/1978シーズン、奥寺さんの活躍でケルンはブンデスリーガ とカップ戦の2冠を達成します。

その後も槙野智章選手や長澤和輝選手、大迫勇也選手が活躍されていたのを覚えていられる方も多い方と思います。

あとあのルーカス・ポドルスキが育ったクラブで彼は今でも常にケルンへの愛をSNS場で見せてくれています。


1.FCケルンでの仕事内容

ここまで読んでくれた方で疑問に思った方も多いかと思います。

1.FCケルンでどんな仕事をするのか。

FCケルンはこれから日本のマーケットをターゲットとして日本でこの素晴らしい歴史あるフットボールクラブを有名にし、日本から1番近いブンデスリーガのチームを目指します。(これは自分が掲げた目標)

そのためにたくさんの日本のファンを獲得する活動やスポンサー獲得などが自分の主な仕事になり日本人選手がまた近い将来、FCケルンでプレーすることになれば自分がその選手を全力でサポートさせて頂きます。

今回はすでに長くなってしまっているので詳しい活動内容や活動報告などをこれからこのnoteで投稿させて頂きます。

ちなみに化石化されていたTwitterでもこれからケルンのことを中心につぶやいていこうと思いますのでフォローよろしくお願いします。

Twitter: @csasa1414

Instagramm: jo.1414


これからブンデスリーガでの、1.FCケルンでのJo Sasaharaの旅が始まります。これからJo Sasaharaと1.FCケルンの日本への活動に期待していてください。

最初の投稿でまとまりがなく長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

Jo





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