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母の日の前に

皆さんこんばんは!
息子が金曜日に予防接種3回目だったのですが、そのせいもあってか今日は調子がちょっと悪そうで、心配でしたが、寝付いてくれました!

息子がこの世に生まれてきてもうすぐ4カ月になりますが、この4カ月はあっという間に過ぎてしまったなと思う位、成長をして色々な表情を見せてくれています。

お腹の力弱くて、刺激をしないと便がでないので、毎日沐浴前に必ず刺激をするのと、肌にトラブルができやすいので、毎朝身体を拭いて保湿をするのと、沐浴後に保湿をするのですが、最近は保湿を嫌がって凄い泣き出すこともあります。笑

でも、思った以上に静かでよく寝てくれる子なので、夜とかはとても助かりますし、朝もほぼ規則正しく起きてくれますので、手のかからない子なのかなとも思います。

僕が小さい頃はどうだったんだろう・・・?
と考えると、他界した母も生前に

『姉は煩くていつも騒いでいたけど、あなたは静かで大人しい子だった。』

と言われていた記憶を思い出しました。


母の日の前に
久しぶりに母のことを考える機会があり、noteに書きたいなと思います。


◆この記事はクロサキナオさんの企画参加記事です◆
#クロサキナオの2024MayMuses
https://note.com/kurosakina0/n/ndf3a3c7b1328

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熊本の田舎

幼少期、僕は熊本にある、今はもうなき母親の田舎で過ごしましたが、同じ歳のいとこと、ギャンブル好きのおじいちゃんと、母親の姉と、なんでかはわかりませんが良く花札をしていた記憶があります。

未だに花札のルールを覚えているのはその幼少期の記憶があるからでしょう笑
赤短・青短・猪鹿蝶・花見で一杯・月見で一杯・雨四光とか、未だに何も見ずともわかりますし、幼少期の記憶って本当に凄いなぁと思います!

東京の生活

東京に帰ってきてから、幼稚園に入ると、母親も父親も共働きで仕事をしていて、大体朝と夜以外は家にいなかったので、父の母である99歳まで生きたおばあちゃんに良く遊んでもらっていました。

戦争の話を良くされました。
疎開の話、東京大空襲の話、今やもうその時の体験を語れる方はそんなに多くはないと思うので、おばあちゃんに体験談を聞けて戦争や争いって本当にダメなことなんだと心から思えたことも、今思えばとても貴重な体験だったなと思います。

小学校に上がり、僕はと言えば、学童クラブに入り、小学校の授業の後は学童で夜18時迄、けん玉、コマ、校庭開放で竹馬、一輪車、野球・サッカーなどをするのが日課になり、新しい友達も沢山出来ました。

18時過ぎに家に帰ると母はいつもご飯を作って待っててくれました。

母も17時まで都会のホテルで働いていたので、疲れている中、いつもご飯を作ってくれてたことは本当に感謝しなきゃいけないことなんだなと、大人になってからようやく母の偉大さに気付きました。

しかしながら今の僕が思うところ、母は料理があまり得意ではなく笑、おおざっぱな性格も起因してか、見た目も味も・・・って思う料理は多かったですが、卵料理だけは絶品で、卵焼き、オムライスなどは本当に美味しかったなと思います!

父が小学校時代は殆ど家にいないと言うか、夜寝静まった時に帰ってきて、朝は起きる頃にはもう出かけてしまうと言った感じで、あまり父との時間を平日は過ごすことはなく、母と過ごすことが多く、そこで卵料理とか教えてもらった記憶があり、だから今も料理が好きなのかなとはなんとなく考えます。

母の日にいつだったかカーネーションと手紙を送った記憶があります。

『お母さん、いつもありがとう!』

絵とその言葉しか書いてなかったと思いますが、すごく喜んでくれた記憶があります。


いつの日か、中学校・高校と上がり、母への感謝とかも少なくなって、友達と遊んだり、PSを部屋に閉じこもってしたり、そんな状態が続き、大学時代に久しぶりに母と真面目に話したことが

大学辞めようかなと思う。

という話でした。

その時は音楽に夢中で、大学へ行っても勉強はそっちのけで、部室に籠りギターを弾いて、帰ってきても夜は家にはいなく路上ライブ、路上ライブの日々、大学を辞めようと思ったのは事実でしたが

その時に
『大学は絶対に出た方が良い!』
と一生懸命説得されたのを覚えています。

大学を辞める選択、続ける選択、結局僕は続ける選択をとり、ゼミの卒論とかも最後まで取り組み大学は出ることができましたが、その後はフリーターと音楽の生活を続け、

正直母はこの時どう思っていたかはわかりませんが、
音楽も自分のやりたいことが全部でき、真面目に就職しようと、母に連絡した時に、母は凄く喜んでくれた記憶があります。

母は僕に真面目に生きて欲しいといつも言葉には出してはいませんでしたが、思っていたのは事実だと思います。

その後初めての正社員での就職先が結婚式場でのフレンチで、あまりのブラック環境だったため、二ヶ月で辞めた時も、母は逆に経験できて良かったんじゃない!と言って労ってくれました。

そして月日が経ち、母は癌にかかりました。

そして癌にかかった時から、母は毎日日記を書いていました。

その日記は母が癌で他界した後に、母の部屋の押し入れの中で見つけて、手に取って1日それを見ていました。


その日記には、姉や僕が実家に遊びに来た日は、とても楽しそうな日記が書かれていて、離れていてもやっぱり母はいつも姉や僕のことを考えてくれていたんだなと涙を流しながら思いました。

そんな母が亡くなって2年目の母の日がもう数分後にやってきます。

5月12日の母の日だけは母を想い出し、感謝の気持ちを伝えたいです。

そして母となったパートナーにも、感謝したい。


有難うございます!


みなさんにとっても母の日が、特別な感謝の日であることを心から願っています。



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