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【最強の遊び方】「好き」を突き詰めて無条件に楽しむ。

小さい頃はどうやって遊んでいただろう?

親や親戚に与えられたおもちゃや公園にある遊具といった限りある物資を使って、あるいは自分の体一つでさまざまなものに触れ、あれこれこねくり回しながら、「遊ぶ」という瞬間をただひたすらに楽しんでいたのでは無いだろうか?


いい意味で余計なことを何も考えないで自分なりの「こだわり」を胸の内に秘めながら遊ぶことができていた。

それが幼稚園児だったり、小学生だったり、あるいはその少し前の段階だったりの遊び方では無いかと思う。


自分で楽しみを見つけていた頃


他ならぬ僕自身もそうだった。


公園に行けばブランコをただひたすらに漕いで、「座っている時と立っている時どちらの方がスピードが速くなるだろうか?」なんてことをただひたすらに研究していたし、

どうしたらブランコに乗りながら靴を遠くまで飛ばせるかを友達と競ってはしゃぎあっていた。時々失敗して、盛大にひざこぞうから血を流した(笑)


洋服を汚して親に怒られたものだ。


家に帰っても「こだわり」の遊び方は変わらなかった。


幼稚園に通う前には、窓際の床に買ってもらった車のミニチュアを綺麗に整列させることにこだわりを持ち、おもちゃ箱から取り出しては並べ、並べ終えては箱に戻しということを日々繰り返していた。


あまり覚えてはいないけれど、自分の中で何かしらこだわりや成し遂げたいことがあったのだろう。

今でも当時のこだわりは謎に包まれている笑


他にも、親にねだって買ってもらったポケモンパンのシールを集めて、お気に入りのフォルダにコレクトしていた。レアポケモンのシールが3枚集まった時は叫び声を上げて喜んでいた。


ポケモンカードやデュエル・マスターズのカードを集めてはランダムでデッキをいくつか作って勝手に単独トーナメントを開いて「どの属性が一番強いのか?」なんてことを何度も検証していた。


(同じ経験がある人もいるんじゃ無いかな?)


今同じことをやっていたら確実に「飽きるな」と思うようなことも、当時の僕は心から楽しんでやっていたように思う。


そう。小さい頃は自分の「好き」や「こだわり」に従うことが何の躊躇もなくできていた。自分が生きている環境で得られる限りあるものを駆使しながらどうにかして「楽しみ」を産もうと試行錯誤していたのだ。


わざわざコストをかけなくてもよかった。
誰かの「オススメ」を聞かなくても、自分で楽しみを見つけ、幸せな時間を作ることができていた。


けれど年月が経ち、歳を重ねるうちに、良くも悪くも自分が手に入れられるもの・受け取れる情報が増えてきた。


その結果、自分の「こだわり」を持って楽しむことよりも、メディアによって半分誘導された情報や、誰でも楽しめるように用意された娯楽に飛び込むことが増えてきてしまったように思える。


条件付きの楽しみより条件のない楽しみを


もちろん、お金や時間といったコストをかければ「誰でも」「簡単に」「一定の楽しみ」は得られる。


入館料を払ってみるイルカショーはやっぱり楽しいし、旅行先でお金を払って食べるご当地グルメは強く思い出に残るだろう。数千円払ってゲームを手に入れれば、何十時間、何百時間の楽しみを得ることも難しくない。


楽しみ方の一つとしてそれは否定しない。
けれど、それは自分の外にあるものを「対価」として捧げることで手に入れられる楽しみでしかない。


対価がなくなれば、つまり自分が自由にできる時間やお金がなくなってしまえば、楽しみはもはや得ることができなくなってしまう。

コストを支払うことで得られる楽しみはいわば「条件付き」の楽しみ方だということができる。

けれど、冒頭でも述べた通り僕たちはコストをかけないでも楽しむことができたはずだ。与えられたものではなく、自分で楽しみを作ることができたはずだ。


鍵となるのは自分の「こだわり」を持つこと。誰に強制されるのでもない。誰と比べるものでもない。「自分は〇〇をするのが楽しい」と思うことを突き詰めてみる。


他の人から見たらどうでもいい、と思うようなことでも自分の感性に従って追い求めてみる。そこに自分のこだわりが生まれ、独自の楽しみ方が生まれる。


自分流の楽しみ方ができれば、もう簡単だ。
もはや楽しみは条件付きのものではなくなる。


たとえどんな場所に行ったとしても、お金をいたずらに使わなくても楽しむことができるので、幸せのハードルが下がり、相対的に人生の幸福度が上がっていく。「自分なりの人生」ができていくのだ。


そのほうが楽しいんじゃ無いかな。
大人になったとしても「自分なりの楽しさ」を見つけようとしてもいい。

たしかに、年月を経て経験を積んだ自分と、子供の自分とでは楽しさを感じる対象や、楽しさの感じ方は違うだろうけれど、自分なりの「こだわり」を追求したいという根本の欲求はいつになっても変わらないものなんじゃないかと思うのだ。


タツミのこだわりの楽しみ方


最後に僕が今持っている「こだわりの楽しみかた」を2つ紹介してこの記事を終わろうと思う。


1つ目が、知らない土地を散歩しつつ、感覚的にビビッときたものを経験すること。


「何となく」の直感の力を僕は信じているので、直感に従った結果自分が出会うものは何かしらの意味があると思っている。


だから、ビビッときたこと、もの、人、環境には遠慮なく近づいて何かしらの気づきを得ようとする。そこに強い楽しみを感じる。


2つ目は意図を持って写真を撮ること。
これは最近気づいた自分の「こだわり」の楽しみ方。


観光に行った際でも日常でも、気になったものをただ写真に撮ることなら誰でもできる。今はスマホのカメラの性能も上がってきているからそれなりの写真なら誰でも撮ることができる。


これだとイマイチ楽しくないし、何だか限定的。


だから、何か写真を撮るときに自分なりに意図を込めて撮ろうと考えるようになった。


たとえば、海岸線を人の目の高さから見るのは普通すぎるから、あえて地面ぎりぎりの、虫の目線の高さで撮ってみようとか。


あえて前方の物体にピントを合わせて後ろの風景をぼかすことで
何かのモチーフやシンボル的に表現できないか試してみよう!!

とか。

壱岐 郷ノ浦港より

こんな風にその時の自分の思考があるからこそ取れる写真を撮って、後から意味づけをして楽しむということをやっている。


その方が自然と写真を見返すようになったし、
自分の中で行動に納得感が生まれるから、やっぱり楽しいのだ。


今僕は長崎の壱岐に旅行に来ている。
このNoteはお昼を食べようと入ったコワーキングで執筆しているものだ。


コワーキングに入る前に訪れた弁天崎公園という場所では、地元の幼稚園生が追いかけっこをしたり、カタツムリを見つけてはしゃいでいたりと、各々が笑顔を振りまいて全力ではしゃいでいた。


その姿を見てほっこりしつつも、「こんなふうに遊べる自分でありたいな」と感じ、本記事の執筆に至っている。


このNoteを読んでくださったかたが、少しでも自分の「楽しみ」について考えるきっかけになってくれたら、それほど嬉しいことはない。

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