jjpyon

現在職業漂流中。いい大人だけど「働く」ことについていまだに考え、迷い、漂ってます。

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最近の記事

子育て、今思えば……。「好き」とか「強み」より、「持ち味」くらいでいいのかも。

子供に対しての「〝好き〟を伸ばそう」とか、大人に対しても「〝強み〟を生かそう」とか、最近本当によく聞きますが、そういう言葉にうっすらとプレッシャーを感じてしまいます。 そんなに「好き」がないとダメなの? そんなに「強み」で生きていかないといけないの? 数年前から自分自身が仕事と働き方について軸が定まらないこともあって、そういう言葉に敏感になっているのかもしれません。でも、年齢もそれなりの経験も経てきた50代の私でさえ社会の圧を感じるのだから、子供たちの中にも少し苦しい気持ち

    • 子育て、今思えば……。別に好きなことがなくても大丈夫です③

      「好きなことがあるのはすばらしい」 「好きなことがあれば大丈夫!」 そういう風潮の中で、〝そこまで好きなことがない〟息子を育てながらずっと引け目を感じてきました。 そして今思うのは、別にそれで問題ない、ということです。 たとえば勉強なら、超得意や超苦手がなくても好き嫌いくらいはいずれ出てくるもの。だからそれに合わせて入試のタイプを選べば良し。何か1つ秀でた人のための入試も増えていて、それはどこかキラキラして見えますが、ふつう組はふつうの入試を選べばよいのです。 今はいろいろ

      • 子育て、今思えば……。別に好きなことがなくても大丈夫です②

        息子を育てている間ずっと、「好きなことがあるのはすばらしい!」という風潮になんとなく引け目を感じていました。「好きなことがないと、だめなのかな?」と思ってしまうのです。 うちの息子にはそんなにわかりやすい目印はなかった。でも、世の中の雰囲気としては、「寝食忘れて没頭するようなことがあるのはすばらしい、それなら勉強なんかできなくても大丈夫!」という感じでした。 それって親たちへの励ましのように聞こえるのですが、私にとっては違いました。自分の子は「寝食忘れるほど好きなものはな

        • 子育て、今思えば……。別に好きなことがなくても大丈夫です

          息子は現在18歳、大学生です。この春、彼が高校を卒業したとき、「母親業も第一段階は終わったなあ」と思いのほか強く感じて、いろいろな重荷から解放された気がしました。 重荷とは何か?  世間の風潮のようなもの、と言えばいいのでしょうか。 子育て中ずっと、見るたび聞くたびに少し気が重くなっていた言葉がありました。 「〝好き〟を伸ばそう」「好きなことがあるのはすばらしい」 「好きなことがあれば大丈夫!」 といった言葉です。 「一人ひとり違うところや特徴があって、それが個性」という

        子育て、今思えば……。「好き」とか「強み」より、「持ち味」くらいでいいのかも。

        • 子育て、今思えば……。別に好きなことがなくても大丈夫です③

        • 子育て、今思えば……。別に好きなことがなくても大丈夫です②

        • 子育て、今思えば……。別に好きなことがなくても大丈夫です

          成長した? 年取っただけ? とにかく「切り替え」のおかげで楽になった

          先日「そろそろ美容院に行かないと」と思い、予約を取ろうとしたところ、GWで店の休みが不規則だったり、担当者さんと私の予定が全然合わなかったりで、施術を受けられるのが2週間以上も先になってしまいました。 どうしよう……髪は伸び放題になってしまうし、カラーももたないし。 ああもうなんでこんなにタイミングが悪いんだろう! 予定がちょっと違っていればすぐに予約取れたのに! こんなことならもっと早く電話して予約すればよかった…… 以前の私ならばこんな感じで、ずーっとぐずぐず頭の中で

          成長した? 年取っただけ? とにかく「切り替え」のおかげで楽になった

          「見る」のと「やる」のは違う――「読む」こと、「書く」ことも

          こうしてnoteを書いてみるようになって、改めて「読む」こと「書く」ことについて考えています。 「読む」のも「書く」のも、誰でも普通にしていることだけれど、簡単ではないと思い知りました。とくに「書く」ことは、一筋縄ではいかない! まず、書きたいことがないといけない。書きたいことはあっても、思考や感情に自分で輪郭をつけていかないと、文章にならない。 ようやく文章になっても、読んでくれる人に伝わるかどうかはまた別の問題…… でも、難しくて当然、そう簡単にできなくて当然なんだな

          「見る」のと「やる」のは違う――「読む」こと、「書く」ことも

          それは、私の価値観だよね?

          子育て中、いらいらモヤモヤした時に自分に言い聞かせていた言葉について書いています。 1「じゃあ、自分はどうだったのか?」   2「その心配は誰のため?」 今日はその3です。 この言葉には、先月まで続いていた受験期に特に助けられました。というか、この言葉であきらめがついた、という感じです。 高3になっても、息子はどうも勉強に身が入っていない。おおっぴらにサボっていることもあれば、いかにも勉強している風を装いつつ別のことをしていたり…… で、親は頭にきますよね。あと半年しか

          それは、私の価値観だよね?

