自遊工房

1954年生。 人生急降下中。 忘却のままでいいのか。 体験、経験、歴史から、誰かの一…

自遊工房

1954年生。 人生急降下中。 忘却のままでいいのか。 体験、経験、歴史から、誰かの一息にでもなれば。 独断の隙間を開示。 あんなこともあった。あんなことをやっていたのか。そんな時代があった。

マガジン

  • 佐伯望郷誌

    南海部に天空路を開く会より、短いのを何か書け、と来た。何某かの一助になればと思う。

  • 自遊工房日日録

    日々思ったこと 気紛れ日誌

  • 自遊工房昔日記

    時々過去のことを思い出して、恥ずかしい思いをしたり、悔んでしまったりする。数々の間違いをし、恥ずかしい記憶が残っている。人生急降下中。いっそさらけ出してしまえば爽快かもしれない。残っていく者たちが反面教師としてみてくれれば、尚のこと。

  • 豊穣の国

    人生の曲折 転んだ先をどう生きるか 老後の迎え方をどうするか

  • 青の彷徨  後編

    喪失から孤独。支えもあるが苦行のなかを生きる。そして再生へ。平成初期、医薬品卸は生き残りをかけて合併へ。どう存続させるか。人も会社ももがいてあがいて生きてきた。

最近の記事

故郷佐伯を

活性化? 観光資源は? 豊後水道にクルーズ船を、という提言がありました。佐伯をどうするか、深く洞察されていることが伺え、平身低頭です。 故郷佐伯を離れ、遺産(何もありませんが)放棄もした者からすれば、故郷創生など常に思考の片隅でしかなかった。しかし佐伯は元気であって欲しいし、国内はもとより世界からも注目されてもらいたい。 個人的思考だが、他所から見て佐伯は元気がないように思える。中津のように企業が増えて人口増加がみられるのでもない。別府や由布院のように観光地で

    • 母の日

       この日はたまたま休みが重なったのもあって、長男夫婦に次男一家(次男、嫁、孫)が揃ってやってきた。夕食をみんなで囲んだ。正月は長男たちが仕事で揃わなかったので、久しぶりのことになった。息子たちの主目的は母の日だからだ。母である妻も、何をプレゼントされるより嬉しかったに違いない。息子たちはどちらもワインと梅酒と日本酒をプレゼントに持ってきた。妻の好きなものだ。  夕食は普通の家庭料理で特別なものはない。いつでも気軽に来られるように、たまに夕食を一緒にと寄ってくる長男夫婦も次男一

      •  捨離

         昔日を 思って気づく 古希の年  数年前から昔のことを思い浮かべることが多くなった。昭和の前半最後の世代として、このまま忘却のままでいいのかと思うようになり、noteを始めた。  南海部に天空路を拓く会の染矢氏は、天空路だけでなく、なんでもいいから書いて、佐伯を盛り上げよう、という。県外、市外者が騒いで、佐伯が盛り上がるか不明だが、既読者の名前が、何人か記憶の中にあるような気がする。  私は人の顔と名前を覚えるのが極めて苦手。同じ高校で同年生まれだから、同じ学年だったはず。

        • 読書のすすめ

           故柴田幸夫先生を偲んで  昭和の戦後から高度成長への間、山合の田舎の生活は大変厳しく、米がそのまま貨幣として通用した。それほど食料に不自由した時代だった。  男は思春期を過ぎ、精神と成人としての自立に到達するとき、必ず父親を対立軸とする。昔の生活台がそのまま彷彿させられる。共感、共感、共感。  透明性の中に、風景の無常観が浮かんで、過去の記録と感情の残片が高い文学性を持たせている。故郷と人の生き様の記録として、後世に残したい一書である。  その中にある言葉を引用したい。

        マガジン

        • 佐伯望郷誌
          11本
        • 自遊工房日日録
          20本
        • 自遊工房昔日記
          1本
        • 豊穣の国
          8本
        • 青の彷徨  後編
          19本
        • 青の彷徨 前編
          24本

        記事

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          438年経過

          438年経過

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          438年経過

           堂ノ間供養塔  因尾物語<因尾通路斬の事> ―――主として大友興廃記による ――― 羽柴弘  <略>日州薩摩の武士、府内へ往来の時は、佐伯の内因尾という所を折々通路とす。  さる程に、天正十四年(1586)丙戌12月17日、佐伯太郎惟定の居城栂牟礼より、軍勢数多を因尾表に差向けられる。すなわち惟定の下知を受けたる因尾の武士、柳井左馬之助、同じく外記、同じく平兵衛、同じく弥右衛門、同じく兵庫ノ介、三代勘解由、柳井喜衛門、同じく弥右衛門尉、吉良舎人、杉谷兵部、同じく源次郎、

          438年経過

          郷土史発掘の先人

          天空路を拓く会の趣旨にもあるように、郷土の歴史や文化を発掘検証し、後世に繋げていくことは重要である。 佐伯史談会という会があって、もう半世紀以上活動が続いている。当初からその事務局として、歴史を知る人を発掘し、記録を残す作業を生涯されてきた人がいる。原稿はガリ版印刷だった。小冊子だが年数回は発行されたと思う。羽柴弘氏である。教職についていた経験から、ガリ版は苦にならなかったのかも知れない。私も学生時代部活でガリ版に苦労した経験がある。佐伯史談一冊全部お一人でされていた

