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「貴婦人と一角獣」無事に返却終了〜最後は「介護」の話


「母の刺繍展」の為にお借りした「貴婦人と一角獣」を、先週、娘と一緒にお返しに行ってきた。

思っていたよりも、「人の作品」をお借りするって、緊張する。

それを無事に返却できて、やっと「刺繍展」が「終わった」という気分になれた。

この作品を作られた方(96歳)は、現在、「介護施設」に入所されている。
この方の「娘さん」と連絡が取れたおかげで、「作品展示」が叶ったのだ。

「刺繍展」の初日に、「娘さん」は、ギャラリーに来てくれた。
素晴らしい「お母様の作品」が、展示されている様を見て貰えて、本当に良かった。


自宅に飾られていた「刺しゅう作品」


初めて、作品を受け取りに伺った時、ご自宅の中に、「刺しゅうの作品」が、いくつか飾られていた。

一緒に行った娘が「おばあちゃんとは、違う色使いの作品だね~」と言った。

確かに、「母の感性」とは、違う「作風」ではあっても、そこに使われている「技術」は、やはり素晴らしいく、確かだ。


まるで絵画のように見えるけれど、これも刺繍の作品
ガラスに、映り込んでしまっているのが残念・・


ランプシェードも素敵!



「介護トーク」に話が弾む


「作品」を取りに伺った日、「初めて」ご自宅に伺い、当然「娘さん」とお会いしたのも「初めて」だった。

にも関わらず、お話をすると、まるで昔から「同じ場所」にいる人のように感じた。

それは、彼女も同様だったのでは、ないだろうか。

私と同じように、「自分の母親」がやってきた「刺繍の活動」を傍で見てきている。しかも、「同じフィールド」に、お互い「自分の母親」がいたわけだから。


2回目の訪問となったこの日、前回同様、私が母から聞いていた「雄鶏時代」のお母様の話や、「刺繍仲間の方たち」が、今回の「刺繍展」にいらしてくださった時のお話で、会話が弾んだ。

でも結局、最後は「親の介護」の話になった。

お母様が、「介護施設」に入所されるまでの「日々」を、自宅で、「娘さん」や「ヘルパーさん」の手を借りながら、どう過ごされていたのか、

また「ヘルパーさん」には、具体的に「どんなこと」をして貰っていたのかを、私は、「自分事」のように、興味津々にお話を聞いた。


◇「いよいよ無理」ってどういうことなのか~


よく、「いよいよ無理だな~と思って、施設に入った」という「言い方」を耳にするけれど、「いよいよ無理」の具体的な状況って、どういうことなのか、また、どんなタイミングで「無理だ」と思ったのかを、彼女に尋ねた。

私の母も、日に日に歳を取っていく感じが、加速していて、「いよいよ無理」となる日が、近いのではないかと、私は感じているのだ。


現在、「施設」で過ごされているお母様のお世話は、以前は「娘さん」が、週2日「通い」でされていた。その他の日は「ヘルパーさん」に入って貰ったり、「デーサービス」を利用し、どうにか自宅で過ごされていた。

