ホワイトニング殺人事件

高瀬 甚太
 
 
 「先生、今朝の新聞、見ましたか?」
 早朝、深い眠りの中にいた北条隼人は、枕元に置いていた電話の呼び出し音で目が覚めた。電話の主は東中安紀子だった。安紀子の甲高い声に苛立ちを覚え、
「何時だと思っているんだ!」
と怒鳴りつけた。
時計の針はちょうど六時を指していた。安紀子は憮然とした声で、
 「だって先生、殺されたのは葉山洋子さんですよ」
 と言って電話を切った。 
 
 葉山洋子はテレビドラマ『愛の非常線』のヒロインで人気を得た、今、売り出し中の女優だ。清楚な雰囲気とモデルを思わせるスタイル、しかも演技力があることでも評判だった彼女は、この作品で一気にブレイクした。
 大阪出身の彼女は、大学生の頃から北条隼人の経営する北条歯科医院に通院し、治療を行っていた。その縁もあって、東京から来阪した時は必ず北条の医院に立ち寄り、ホワイトニングの治療を受けていた。
 ホワイトニングとは歯を白くする治療のことをいう。昔、『芸能人は歯が命』というCMがあったが、白い歯にこだわりを持つ人は芸能人でなくても多い。特に女性に顕著だった。
 
 北条の元に斉藤警部補が部下を伴ってやって来たのは葉山洋子が殺害された翌日のことだった。
 勢いよくドアを開けて入ってきた斉藤警部補は、治療中の北条の前に立つと、改まった様子で、
「北条隼人、葉山洋子殺人事件の重要参考人として事情聴取する」
と宣言し、有無を言わさず北条を任意で大阪府警に連行した。
 驚いたのは東中安紀子たちスタッフだ。訳がわからないうちに署員数人が現れて、北条を拉致して連れ去ったのだ。理由がわからないまま、連行されて行く北条を安紀子たちスタッフは、ただ見守るしか術がなかった。
 事情聴取を受けた北条は、なぜ自分が重要参考人なのかを改めて斉藤警部補に訊ねた。
 斉藤警部補は、北条歯科医院の顧客の一人である。普段はくだけた調子で話す斉藤警部補が、署内では打って変わって厳格な調子で、北条に問いただした。
 「北条、葉山洋子はお前の患者だっただろう」
 高圧的に言い放つ斉藤警部補に、北条もまた神妙に答えた。
 「はい、確かに葉山洋子は私の患者ですが――」
 「葉山洋子の死因を調べているうちに、彼女の歯から死の直接の原因となったと思われる毒物が確認された。毒物についてはまだ検証中だが、どちらにしても歯に毒物を細工することが出来るのは歯科医である北条、お前をおいて他にない」
 机をドンと叩いて北条に迫った。
 「そうですか、それでようやくわかりました。私がここへ連れて来られた理由が――」
北条は得心した眼差しを斉藤頸部補に向け、
「あまりにも短絡的な推理だと思いますがどうでしょうか」
と、冷静な口調で答えた。
 「短絡的だろうが何だろうが、葉山洋子は、毎回、大阪へやって来ると必ず北条歯科医に立ち寄り、ホワイトニングの治療を受けている。そのことはすでに葉山のマネージャーに確認している。殺害された日の午前も、彼女はいつものようにホワイトニングの治療を受けたのだろう。その際、おまえが葉山の歯に毒を仕込み、殺害した。どうだ、北条、言い訳ができるか!」
 斉藤警部補の甲高い声が狭い取調室に大きく響いた。
 北条は、しばらく黙していたが、やがておもむろに口を開くと、
 「私がなぜ患者である葉山洋子さんを殺さないといけないのですか?」
 と、斉藤警部補に問い返した。斉藤警部補は少し戸惑いながら、
 「そ、そりゃあ、お前と葉山洋子との間に男女の関係があったからや。その関係を清算するためにお前が殺した」
 と言って再びドンと机を叩いた。
 「私と葉山洋子が関係があった? なぜ、そう思うのですか? 何か確証でもあるのですか」