          その心配は誰のため? 八割がた、自分のため

          子育て中に苦しくなった時、よく自分に投げかけていた「じゃあ、自分はどうだったのさ?」という問いのことを前回書いたのですが、そういう言葉があと二つあります。 一つは「その心配は誰のため?」という問いです。 母親というのは常に心配しています。しかも私はもともと心配性で慎重派。それが子供のこととなれば、もうあきれるくらい細かいことまで気になります。 小さい頃ならまだしも、中学生になっても「昨日授業で○○使うって言ってたけど、ちゃんと持ってたかな?」「雨降る予報なのに、傘持ってい

          その心配は誰のため? 八割がた、自分のため

          じゃあ、自分はどうだったのか? と考えてみると少し冷静になれる

          息子が高校を卒業したというのに、いまだに「卒母」とはいかず、そんな自分にため息をつく日々。これまでの子育て中も事あるごとに自分に投げかけてきた言葉を、また思い出しています。 「じゃあ、自分はどうだったのさ?」という問いかけです。 大学生活が始まった息子。そもそも社交性に乏しく、人とワイワイ楽しくやることにあまり興味がありません。大学でも「早く友達作ろう」とか「とりあえずサークルに入って顔見知り増やそう」とか、そんな様子が全くない。 淡々と授業に行き、終わったらマッハで帰って

          じゃあ、自分はどうだったのか? と考えてみると少し冷静になれる

          春――きっとベランダからの祈りがいっぱいの季節

          週に何度かごみ捨てに行く朝、マンションの中庭でときおり行き合う女の子がいます。私がごみ捨てに行く時間にちょうど登校していくランドセルを背負った女の子です。 1年生ではなさそうだけど、だぶん小学校低学年。近所にある公立小学校へ行くには時間が早いし、かわいいセーラー服風の制服を着て革靴をはいているので、私立学校に通っているのでしょう。 その子が私と行き合う直前くるっと後ろを振り返り、にこっと笑って、手を振るのです。おそらくベランダから見送っているお母さんに向かって。 その様子

          春――きっとベランダからの祈りがいっぱいの季節

          桜の記憶――いるだけで、誰かの光になること

          あっという間に桜の花は終わり、柔らかい緑色の葉が芽吹き始めました。はらはらと散る桜を見ると、ふと思い出す春の風景は父がまだ赤ちゃんだった私の息子を抱いてお花見をしている姿です。 きれいでせつない記憶に、胸が少し苦しくなります。けれど大切な思い出です。 父はその同じ年の夏に亡くなりました。だからお花見の頃にはもう相当に体調が悪く、入院と入院の合間でしたが、1歳にもならない孫と一緒に近所の土手の桜並木を見に行くと言い出しました。 結構な人が出ている中、「なんだか今年の桜はいつ

          桜の記憶――いるだけで、誰かの光になること

          今日の気づき~ 確かなこと の正体は、今できること

          一田憲子さんの『もやもやしたら、習慣かえてみたら?』の中の赤木明登さん・智子さん夫妻のページにあった言葉を読み、心の底からその通りだなと思いました。 この先どうなるのかと考えすぎると、不安のほうが先に立つ。なるべく間違えないように、安心できるように、正解を探したくなる。 だから不必要にじだばたして、本当の目的を忘れそうになります。 「一歩先のことなんて、誰にもわからない。そう腹をくくって、地味で当たり前かもしれないけれど、自分の手でできる習慣を探す」 本当に、それが大事。

          今日の気づき~ 確かなこと の正体は、今できること

          新しい環境を受け入れる心構えを、18歳男子から学んだ

          ユルくていい感じの甥っ子の様子に「もっと力抜いていいんだ」と気づかされた春でしたが、もう一人、息子の友達A君と久々に顔を合わせた時にも、はっとしたことがありました。 A君と息子は幼稚園からの付き合い。といっても、ずっと親しかったわけではありません。小学校低学年までは毎日のように遊んでいましたが、その後はクラスも分かれ、部活も分かれ、好きなことも違うし、高校の間はほとんど交流のない時期もあったと思います。今どきの子たちだから、時々は他の友達も含めてLINEで連絡を取っていたよ

          新しい環境を受け入れる心構えを、18歳男子から学んだ

          力の抜けた甥っこを見て、まだまだだなあ私、と思った

          3月に息子が高校を卒業して、私自身も「卒母」という節目をかなり意識しています。そんな春、コロナ禍もあって長く顔を合わせていなかった弟家族(弟、義妹、甥)久々に再会して、楽しい時間を過ごしました。 甥っ子はうちの息子より二つ年上の大学3年生。小さい頃から穏やかでかわいい子。口数が少ないのでおとなしいのかと思いきや、結構なマイペースで、他人の思惑や周囲の空気は良くも悪くもあまり気に留めない感じ。 最後に会った高校生の頃は、おそらくマイペースが最高潮に達していて、ちょっと頑なな

          力の抜けた甥っこを見て、まだまだだなあ私、と思った

          決めて動く、ことが最初の一歩

          「仮でもいいからとにかく結論を出す」ことが大事と知り、先日はアニメの『ゆびさきと恋々』まで参考になるなあと思ったのでした。 もう一つ思い出したのは、コテンラジオの深井龍之介さんの「15分考えたら必ず答えが出る」という話です。 それって深井さんみたいに頭の回転の超速い人だからじゃないの~? と半信半疑だったのですが、「15分本気で考えて、ともかくその時点での結論を出してさっさと行動を起こす」ことと解釈すれば、「仮でもいいから結論を出す」という最近私が感化された考え方と似ている

          決めて動く、ことが最初の一歩

          「仮でもいいから結論を出す」ことが大事――イツオミさんの質問も同じ効果?

          悩むと考えるは違う、と知って「なるほど!」と思った私がもう一つ目から鱗だったのは「仮でもいいから結論を出す」という考え方でした。 悩むとは、答えなんて出ないと思いながら、ああでもないこうでもないとぐずぐず考えていること。 考えるとは、答えを出すという意志のもとで検討して何らかの結論を出すこと。 その結論は完璧である必要はなく、熟考を重ねたうえでというよりは、今の段階ではこれを思いついた、という程度でいい。とにかく仮でも結論を出せば、「だったら次はこれ」という行動へ自然と結

          「仮でもいいから結論を出す」ことが大事――イツオミさんの質問も同じ効果?