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レディオヘッドとかが好きな音楽の根幹にある奴は創作で苦労する

 私は、中1の時に初めてレディオヘッドの「Paranoid Android」を聴いた。確か、当時流行っていたRADIO FISHを聴こうと思ってApple Musicを開き、再生ボタンを押したら、流れてきたのは小気味の良い重低音響くEDMではなく、薄気味の悪いアコースティックギターと不気味で薄暗いトム・ヨークの歌声だった。その時、曲を止めていればよかったのかもしれない。しかしその時の私は、彼らのその奇妙な世界観に驚くと同時に、吸い込まれるような魅力を感じてしまったのだ。どこの国のものだかよくわからない楽器がいっぱい聴こえてきて、聴いたこともないような奇怪なコード進行がひたすら展開し、でもそのカオスの中心で黒く輝くジョニー・グリーンウッドのリフとソロがひたすらに私の心を掴んだ。
 それから私は、彼らの作品群を聴き漁り、同時に彼らが影響を受けた音楽や、影響を与えた音楽も聴きだすようになった。彼らの作風はアルバムを出す毎に大きく変化するのだが、20世紀は王道のUKオルタナ・ロックを順当に進化させ、その中でも「OK CONPUTER」などでそのオルタナ・ロック性が境地に達したといえるが、その次回作「KID A」では、それまで培ってきたロック性というものを、サウンドにおいては完全に捨て去り、エレクトロ二カに傾倒したのである。この現象について、当時は大ヒットした前作からのあまりのバンドの方向性の転化ぶりに、「商業的自殺」とまで言われた。結果的にセールスを見れば、前作にも劣らぬ大成功に終わったのであるが、その後彼らの作風はエレクトロニカを出発点としつつあっちへ行ったりこっちへ行ったりする。しかし、アルバムを出す都度、彼らのアルバムは売れるのである。彼らはいつしか、オルタナティブという言葉の本来の意味、「型にはまらない」、「既存の概念を打ち壊す」という意味において、代名詞とも呼べる存在となっていった。これは、彼らの才能の結果以外の何物でもない。
 しかし、それを聴いてきた自分はどうかと言えば、彼らの影響を受け、エレクトロ二カも聴いたし、ジョニーの影響を受けて映画音楽や現代音楽も少しは聴くようになった。それから、彼らが影響を受けたアーティストのさらに影響を受けたアーティストも聴くようになり、決して網羅的ではないが、多岐にわたるジャンルの音楽に触れてきたとは思う。
 そこで、私は作曲をしようと考えた。これまで聴いてきた様々な音楽を自分の血肉として、新たな曲に顕現させるのだ、私はそう考えた。しかし、私にはそれだけの音楽をまとめ、独自のものにする力はなかった。現代の日本において評価されるのは、レディオヘッドのようにあらゆる音楽性を持つ音楽を聴いてきた凡人が作る曲よりも、特定のジャンルのみを聴いてきて、その畑の住人が喜ぶツボを知り尽くした凡人が作る曲なのだ。レディオヘッドのような存在には、とてつもない才能か、とてつもない努力がなければ辿り着けないのだ。
 今日も何かしら音楽を聴いているけど、明日や明後日は全く別の音楽を聴いている。それは、全く不思議なことではなく、当たり前のことである。しかし、自分がプレイヤーと自覚した瞬間、その多岐性は創作において強力な武器にもなりえるし、強大な敵にもなりえるのである。


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