斉藤警部補が苦々しい表情を隠そうともせず言い放つ。
 「今はないが、そのうち必ずあぶり出す」
北条は、あくまでも冷静に斉藤警部補に答えた。
 「確かに私は彼女を大学時代から担当してきました。大学を卒業してからも彼女は私の患者でした。ですが、おかしいですね。彼女が亡くなった昨日、私のところへ彼女は来ていませんよ」
 「来ていないだって?」
 「調べていただいたらわかります。彼女は大阪へ帰って来るといつも真っ先に私の医院へ治療を受けに来るのですが、昨日は来院していません。医院へきていないわけですから治療は行っておりません」
 斉藤警部補は急に難しい顔になり、
 「そうなのか……。わしの調査によるとだな。昨日も先生のところへ来ているはずなのだが――。そうか、北条先生のところへは行ってなかったのか」
 斎藤警部補は、腕を組むと急にウロウロし始めた。
 「だが、被害者は歯に細工された毒性のものによって殺害された。それだけははっきりしている」
 北条は斉藤警部補を凝視して言った。
 「それだけの理由で私を犯人扱いしてここへ連れて来たのですか?」
 斉藤警部補はますます困った顔になり、ごま塩頭をぼりぼりかきながら、
 「しかし、歯のことですからね、先生が怪しいと思うじゃないですか」
 急に弱気になり、大きなため息を一つついた。
 「私の疑いは晴れましたよね。斉藤警部補」
 北条の言葉に斉藤警部補は、目を閉じて、
 「取り合えず本日は帰ってよろしい。ただし、疑いは晴れたわけではないぞ」
 と言うと、言葉とは反対に北条に向かって深々と腰を折った。
 
 北条は、葉山洋子の死の全貌をその日のテレビのニュースで知った。
 ――葉山洋子が、東京から大阪へ来阪したのが昨日の午前11時、新幹線で新大阪へ到着した葉山洋子は、マネージャーを伴ってKテレビに直行した。そこで昼のワイド番組にゲストとして出演し、初の主演映画『涙風吹く最果ての地で』の番宣を行っている。Kテレビで昼食を取った葉山は、その後、Yテレビの三時のワイドショーに出演、同じく主演番組の番宣をし、その後、三〇分の休憩を取った。この三〇分の休憩時間にはマネージャーは帯同しておらず、葉山洋子は単独で外出している。その際の行き先、目的地について、葉山洋子は誰にも伝えていない。
その後、Mテレビに出発するため、マネージャーはホテルニューオータニのロビーで予定通り葉山洋子を待ったが、待ち合わせの時間になっても葉山洋子は現れなかった。
 マネージャーはすぐに葉山の携帯に電話を入れたが、呼び出し音はするものの応答がなく、不安に駆られたマネージャーは行き先の心当たりを探して電話をしたが、誰も葉山の行方を知っていなかった。心配になったマネージャーは、出演予定のMテレビに電話を入れ、その足で警察に事情を話し、捜索してもらうよう依頼した。
 その後、事態は大きく動いた。葉山洋子の遺体が、ホテルニューオータニからそう遠くない大阪城公園市民の森で、ジョギング中の市民ランナーによっ発見されたのだ。それがその日の午後十一時だった。
 死因が確定されたのは翌日の午前十時、歯に細工された毒性のものによって死に至ったことがテレビのニュース、新聞などで大々的に報道された。
 大阪府警捜査一課は、葉山洋子の休憩時間の行き先について署員を増員し捜査を開始した。三〇分しか休憩時間がない。だからそんなに遠くへ行くはずがないというのが捜査員の一致した意見だった。