          郷土史発掘の先人

          隠れた大美術館

           佐伯の自慢といえば、いろいろあるが、私は南海コレクションをまず押したい。この話は公開すべきなのか。少し考えてみたが、そのまま自由に公開されていたのだから、何も隠すこともないと思う。  詳細を初めて知った時は、昭和から平成へ移行する前後だった。私は当時佐伯に居住して、医療関係の仕事についていた。そしてこの病院の担当になり、驚愕したのだ。一階外来の待合場所に、どーんとあった奥村樗牛の絵画。国宝だぞ! それ以外にもいたるところにある名画の数々は、その専門家なら必ず戦慄を覚えるほど

          隠れた大美術館

          反省記

          二日酔いを初めて経験した日のことはいまだに覚えている。なぜなら初めて飲酒をした日でもあり、18歳の誕生日でもあったから。 高校三年の秋、私の誕生日に呼びもしないのに友人が三人、私の下宿を訪ねてきた。彼らが私の下宿に来たのもはじめてだった。 夕食を食べて二階の部屋にいた時、二人がやってきた。TZとTF。二人ともそれぞれ日本酒とビールを持ってきた。私の誕生日を祝おう、というのだ。コップなど部屋になかったので、私は下宿のおばちゃんに借りようと、階段をおりているところ

          お茶の季節

           新茶の季節となった。ゴールデンウイーク中、茶農家は大忙しである。私が子供頃は、この期間に遊びに連れて行ってもらえるなど考えたこともない。家族総出で早朝から夜遅くまで働いていた。  その習性か、この期間はいくら仕事が休みでも遊びに行く気がしない。何か悪いことをしているような気がして、もっぱら引きこもり。藤沢周平氏もその全集の中で書いてあるのを読んだが、結核の療養で休んでいるのに、自分だけ家の中にいるのが落ち着かない、とあった。そのお気持ち、農家育ちの者としてはよくわかるのだ。

          お茶の季節

          衰退する町

           故郷の変化の中で、一番寂しいのは懐かしい本屋がなくなったことだ。本屋こそ文化の根源であり、未来を拓く英知の指標がそこにあると思っている。私が高校生の時、昭和45年ころからだが、本屋を回るのが何より楽しく好きだった。別段購入する目的があるのではない。どんな本が並んでいるか。どんなジャンルがあるか。  下宿先から一番近いのが、広田書店。そこから駅の方へ少し行くと都堂書店。仲町には二海堂書店。根木青紅堂書店。大手前には高司書店。それぞれ少し個性があって、少し違ってそれがまた楽しか

          衰退する町

          天空路越え

           私が小学校の頃の遠足は佩楯山が多かった。番匠川を遡り虫月、小鶴、松葉から山を登る。山頂にはテレビ塔があって、三重町から大分市内が遠望できた。8合目から9合目あたりではよく貝の化石が簡単に取れたものだ。九州が二つに分かれていた時、海岸が隆起して一つになった証が貝の化石である。それは今回どうでもいいことだが、小学校から山頂までは3時間以上かかったと思う。全行程完全に登りしかない。  登山の起点となる松葉から元山部にかけては多くの人家があった。松葉には分校もあった。確か5年生にな

          柳井館の謎 

           番匠川の支流小又川の、その支流に江平川がある。江平川の行き詰まりに江平(えびら)という地区がある。私が子供の頃は確か2軒の家があって、私の同級生もその家の子だった。  三方、四方山に囲まれた隙間にポツンと僅かに空が見えるところ、という感じの場所である。そこに柳井館なる小さいながら一種の城郭があった、とされて史跡もある。  因尾という地区は番匠川の上流から中流にかかる一帯で、最上流から樫峰、腰越、元山部(もとやまぶ)、松葉(まつば)、小鶴、紙土屋(つちどや)、虫月。ここで合流

          柳井館の謎 

          天空路の一つ 

          椿山 冠岳 楯ヶ城山    昔は明治村(しばらく前は弥生町、今は佐伯市)の長畑という地区は、椿山の長い急斜面に段々畑が長く続いて、その隙間に人家が点在していた。  今はその面影もないほど、ほとんど全ての家が便利なところに転居した。私の母の実家も昔はそこにあった。私のひいひいお婆さんも、母と同じ家から嫁いで来たのだ。  そこからどうして因尾まで来たのか。今なら大阪本、畑木、小倉、中野、と来ればいい。そんな遠回りなどしていないのだ。裏の椿山を越え、風戸にショートカット。  私の父

          天空路の一つ 

          小さな家庭菜園

           3日前に実家の田んぼの端っこの余った土を、土嚢袋に5個詰めて、Y市の娘の家まで運んだ。庭の土を起こし野地板で囲い、土を混ぜ、肥料を加え、水をたっぷりやり、シートを敷き、マルチシートも貼って苗を植えた。今年古希の年。普段重労働はしないので、肩腰が痛い。  孫娘(小2)は好き嫌いが多い。この兄弟は長男(中3)も次男(小6)も好き嫌いが多い。野菜も嫌いな方が多い。共通して好きなのが胡瓜くらい。そこで胡瓜を育て、その成長をみて欲しいと思い家庭菜園を作った。  朝登校し帰宅したらいき

          小さな家庭菜園