新六郷物語 第九章 五

 一月四日、突然、一人の商人がやって来た。安東祐蔵であった。元亀三年、川で溺れかかった佐和を助け、翌朝、吉弘雅朋家の門を出て、右と左に別れて以来であった。
 「祐蔵が一人前になるまでしばらく待ってくれ」
 高田屋仁衛門にそう言われ、いままで待っていたのだ。祐蔵は立派な商人になっていた。高田から博多に行き、商いの勉強をして、大阪や京にも何度も行った。主人の仁衛門からも、いまや博多の責任者として任されていたのだった。その祐蔵が、主人高田屋仁衛門の許しを得て久しぶりに友に会いに来た。祐蔵には旧交を温める以上に重大な話があった。
 祐蔵が博多で行う商いの殆どは、明、李氏朝鮮、オランダ、ポルトガルからの貿易品を扱うことであった。高田屋は、直接相手国と交渉は出来ない。長崎の商人を通じた間接的な取引である。祐蔵が長崎に出向き、いつものように商いを決めていくと、長崎の商人は変なことを言った。
 「高田屋さんと言えば国東でしたね。大友家は南蛮と直接取引きされて、鉄砲や大砲などかなりお買い求めになっておられます。よくお支払いがお出来になると、他国は不審に思っておりましたが、その代金は奴隷だそうです。南蛮に奴隷を売って代金としているそうです。ご存知ですか。知らない。いや、そうでしょう。信じ難い話です。安東様、ここだけの話ですが、送られる奴隷は、娘、子供だそうです。南蛮は普通の家でさえ、奴隷をおく習慣があるそうです。人でありながら人でない暮らしをしています。日本人には考えられないことです。日本人はよく働きますし、女の肌は極め細やかで、南蛮の男には喜ばれるそうです。いや、全く酷い話です。国を守るために、国人を売る領主がいるのですから。それがバテレン大名です。全く驚きました。私の知合いの商人が、南蛮の船頭と異国語で話ができます。聞いたところ、次の荷は大半が豊後から送られてくる奴隷だと言うのです。豊後から四月中旬に関船に積み込み、長崎まで送ってくるようです。今回が初めてではないそうです。もう何度か奴隷を運んだと言っていました。
 豊後大友の戦下手は有名で、あれだけの戦力を持ちながら、半分にも満たない島津に耳川で壊滅的に破れ、いまや他国から攻めると簡単に取れると見られています。島津も偶々筑前筋で毛利を相手にしているため、豊後に攻め込めない状態です。ここに何かの変があれば一気に豊後に流れ込むと見ています。大友家は得意の南蛮に頼り、鉄砲や大砲を、奴隷を売って買うしか、もう術も無いのでしょう。豊後は島津に取って変られるか、羽柴秀吉の傘下に落ちるかでしょう」
 安東祐蔵は、大友家の衰亡はどうでもよかった。奴隷の話は気になった。高田に久しぶりに戻った時、純平の活躍を聞いて嬉しく思い尋ねて来た。黒木信助も一緒だったので余計に嬉しかった。三人とも千燈寺で親を亡くした悲しみを共有していた。
 純平は、いま六郷の有志で奴隷を救う話をしているが、安東祐蔵のくれた情報は非常にありがたい、と言い、これまでの経緯を説明した。なるべく娘、子供を外に出さないようにしたいが、それも限界がある。田原紹忍がその任にもしあたれば、人家に押し入っても人攫いをして行くだろう。手の打ちようがない。沖の浜の収容所に入れられたあとを収奪するしか対抗しようがない。時期と方法が問題である。
 純平は信助と一緒に祐蔵を誘い、浄周山純和寺の本堂の進み具合を見に行った。本堂は建てられている途中であった。まだまだ完成には時間が必要だったが、もう外見は出来ていた。完成したら、六郷の焼き打ちで亡くなった全ての方を記帳し弔う。吉弘家、純平の父母、祐蔵の父母、信助の母も、だ。住職は浄峰である。祐蔵は自分も喜捨する。浄峰様がお許しになるのなら、本堂に掲げる扁額を寄進させて欲しい。浄峰様に揮毫してもらった紙をお預かりして、博多の職人に彫ってもらう。本堂完成までには間に合わせる。安東祐蔵は自分も六郷の人間だから、何としてでも復興に参加したいのだ、そう言った。

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