 Yテレビは大阪ビジネスパークの中にある。Mテレビは梅田に近い茶屋町にあった。近いとはいえ、車で移動する場合、混雑を加味しても二、三〇分は充分にかかる。葉山はYテレビからそう遠くない場所に出かけている、その確信はあったが、思ったような収穫が得られなかった。有名女優である葉山洋子の目撃情報がまるで集まらないのはおかしい。彼女はどこへ行ったのか、懸命の捜査が続けられた。
 
 斉藤警部補が北条の医院にやって来たのはそんな時だった。
 先日、北条を重要参考人として警察に引っ張った張本人であるにも拘わらず、斉藤はのうのうと医院にやって来て、いつものように午前の診察終了時間ギリギリに受付も通さず強引に診察室へやってくると、大きな口を広げて、空いている診察台に座った。もちろん北条は他の患者の治療中であった。
 患者の治療を終えた北条は、斉藤警部補に治療用の椅子に座るよう促した。斉藤の歯は虫歯のない歯を探すのが難しいほど健康な歯が少なく、その分、口臭も強かった。治療するだけ無駄だと思われる歯もあったが、それでも北条は根気よく斉藤の歯の治療に取り組んだ。
 「先生、昨日は申し訳なかった。わしの早とちりで先生を引っ張ってしまって」
 北条は何も言わず治療の用意をし、斉藤の口から放たれる悪臭を防ぐために強力なマスクで鼻と口を覆った。
 「先生、わしでもホワイトニング出来まっか?」
 北条は一瞬、吹き出しそうになった。斉藤の歯は、ホワイトニング以前の歯で、問題外であったからだ。
 斉藤は極めて特殊な例だが、斉藤ほどひどくないのにホワイトニング治療が出来ない人もたまにいた。無カタラーゼ症という、薬剤に含まれる過酸化物を分解する酵素を持たない人がそれだ。知らずに薬剤を使ってしまうと薬剤を分解出来なくなり、体内に薬剤が残留してしまい健康問題が発生する。
 また、歯が成長する過程で、エナメル質や象牙質形成不全の人も危険だ。そうした人にホワイトニングを行うとホワイトニングの効果が期待出来ないばかりか、歯の神経にダメージを与えてしまう。
 「無理です。あなたの歯では」
 マスク越しに北条が言い放つと、斉藤は、
 「歯が白くなったら少しはモテるかもしれんのになあ」
 と鏡に自らの歯を映しながらひとりごとのように言った。
 北条は斉藤のごま塩頭を力一杯抑えつけると、歯の治療を開始した。痛みに耐えかねて奇妙な叫び声を挙げながら斉藤が悶絶した。
 治療を終えた後、いつも斉藤は、現在自分が扱っている事件について北条に話をするのが習慣になっている。この日はもちろん葉山洋子の事件だった。
 事件の内情を警察関係以外の人間に話すのは違反行為だが、斉藤はこれまで北条の助けを借りて多くの事件を解決してきた経緯がある。それもあって、北条に事件の推移を話して聞かせた。
 「葉山洋子はYテレビから近い場所で殺されている。ただ、発見された大阪城市民の森が殺害現場かどうかは疑わしい。と言うのは、歯に仕組まれた毒によって殺害されているからや。暴力的な殺害ならまだしも毒を仕込んでの殺害となると他の場所で殺されて運ばれた可能性も否定できない。現在、鑑識が現場を調査しているが、いずれわかるだろう。
葉山洋子は午後五時に、マネージャーに断って休憩を取り、そのまま行方をくらましている。Yテレビも三〇分後の待ち合わせ場所のホテルニューオータニもビジネスパークにある。死体が発見された場所も同じ地域だから誰が考えても、葉山洋子は、この周辺で殺された可能性が高い。だが、肝心の目撃者がいない。タクシーに乗った可能性もあり、調べてみたが重要な証言は得られていない。現在、聞き込みを行い、周辺をくまなく調査しているが、未だに有力な情報は得られていない。これが事件の全貌だ。先生、どない思われます?」
 斉藤警部補の説明を受けた北条は、斉藤に質問をした。
