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曖昧さを楽しむ人が生き残る「起業」という世界。

主語を大きくした批判は、この多様性の時代では受け入れられない。


「男だから」「女だから」といった性別的なものはもちろん、
「繊細さんだから」「中卒・高卒だから」のような、属性や肩書き。
「ベジタリアン」「ミニマリスト」のような価値観の話まで。


一言で、そこに含まれる人をまるっと判断してしまうような。
そんな乱暴な言葉の使い方は到底、認められるべきではない。


世の中には、自分が思うよりさまざまな人がいるのだから。
少しずつかも知れないけれど、お互いがお互いを許せるようになればいい。


日々生きていてそんなことを思う。


悩みの規模が大きすぎないか?


一方で、僕たち個人で生きる人の話をしたい。


僕たちが何か悩みを抱えている時。


中でもとりわけ、「自分らしさ」やその実現手段としての「起業」「独立」に関する悩みを抱えている時。


ついつい大きな規模で物事を考えてしまう。

「起業したいのだけれど、うまくいくのか不安」
「話すのが苦手なのに、営業できるかなぁ?」
「発信活動はどのSNSから始めればいいんだろう?」

こういった規模の大きい悩みは、当然一言では解決できるものではない。
それにはあまりにも規模が大きい = 抽象的すぎる。

「自分中卒なんですけど、就職どうすればいいですかぁ?」

と聞いているようなものだ。
多くの人は「知らんがな!!」となるだろう。

親切な人は、「詳しく教えて」と話を引き出してくれるかも知れないが。



さらにいうなら、「自分らしさ」や「起業・独立」系の悩みの多くはその人の状況や背景、目指すものによって答えが分かれてくる。


だからこそ、人に答えを求めても「なんともいえないね」とモヤモヤする答えが返ってくるし、自分では解決のしようがなくて、「簡単!誰でも!すぐに!」を謳うノウハウに釣られてしまったりもする。


あなたがみているのは幽霊?枯れすすき?


本当に求めるべきは解決方法ではない。
人に答えを求めるのには、まだ早すぎる。


その前に、自分が悩んでいる事柄について、

具体的に何が悩みなのか。
どんな状況で、その悩みを強く感じるか。
悩みの原因はいくつあるのか?

などなど。

細かく悩みを分解して、「悩みの規模」を下げていく必要があるのだ。


江戸時代の有名の俳句に

幽霊の正体見たり枯れ尾花

俳人、横井也有(やゆう)さんの詠んだ俳句らしい!

とあるけれど、悩みの規模を下げることで、「自分の本当の悩みは案外小さなことだった」と気づくことになるかも知れない。


見えないものは総じて怖い。幽霊も見えないからこそ怖がられる。
それでもなんとか正体を捉えようと、広く「アタリ」をとる。


結果、悩まなくていいところに悩んだり、批判する必要のないところを批判してしまったりする。不必要に人を批判に巻き込んだりもする。


曖昧さを楽しんで生きる


もっと曖昧さを楽しめばいいのにな、と思う。


曖昧だからこそ、いろんな解釈が生まれる。いろんな人が出てくる。
(幽霊だっていろんな種類があって、個性があるかも知れない。)


多様な解釈が許されて、見方が増えれば、悩みへのアプローチも自然と変わるはずだ。本当に悩むべきことに悩めばいい。


社会全体ではこの考え方はまだ受け入れられなさそうだけど、
唯一。曖昧さの許容度が高いのが「起業・独立」という世界だ。


良くも悪くも自由なこの世界では、曖昧ささえも楽しめた方が、自分の望む生き方を作りやすい。悩みさえも曖昧さの中に溶かして、ゆっくりじっくりと向き合っていけばいいのだ。


そのぐらいのスタンスで生きる人が、もっと増えたらいいな、と思う。

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