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「砂人形を刺しただけ」妄想型統合失調症が引き起こした悲劇|長浜市園児殺害事件・鄭永善

滋賀県長浜市の路上で、幼稚園児2名が刺され死亡した。逮捕された中国人妻は「自分の子がいじめに遭っていると思い殺した」と動機を供述。彼女には統合失調症の入院歴があった……。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。

「興奮するとやっていることが分からなくなる」

 2006年2月17日の朝、琵琶湖に面した滋賀県長浜市の気温は6度を切っていた。午前8時50分頃、近所に住む5歳の男の子と女の子が、市立幼稚園に向かうため鄭永善(てい・えいぜん/34)の軽自動車後部座席に乗り込んだ。助手席には鄭の一人娘(5)が座っていた。この日、保護者が交代で園児を送る「グループ送迎」の当番が鄭だった。
 自宅から500メートルの幼稚園を素通りした鄭は、約1.5キロ離れた農道に車を停めた。「見ないように」と娘に言い聞かせ運転席を降りた。刃渡り20センチの刺身包丁を持った鄭は、後部座席のドアを開け2人の園児に襲いかかった。

 捜査関係者は顔を歪め語った。
「女児の刺し傷は心臓まで達していた。男の子は脾臓と腎臓に達しており、2人とも出血性ショック死」
 娘を乗せたまま逃走した鄭は、2時間後に約50キロ離れた大津市内で身柄を確保された。我が子の目の前で友達を刺し殺すーー常軌を逸した凶行に世間は呆然と立ちすくんだ。
「自分の子がほかの子と馴染めないのは、周りの子が悪い。このままでは自分の子が駄目になってしまうので殺した。誰でもよかった」

 俄には信じがたい犯行動機を語った鄭。わたしは長浜に入った。遠くに雪化粧した伊吹山を望める犯行現場には、沢山の花束が添えられていた。
 中国黒竜江省出身の鄭永善(日本名・谷口充恵)は99年8月に来日、翌年7月に会社員の夫(47)と結婚した。2人は結婚仲介業者の斡旋で知り合った。結婚当初は夫の実家近くに住み、評判の嫁だったという。近所の主婦が言う。
「気立ても良くいい嫁が来た、と皆さん本当に喜んでいました。英語、韓国語など4カ国語を話し、中国では日本語の通訳をしていたと本人は言っていました。充恵さんがおかしい、とお舅さんから聞いたのは1年前です。『俺やばあさん、孫の首を突然絞めるんやが本人はまったく覚えていない』と嘆いていました。住んでいたアパートの部屋に火を付けた、とも言っていました」
 谷口さんの親戚が重い口を開いた。
「充恵は、急に姑の首を絞めたのです。わたしは『何するんや』と慌てて引き離すと、ハッとした様子で『すいません』と謝るのです。興奮すると自分のやっていることが分からなくなるのです」

 鄭の様子がおかしくなったのは娘を出産し長浜市内のアパートに転居してからだと知人は口を添える。そのころ夫婦喧嘩のような大声を近所の人も聞いている。03年9月、不眠を訴え精神科に通院を始め、翌年には4ヶ月間入院している。病名は「妄想型統合失調症」。しかし、退院後も奇行が続いた。知人の話。
「自宅のガラスを割り、娘さんを針で刺したこともあったそうです」
 04年3月に戸建てを購入していたが、園児の父兄や近所付き合いに悩んでいたという。
「鄭は事件の4日前、幼稚園に娘のことで相談にいっていますが、心配で眠れなくなった。次第に周りの子が悪いと考えるようになった、と供述しています」(県警担当記者)
 そして事件当日。鄭の夫は「嫁の具合が悪いから家に来て面倒を見て欲しい。これから迎えに行く」と実家に電話をしていた。親戚が言う。
「9時半ごろ実家に着いたご主人は『今、嫁は娘を幼稚園に送りに行っている』と話したそうです」
 まさにこの時、2人の園児は凶刃に倒れていたのだ。

送検される鄭永善。裁判では意味不明な供述で犯行を否認した

 公判は、鄭の刑事責任能力が争われた。初公判で「刺したのは砂人形」と起訴事実を否認、また「2人は今も元気」と意味不明な証言が続いた。
「一審判決は心神耗弱状態を認めたが、凶器に最も鋭利な包丁を使い、人気のない場所を選ぶなど自己の行為の善悪を判断できた、と無期懲役を言い渡した」(社会部記者)
 2008年3月、無期懲役が確定。鄭を帰国させ療養させていれば、措置入院は出来なかったのかーー手立てはあったはずだ。
 父親の実家の庭で独り遊ぶ、娘の姿が今も忘れられない。

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小林俊之(こばやし・としゆき)
1953年、北海道生まれ。30歳を機に脱サラし、週刊誌記者となる。以降現在まで、殺人事件を中心に取材・執筆。帝銀事件・平沢貞通氏の再審請求活動に長年関わる。