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台本に依存するのではなく。台本を利用して、自分色のコンテンツを作る。

2023年、M-1を初めて最初からガッツリみました。
そして、思ったんです。


芸人さんたちって、どこまで台本に忠実にやっているのだろう?
台本作りが、実際どのくらい役に立っているのだろう??


ということに。


そんな「台本」にまつわる話。
今回は、「コンテンツ作りで台本を作ること」について話していきます。


コンテンツを作る途中で、大きく道筋を外れないために台本を作るのは、多くの人がやっていることで、実際効果もあります。

特に、コンテンツ作りを始めたばかりの人や、書く・話すことがあんまり得意じゃないよ〜〜という人にとっては大きな味方です。

こんなこと書いてる僕も、話すのがそこまで得意ではないので、台本にもかなりお世話になりました。(もちろん今も・・・!!)

一方で、台本を作ることで縮こまった発言になってしまったり、型にハマった表現しか使えなくなったり、アドリブで書く・話すができなくなるということもあり得ます。


それはもったいない。すごくもったいない。
それだとあなたの価値が十分に伝わりません。


ただコンテンツを作ることが目的ならそれでもいいです。


自分の頭の中で考えたことを、じっくり練って台本という形で昇華して、丁寧にアウトプットする。特に誰にも見せることなく、ただただ、自分の思考を整理してしまっておきたい。


自分の世界で考えていることを簡潔させるのであれば、「台本」というのは、かなり役立つ情報収納グッズになります。


ですがもし、そうでないとしたら。
長い目で見たときにすごくもったいないです。


これを読んでいる人は、「自分らしく生きたい」と思っている人や、すでに個人で活動や情報発信を始めている人がほとんどだと思います。


そういう人がコンテンツを作る目的の多くは、自分や自分の価値観を知ってもらったり、自分のサービスに興味を持ってもらったりするという一面が大きいでしょう。


もちろん、ちょっとした日常のつぶやきをしたり、日記風に使っている人もいるでしょうが、共感してほしい、見て欲しいという思いは少なからずあるはず。


何が言いたいかというと、「作る」ことがゴールではないということです。
「作る」は、あくまであなたの目的を叶える手段でしかない。



「作る」ことを通して、自分の内なる世界と相手のうちなる世界を繋げる。
そうして求めている人にさまざまな形で価値を提供する。


それがあなたの目的・ゴールのはずです。


そして、コンテンツを作る先でこそ、台本を作ることからは出てこない「あなたらしい表現」だったり、その場その時のコミュニケーションがより求められることが多いんですよね。

例えば、僕がやっているライフコーチだとしたら、お客さんと出会った先にある対話こそが、価値を生む場所です。


当然、その場に台本なんかはなくて。
その瞬間瞬間で自分の言葉を紡いでいくことになります。


もし僕が、台本に頼りきりになって「対面だと話せない!!」となっていたら、サービス自体が破綻してしまいますし、せっかく自分を選んでくださった方にも申し訳ないじゃないですか。

僕たちが価値あるものを届けるのに努力をしているように、価値を受け取る側もそれに応じた努力をしたり、選択の重みを味わっています。

その人たちの想いに応えるためには何ができるか。
その人たちを後悔させないためには何ができるか。

これを考えることが大切で、そのためにはやはり、「自分の言葉」を磨いていくことが必須条件になってきます。


なので僕の場合は、情報発信でコンテンツを作る際も、台本を作ることだけでなく、台本外の言葉や、作る中で突然思いついた言葉・表現には最大限気を払っていることが多いです。


「自分ってこんなこと考えてたんだな!」と気付いたり、
「前とは考え方が変わってるな・・・」と気付いたり、
「こんな表現もできたんだ!」と驚いたり。

いろんな発見があります。
どれも、台本を作って発信すること「だけ」をやっていたら手に入らなかったものです。

これはライフコーチの仕事じゃなくても同じで、何らかの形で「自分の言葉」「自分らしい選択」が必要になる瞬間はあるはずです。


そのときのために、台本がなくとも自分の思っていることを「書く」や「話す」という形で表現できるようにすること、そう表現できる自分で「ある」ことを意識してみる。


それだけで、台本に頼り切りになるのではなく、使ったり使わなかったり、台本を「うまく利用する」ことが、徐々にできるようになるはずです。


僕も最初は、「台本を100%全力で作る!!」ということしか頭にありませんでした。


ですが、色々試していく中で、台本の割合を調整しながらコンテンツを生み出せるようにもなりましたし、YouTubeでもラジオでも、ある程度アドリブで、「自分の言葉で」話すことができるようにもなりました。


やっぱそっちの方が楽しいし、自然と「続けよう!」ってなるんです。
台本外の自分の言葉も楽しむ。


それがいいんじゃないでしょうか。


テレビやニュースを見ていると、勉強熱心な俳優さんや女優さんほど、台本を文字でびっしり汚しているという話をよく聞きます。


これは、必ずしも台本通りに演じるのではなくて、自分で役を解釈して、セリフの言い回しや内容を想像したり、ときにアドリブを入れたりするための最大限の準備なのだと思います。


「台本」というベース = 最低限の足場はとことん作る。
その上で、台本外に出ることを恐れない。


いざというときになってもベースに帰ってくればいいから。


「表現をする」ことに携わっている身としては、このくらいの度胸・胆力で台本を利用し、コンテンツに向き合っていきたいものです。




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