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旅をする「だけ」では価値観は変わらない。受け取れるものの数が変わるだけ。

こんにちは、タツミです。

僕は普段からフリーランスでエンジニアをやりながらライフコーチ、ポーカープレイヤー、旅をしながらおてつだいという形で地域に貢献するおてつびとなど、さまざまな活動を並行してやっています。


今は長崎県の壱岐に滞在。


旅館のおてつだいをしながら、空いた時間に観光をしたりコンテンツ作成をしたりに取り組んでいます。


今回は旅に関してよく言われる俗説について話して行きたいと思います。

これから旅をしようと思っている人
・旅をしたことあるけど、あまり楽しくなかった人
・自分探しや生き方探しをしたいと思っている人

こんな人はぜひ最後まで読んで行ってください✨



旅 ➡︎ 価値観が広がる??

「旅をすれば価値観が広がるよ」
「旅をすれば新しい自分に出会えるよ」

そんな話を聞いたことはないでしょうか?

自分の生き方や将来に困ったとき、気分転換も兼ねてしばらく一人で旅行へ行ったりというのは今も昔も定番の選択ですよね。


よく聞くのは

東南アジアを1年間ぶらついてました〜〜〜とか。
アメリカ大陸を東西横断しました〜〜!とか。
オーストラリアでワーホリしながらぶらついていました〜とか。


そこで新しい出会いがあって、今の自分があるんです・・・。みたいな。
結構聞きません?


僕が大学生だった時は、こういう話も「いいな〜〜すごいな〜〜!僕も将来やってみたいな。そしたら人生変わるかも!」なんて無邪気に思っていたのですが。


実際フリーランスになって旅をする中で、少しずつ旅というものに対するスタンスが変化してきたんです。


結論としては、「旅をするだけで価値観が変わる」というのは嘘だと僕は思います。旅はそんな魔法の道具ではない。


ただの手段の一つだと思っています。


少し強引にいうならば、「価値観が変わった自分」を演出するために、旅という言い訳を使っているんじゃないかとも思うんです。


一人旅をしても何も変わらなかった経験


フリーランスなりたての頃に、一人で岐阜に行ったことがあります。
特に目的もなく、強いていうならマンネリとした今の状況を変えたいな、
と思って。


観光案内所の人に勧められるがままにいくつか観光スポットを巡って。
いくつかご当地のスイーツやグルメも食べましたし、古風な城下町通りを歩いて安らいだりもしました。


楽しかったのは楽しかったのですが、旅が終わっても胸のマンネリとした感覚は消えないまま。

観光スポットとして用意された以上の新しい経験はろくに出来ませんでした。たとえば、岐阜城にて。


観光にきていた海外の方に話しかけようかなと思ったんですけど、全然勇気が出ずにまごまごしているうちにどこかへ行ってしまったんです。


自分の殻を破ることはできなかったんですよね。
結局そのままやんけ自分!!!ってなりましたね💦


当然価値観が変わることはありませんでした。


岐阜県を例に挙げましたが、場所が悪いわけでももちろんありません。


東京や沖縄のような観光名所と比べたら、そりゃあ観光地とかは少なくなるでしょうが、山々はありますし、楽しめる要素なんていくらでも見つかる。

価値観が変わるのは結果でしかない。


楽しい!!と思える場所は、価値観が変わりうる要素はどんな場所に行ったとしてもたくさんあるんです。


料理の材料は調理台の上にこれでもかと並べられています。



必要なのは調理者の意志。


どの材料をどれくらい使って料理を仕上げてやろうか。
自分が食べたいと思っている料理は何か?
自分が仕入れた素材を使った料理を届けたい人は?


目的を持った上で自分が手に入れた素材を吟味し、形作り、自分や自分の大切な人に向き合おうとする。そういう主体的な経験を通して、結果的に価値観が広がったり、考えられることの幅が増えたりするんですよね。


変わるのは「受け取れる可能性のあるものの数」だけ



だから、「旅をするだけで価値観が変わる」というのは嘘です。


変わるのは「受け取れる可能性のあるものの数」だけで、
自動的に何かを受け取れるわけではないからです。

旅をしたら当然新しい人やものに出会うこともあるだろうし、経験は増えるかもしれません。


けど、そこから何を感じ、何を学び、何をこれからの自分に取り入れる = 受け取るかはその人次第です。

受動的なままではいくら旅をしようが価値観が変わることは、ほとんどありません。

旅行について聞かれて「〇〇へ行ったよ」「△△を見たよ」と答えるだけじゃ、過去の武勇伝を延々と部下に語り続ける上司と大差ないんじゃないかな。と僕は思います。


旅行の仕方は人の数だけある


とはいえ、別に価値観が変わる旅をしないといけないわけじゃありません。

ひたすら楽しむ旅行なら、それはそれでOKですし、
複数人で仲を深める旅ももちろんあっていい。

先日僕も、高校時代の同期と熱海の民宿に行き温泉に入ってきました。何か特別な目的があったわけでもなく、ただお互いが会いたくてタイミングがあったので旅行にでもいくか!ってなったんです。


久しぶりに会った旧友と時間を過ごすのは、一人で旅をするのとはまた違った格別な時間を得られるものです。


他にも旅行の仕方は人の数だけある。当然です。

ただ、自分探しとかやりたいこと探しとか、自分の生き方づくりをするための旅をするんだったら、自分の目的を持っているかいないかで、自然と入ってくる情報量も、旅への主体的な参加度も変化してきます。


得られた学びをどうにかして受け取ろう、自分の身にしてやろう!という意識で過ごし、自分の中に取り入れていく。

すると振り返った時に、「あ、そういえばあの時価値観が変わったよね。」っていう瞬間が訪れるんじゃないかな。と思います。


せっかく何かを求めて旅をするんだったら、誰しもが気づきを得て濃い経験にして帰ってほしい。そう思ったので今回ちょっと過激な意見だったかもしれないんですけど、この記事を書きました。


何か心に触れるものがあれば幸いです!!


最後に。


僕は今、壱岐に来ています。


壱岐は邪馬台国時代から本州や海外と交流があった土地で、知る人ぞ知る!という観光地がたくさんある名所です。

先日はクラフトビールを飲み、離島・辰の島で3時間くらいはしゃぎ(40分あればその島は回れるそう)、現地の人と仲良くなりつつ実りのある時間を過ごしました。

現地のビール3種を飲み比べしました!


スマッシュブラザーズの「灯火の星」の舞台のような・・?

本気で壱岐に移住したい!と思うほどで、将来の住処について改めて考えるきっかけになった1日でしたね。

まだまだ壱岐に滞在する時間は残っています。
今度はどんなものに出会い、何を受け取れるのか。

僕自身も今から楽しみです。

皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。