 「葉山洋子は実に魅力的な女性です。しかも恋人がいてもおかしくない年頃です。彼女の交際関係について調べましたか?」
 斉藤は手帳を開くと、書き留めたメモを見ながら話し始めた。
 「噂になっているタレントの汐見ひとしは、東京にいてアリバイがある。マネージャーに聞いても、その他にこれといって交際している男は浮かび上がって来ない」
 北条は天井を仰ぐと、ひとりごとのように何事かつぶやき、しばしの沈黙の後、斉藤に視線を落として言った。
 「確かに彼女は女優のわりに品行方正と聞いています。だが、二十七歳の成人女性だ。しかも魅力的な女性ときている。男の噂が極端に少ないというのはおかしい気がしますね」
 「そうなんですわ。わしもそう考えて調査をしたのですが、まるっきり男の影が見つからへんのです」  
 北条への礼儀からか、斉藤にしては珍しく標準語と大阪弁を交えて話す。北条に敬意を払う気持ちが少しはあるようだ。
 「彼女は三〇分を想定して休憩を取ったのですよね」
 「そうです。Yテレビを出てマネージャーとの待ち合わせがホテルニューオータニ。そう遠くへ行っているはずはないのやが――」
 斉藤の話を聞いた北条は、突然、思い出したようにパソコンに向かい、キーを操作し始めた。
 「先生、何してまんのや。まだ、話、終わってまへんで」
 無視されたと勘違いした斉藤は、大阪弁丸出しで北条に抗議した。
 しばらくパソコン画面を凝視した北条は、斉藤に向かって、
 「警部、ビジネスパーク周辺の歯科医院を急いで調査してください」
 と言った。
 斉藤は驚いた表情で、北条に聞く。
 「ビジネスパークの歯科医院?」
 「そうです」
 「何でまた歯科医院の調査をするんですか?」
 北条が、斉藤に向かって説明をする。
 「彼女は大阪へやって来たら必ず私のところへやって来てホワイトニングの治療をします。それだけ彼女は白い歯にこだわりを持っているからです。だが、今回は私の元へ来なかった。時間がないからという理由もあるでしょうけど、それだけじゃないような気がします」
 「……」
 斉藤は神妙に北条の話を聞いている。
 「今回、彼女は私ではない新しい歯科医のところへ行ったのではないかと思われます」
 「なんでまた?」
 「その歯科医が彼女の恋人だと思うからです」
 「えっ…!」
 斉藤が素っ頓狂な声を挙げた。
 「マネージャーにも気付かれず、マスコミにもかぎつけられなかったのは、歯科医院に治療という名目で通っていたからではないかと思われます。どこで出会ったのかはわかりませんが、それを隠れ蓑にしていたのではないでしょうか」
 「でも、先生のところへ通院していたのでしょう? 彼女は」
 蒲生は、診療カルテを手にし、
 「ええ、私のところへも通っています。だが、どうやら私のところだけではなかったようです。調べてもらったらわかると思いますが彼女は売れっ子ですからここ最近、頻繁に大阪へやって来ているはずです。しかし、私のところへはここ二ヶ月で三回ほどしか来ていません。先程も言いましたが、彼女は白い歯に尋常ではないこだわりを持っています。その彼女が何日もホワイトニングをしないで済ますとは考えられません」
 北条の説明に納得したのか、斉藤は携帯電話を手にし、
「Yテレビからホテルニューオータニ周辺の歯科医院を捜査しろ。どこかの医院に葉山洋子の痕跡が残っているはずだ。調べろ!」
と大声で部下に指示をした。
 
 事件から三日、葉山洋子殺人事件はスピード解決した。
 犯人は宮本篤史、歯科医院を経営する三五歳の男だった。北条の指摘通り、Yテレビとホテルニューオータニ周辺の歯科医院を捜索した結果、宮本医院の診察カルテの中に葉山洋子の名を見つけた。
 
