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「理想を追い求めることは幻想なんじゃないの?」モヤモヤから考える。

こんにちはタツミです。

僕は普段から、物事や人をいろんな視点から捉えて、そこにどんな意図があるのか、どんな解釈の可能性があるのか、見方を変えるとどうなるのか?

といったことに注目して思考を巡らせています。

それ自体楽しいし、そうある自分自身が基本的には好きではあるのですが。

可能性に目を向ければ向けるほど、理想を目指していろんな選択肢を見つけてニマニマすればするほど、嫌ほど現実が見えてきて。

「理想を追い求めることは幻想なんじゃないの?」
って声が僕の頭の中に浮かぶことが時々あります。

昨日もちょうどそんな夜でした。
蒸し蒸ししている気温の高い夜だったからですかね?
なんかモヤモヤして全然寝付けなかったんです。


今日になってもそのモヤモヤが消えないので、
理想について、少し文章にして考えてみたいと思います。


僕は性格的に、考え方の傾向的に、理想主義なところはあります。


元々持っているHSS型HSPという少し繊細な気質と、生きていく中で自分を守っていくために身につけた内的思考によって、どうしたらもっと楽しく生きられるかな?幸せを感じられるかな?


なんてことを妄想したり、書き出してみたり、表現してみたりということを楽しんでいる。そんな人なんです。

人の体験談を聞くことや、小説なんかを読むのが好きだったのも影響しているのかもしれませんね。

おかげで、人よりも高い理想を持ったり、現実離れしたことを思いついたりしてしまうことも少なくありません。その理想を叶えようと行動を起こすかはまた別として。


じゃあ、理想を唱えるだけで行動しないからと言って、その思考を捨てれば、無くせばいいかというと、そんなことはないと思っていて。

むしろ、いかに理想を現実に落とし込む手段を見つけるかとか、可能性を少しでも上げるためにどう環境を作っていくとか。


そういう手腕の方が問われているんじゃないでしょうか。完全に理想を実現することはできなくても、理想に近い状況を作り上げることは可能です。

例えば、働かずにずーっとゲームをして生きていきたいという理想があったとするじゃないですか。


真っ先に思いつくのはプロゲーマーという生き方ですが、自分の状況を振り返って、現実的じゃないし、ゲームを仕事にしたいわけじゃないから却下。


ただ、プロゲーマーにならなくても、例えばフリーランスになって労働集約型の働き方から少しずつ外れたビジネスを構築し、自由に使える時間を増やす。という手段もあります。


こうなれば、「全く働かないで」は無理にしても、ゲームをする時間を最大限高められたりする。理想に近い状態にできるんです。


今の例はかなりガバガバですが、方向性としてはこんな感じ。
もう少し密度高く、実行可能な段階まで理想と現実の折り合いをつけていく。こういうことが必要なんじゃないかな。


あとは、依存しない範囲で自分の責任で人を頼るスキルとかね。
人を頼るにも技術というか、やり方が重要で。


自分一人ではできないことや自分の苦手なことを他人に頼むことは大切なんだけど、やりすぎると依存になるし。何よりどこまで自分の理想に相手を突き合わせるかって話にもなるよね。


相手にも相手の理想がある。それが自分と一致しているならまだしもほとんどの場合はそうでないから、相手の頼り方も気をつけたほうがいいんじゃないかと思います。


冒頭の問い。
「理想を追い求めることは幻想なんじゃないの?」
ということについて。

ここまでを踏まえると、「理想だけ」を追い求めるとうまくいかない。
理想は幻想に過ぎないという方が正しいのかもしれません。


僕はよく二律背反、片方が存在しないともう片方も存在しないという話を使うんですけれど、今回のパターンもそうだと思っていて。


理想を深く求めるには、どうやっても現実を同じくらい深く求めることも大切ですし、そうであるからこそ、理想を唱えることに価値が生まれてくるのではないでしょうか。


僕たちはどうしても、今自分が持っている能力や環境の内側で物事を考えてしまいやすいから。


特には意味わからないくらいの理想を掲げた方が思考のタガが外れるんじゃないかな。細かいことは理想を求めた後に現実に戻って考えればいい。


むしろ、理想について考えているときに、現実が見えてくるってことは、「そろそろ現実との折り合いをつけ始めてね〜〜」


っていうサインなのかも。少し見えてきましたね。


加えて、もう一つ。その一見意味不明な理想を自分のものとして落とし込むには、誰かにそれを話すことも一つの手段だと僕は考えています。
理想を他者に語ること。


理想を自分だけのものとするんじゃなく、他者に話すことでより現実に根ざしたものにしていく。これも現実との折り合いの付け方なのかなって思います。


僕は、理想を語る言葉の中に、その人の本質に近いものが現れると常々感じているんです。だから、最初にもいった通り人が何かを体験した話が好きだし、物語が好きだし、根底に秘めているさまざまな価値観を僕は好むんだと思います。


語りの中からその人の想いを見つめたい。 どうあっても理想から目を背けたくない。本気でそう思います。


ふと思い浮かんだモヤモヤもとにつらつら書いてみたけど、僕が普段から考えていることは大体こんな感じです。


完全に答えは見えていませんが、今回のひとまずの答えは、


「現実ありきで理想を追い求める限りはそれは幻想ではない。
思う存分理想を追い求めよう。」


といった感じでしょうか。
ひとまずこのくらいでおいておくことにします。


また悩んだら戻ってくるかもしれません。
その時はその時のお楽しみということで。


僕は理想に打ちのめされて、それでも諦めたくなくて、なんとかしがみつく方法を探って動いているだけの人です。それがみっともないという人もいるかもだけど、そうありたいなあって思う日々。


少しでも共感してくれる人がいたら嬉しいなあ〜なんて思います。
この取り止めもない文章を最後まで読んでくれている時点で、感謝感激なんですけど。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
それでは〜〜!

皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。