そんな日々の中、自宅での「入浴」で、自力でバスタブを跨げなくなった時、「いよいよ無理」だと感じたそうだ。

「入浴介助」で、母を洗ってあげることは、時々やっているけれど、
そもそも母が、「浴槽」に入るシーンを、私は見ていないな~

ちょっと反省・・・

◇今の私は、この先「母の食事」を、どうしたらイイのか、わからない~


この頃「食欲が無い」という訳では、無いけれど、母の「食事の量」が減ってると、私は感じている。

その「要因」は、2つ、

一つは「かむ力」が弱ってきて、これまで食べれたものが、「固い」と感じるようになり、美味しいと思えず、残すようになったこと。

そして、もう一つは、

今までなら、お腹がすけば、大好きな「おやつ」を「自ら」取りに行き、勝手に食べていた。

ところが、最近、「この動き」が、しんどくなってきた様子だ。

大好きな「おやつ」も、お皿にのせて「どうぞ~」と出してあげないと食べなくなってきたのだ。


このところ「ショートスティ」を定期的に利用するようになり、そこで出される「食事」や「おやつ」が美味しいと、母が話す。

「献立」が豊富で、「栄養」にも配慮され、高齢者に「食べやすく」工夫されているようだ。

さらに、スタッフの方が、「配膳」も、綺麗にやってくれる。

だから、「ショートスティ」から戻ってきた母は、「お腹がいっぱい」とか言って、なんだかいつもより、ご機嫌で、元気だ。

しかし、自宅に戻れば、そうはいかない。

だって、私しかいない訳だし・・・「ショートスティ」のようにはできない。

でも、食べないと「元気」が出ない~
大丈夫なのかと、心配になる。

近頃、そんな感じなだ。


◇「ヘルパーさん」に、特別にお願いした事


「娘さん」にお話しを聞くと、お母様も冷蔵庫に入っている「食べ物」に、だんだん手を付けなくなり、それで、「ヘルパーさん」に「食事の事」をお願いするようになったプロセスがあった。

そうなってからは、「冷凍の介護食」を利用するようになり、「ヘルパーさん」に、それを「レンチン」して、出してもらうようになった。

ところが「プラスティックの入れ物」のままだと、お母様が、「美味しくない」と仰って、お召し上がりにならなかった。

ところが、一度、ちゃんと「食器」に盛り付けて、出してみたら「美味しいわ~」と言って、同じ物を食べるようになったそうだ。

だから「レンチン」したものを、そのまま出さず、「食器」に、ちゃんと「盛り付け」をして、お母様に、出してもらうように、「ヘルパーさん」には、特にお願いしていたそうだ。

あ~~、すごくわかる!!!

私の母も、例えば「タッパー」に入ったままの食べ物は、絶対と言っていいほど、食べない。

ちゃんと「食器」に盛られていないとダメなのだ。

さらに「作り置き」がダメで、いわゆる「残り物」は、私の母は、お召し上がりにならない。

(あ~~、めんどくさ~~)※心の声


丁度、私も「冷凍の介護食」を今後、定期利用しようかな~と思っていた。

「美味しいとか、どうとか、そういう問題じゃないからね~!」

と、私は、母に、厳しいことを言った。


それでも、彼女のお話を伺って、食べる本人の「食欲」が出る「工夫」は、必要なんだと、痛感した。



母が元気なうちに、やっておくこと


今回、「貴婦人と一角獣」の作品を、「刺繍展」に貸し出すにあたって、既に「介護施設」に入所され、意思の疎通が困難で「作品の作り主」であるお母様自身が、どう思っているのかを「確認」できないまま、「自分が決めてイイのだろうか~」そんな「迷い」を「娘さん」は、感じたそうだ。

「娘さん」の心情を伺い、今後、「お母様の作品」を、彼女が整理していくことは、私が「母の作品」と向き合ってきた事とは、全く「異なる作業」なのだと、私には思えた。


私が、このnoteに「母の刺繍」について書けるのは、「作り主」である「母の話」を聞けるからだ。


母が、「気に入っている作品」と、あまり「そうでない作品」が、あることも、母から話を聞くからこそ、分かるのだ。


今後、「母の作品」を、自分がどうしていくのかは、まだまだ分からないけれど、「母の思い」を知るからこそ、各々の「母の作品」の「価値」を私の中でも、決めることが出来る。

母にとって、その「作品」が「どういうもの」であったのか、

その「作品」を作った「背景」にどんなことがあったのか、

それを「知る術」は、本人に聞くしかない。

これからも、栄養バランスが摂れた「冷凍の介護食」を「素敵な食器」に盛り付け、自宅にいても、しっかり食事をしてもらい、母が、元気でいるうちに、いろんな話を聞いておこう!


※長くなりましたが、最後までお読み頂き、ありがとうございました。
途中、愚痴も混じりまして、失礼いたしました・・・


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