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使う言葉の端々にその人の価値観が現れる

とある日の昼ころ。

50代だけど、これから頑張ろうと思いました。


YouTubeを見ているときに、ふとこんなコメントが目に入ってきました。
なんてことはない、本の要約を解説しているチャンネルの動画です。

このコメントは、特に文法的に間違っているわけでも、チャンネルの趣旨に合わない変なことを言っているわけでもありません。


この人は深い意味もなく、「動画を見て自分も頑張ろうと思った。勇気をもらった」ことを伝えたかったのでしょう。

しかし、僕はわずかに違和感を覚えました。

50代だ「けど」っていう言葉を使っているってことは、
この人の中では50代は普通は頑張らない年代なのかなぁ〜

と感じたのです。

別にこの人の価値観を否定する気はありませんし、
そういう人もいるでしょう。

そりゃそうだ。
自分と違う考えの人なんかいて当たり前だ。


僕は、決して言葉の使い方に関する揚げ足取りをしたいわけでも、


言葉の細かいところまで気をつけてイチイチ発言しなきゃダメ!!
と言いたいわけでもありません。


そんなの窮屈すぎるじゃないですか。
イチイチ気を張っていたらノイローゼになってしまうかもしれません。

そうじゃない。

ここで僕が伝えたいのは、ささいな言葉の使い方にその人の根底にある価値観や想い、考え方が現れるんじゃないか、ということです。

言霊、という言葉がありますが、その人が使っている言葉は人の性格の一部を形成すると言われています。


普段どのような言葉を使い、どのくらい大切に言葉を使っているかは、自分を理解する上で重要な要素の一つだと思うのです。


話す言葉にはもちろんそうですが、書く言葉に対しても。

逆に言えば、自分の言葉遣い一つで考え方や現状も変わりうるということ。


言葉が変わる = 伝え方が変われば、それを受け取る人に与える印象も変わりますよね。


言葉の端々に現れる思いやり


例えば、僕はこうやって物書きをするかたわら、エンジニアとしてクライアントさんからもらった案件をこなすこともあります。


会社に所属しているわけではないので、基本的にオンラインでやり取りをする関係上、連絡事項のほとんどはテキスト(=書くことば)で伝えることになります。


その際、言葉に気を付けている人と、そうでもない人ではかかるコミュニケーションのコストや自分が受けるストレスが全然違うんですよね。

言葉に気を付けている人のテキストからは

何を伝えたいのか。
伝えるために必要な情報は何か。
誤解を与えかねない表現は使っていないか。
それをわかりやすく伝えるにはどういう言葉を足したほうがいいか。

こういったことがビシバシと伝わってきます。
言葉の端々に工夫と思いやりを感じ取ることができるんですね。

だから、どういうレスポンスをいつまでに返せばいいのかも明確ですし、
相手の発言の意図がわからず、余計な聞き返しをすることもありません。

仕事もスムーズに進むので、自然と相手の印象も良くなります。
そうなると、ふとオンライン会議をしたりオフラインでお会いする際にも、


「いつも分かりやすくて助かってます〜」

なんてコミュニケーションが生まれたりする。
すごく素敵な関係だと僕は思います。



だからこそ、できるだけ自分が使う言葉には注意を払ったほうがいいんじゃないかと思いますし、僕自身もそうしています。


文章の意味はわかりつつも感じる違和感


他にも違和感を感じる場合があります。
こちらは実際に見てもらったほうがいいかもしれません。

例えば、下の2つの文章を見てどういう印象を持つでしょうか?

・最近Noteやってるから、君もNoteを始めてくれたから、嬉しい
・私はNoteを続けてますが、その理由ですが、楽しいからです。

文章としては成り立っています。
伝わるか伝わらないかで言えば、伝わります。

ですが、何か些細な部分に違和感を感じないでしょうか?

僕の感覚ではなんだか喉の奥に魚の骨が詰まったような奇妙な
イガイガを感じます。


テンポが悪いというか、「なんか嫌だな」という感覚が抜けないのです。

その原因は「〜から」「〜が」という同じ助詞が続いているからです。


こういう文章は普段のテキストでのコミュニケーションはもちろん、
XやInstagram、YouTubeのコメントなど、書き言葉を使ったさまざまな場所でよく見受けられます。

「〜とか、ーとか、」「〜たり、ーたり」という反復を前提とした助詞を使う場合は、文内の役割に沿ったものなので違和感は感じません。


ですが、そうではないものや複数の意味のあるものは、受け手の理解を阻害したり、文章に複数通りの解釈の可能性を与えることになったりします。

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(あえて「〜たり」を使ってみました。先ほどの文章と比べて違和感の程度はどうだったでしょうか?)

こう言った助詞による文章の誤解や間違った解釈がきっかけで、SNSのコメント欄やリプ欄が荒れることがあります。


そんな時、元のコメントを覗いてみると、「そりゃ〜誤解されるわな」っていう文章になっていたりというのはよくあるケースです。

それくらいならまだいいですが、仕事の場合は些細な伝達ミスや誤解が重大なトラブルになる可能性もあります。

この意味でもやはり言葉の端々には気を使いたいなぁ〜と僕は思います。


「考えすぎ」と言われることがあっても、そのほうが自分の中で納得できるし気分もいいのです。

まずは意識し始めること

もちろん、言葉の細かいところを指摘していたらキリがありません。
時間も足りなくなるでしょう。

だけど、少しでも使い方を意識してみることはできます。

短期間では特に変わった変化はなくても、3年、5年、10年経つと長い目で見て何か自分の考え方や価値観に変化があるはずです。


言葉にはそれくらい力がある、と僕は信じています。

この記事を読んで少しでも面白いなと思ってくださった方は、
ぜひ小さいところから言葉の使い方を見直してみてはいかがでしょうか?


最後に


こんな考察丸出しの文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。


今回の内容はあくまで僕の一意見です。

きっと「そんなことない。別に違和感は感じないし、おかしくないと思う。」という人もいるでしょう。

なので、参考程度に読んでいただければと思います。
そしてふとした時に、そういえばこんなこと言ってる奴もいたなぁ・・・

なんてことを思ってもらえたらそれで十分です。


それでは今回はこの辺で。
最後までありがとうございました。

皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。