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【フォト・ドキュメント】パンクムーブメントの軌跡【第11回】

数々の映画や舞台、CMなどに出演する女優として活躍する一方で、80年代のニューウェイブシーンを鮮烈に駆け抜けた歌姫でもあった戸川純。独創性の強い音楽表現から現在のアーティスト達に多大な影響を与えているが、その表現の源泉はどこから生まれ、そしてなぜ時代のアイコンとなったのか? 地引雄一氏がその真実を語る——

ニューウェイヴの歌姫
戸川純

新宿ロフトのオールナイトライブにて(1981年12月31日)


本業は女優


「純ちゃんはミュージシャンである前に、女優という側面があることが大前提としてあるけど、ミュージシャン面だけで言えば、渋谷にあった『ナイロン100%』っていうニューウェイブ喫茶の存在が絶対に欠かせないと思う」

 78年にオープンしたこの喫茶店は、当時最先端のニューウェイブ系の曲が常にかかっており、テクノポップ黎明期を代表するバンド、ヒカシューやプラスチックスなどがライブも行ったりする80年代ポップカルチャーの発信地で、ニューウェイブ系信者たちの聖地でもあった。

「僕も店長と親しくてよく出入りしてたんだけど、そこに若き頃の純ちゃんがいたんだよね。お客さんというよりほぼ入り浸ってる感じで、店のアイドルみたいな存在だった。僕も最初に会ったとき少し話をして、その日、電車が同じだったから一緒に帰ることになってさ。そのとき彼女から自分は女優の卵だって話を聞かされたんだ。当時は話し方がバカ丁寧でさ、“ワタクシ、女優の仕事やってますのよ〟とかって(笑)。でも凄く魅力的で可愛い子だったんだ」

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