 ――二年前の夏、葉山洋子は新番組の準備のため忙しい日を過ごしていた。これといった話題作もなく、映画やテレビドラマの脇役を演じてきた葉山にとって新番組の主役に抜擢されたことは彼女にとって最大のチャンスのように思えた。
 番組プロデューサーが葉山に目を付けたのは、大阪限定の不動産のCMに彼女が出演しているのを見たことがきっかけだった。その時、プロデューサーが惹かれたのが葉山の笑顔だった。印象深い彼女の白い歯がプロデューサーを虜にした。
 オーディションを経て番組の主役に抜擢された葉山は、プロデューサーの期待に応えるべく演技力と清新な魅力を発揮し、番組スタッフを大いに喜ばせた。
 番組のオンエアは翌年の四月で、半年に渡って放送されることになった。ドラマは、薄幸の女性が幾多の困難に立ち向かい、明るく逞しく生きるという、よくある内容ではあったが、彼女の演技が功を奏し、近年にない素晴らしいドラマと評され、案の定、放送が開始されると、最初のうちこそ凡庸な視聴率であったものの、回を追って上昇し、最終的に三〇パーセントに近い数字をたたき出し、この年一番の人気番組になった。
 一躍、時の人となった葉山は、様々なメディアに取り上げられるようになり、彼女の周辺にはスキャンダルを狙うパパラッチが取り囲むようになった。
 だが、不思議なことに彼女には、まったくと言っていいほどスキャンダルがなかった。唯一、アイドルタレントの汐見ひとしとの仲が噂になったが、それも汐見側が葉山洋子の人気を当て込んだネタ作りであることが判明し、葉山洋子の人気はさらに不動のものとなった。
 急遽、ドラマの映画版が制作されることになり、葉山洋子は映画女優としても引っ張りだこになった。また、他局による新番組のドラマ出演のオファーも殺到し、葉山洋子人気は一大ブームの兆しを見せていた。
 一躍、人気女優となった葉山だったが、彼女には一つだけ、誰にも言えない秘かな悩みがあった。
 それは妻子ある男性との恋で、その交際はすでに三年に及んでいた。
 女優としてまだ芽が出ていなかった彼女は、東京の俳優養成所に通い、演技力を磨きながら週に二、三度、歯科医院でアルバイトをし、そこで同時にホワイトニングの治療を受けることがあった。
 その歯科医院は、院長が歯科医としてメディアにも度々登場するほどの有名歯科医で、医院自体も規模が大きかった。勤務医七名を含めたスタッフが十五名、その医院で歯科医として働いていたのが宮本篤史だった。
 大阪出身の葉山は、同じ大阪出身の宮本と同郷のよしみで懇意になり、一緒に食事をしたり、休みの日に二人で出かけるようになった。この時はまだ、葉山にとって宮本は、単なる友人の一人であり、特別な間柄ではなかった。
 葉山は、歯科医に対する特別な思い入れがあり、それを知った宮本は、言葉巧みに葉山に近付き、やがて親密な交際に発展した。
 宮本との交際は順調にすすみ、やがて彼女は女優をあきらめ、宮本との結婚を真剣に考えるようになった。
 だが、宮本には妻子があった。葉山がそのことを知った時、すでに半年が過ぎていた。
 彼女は宮本の不誠実さに呆れ、すぐに別れる決心をするが、宮本の方がそれを許さなかった。
 やがて、葉山に主演ドラマの話が持ち上がり、それと前後して宮本は大阪へ帰って歯科医院を立ち上げることになった。
 別れることを前提に葉山と宮本は内密に何度も話し合うが、妻子と別れて葉山と一緒になるという彼の言葉に心を動かされたこともあり、以後もずるずると関係が続いた。
 葉山洋子の名が一般に知れ渡るようになると、二人で会うことが難しくなった。そこで一計を案じた宮本が、大阪へ来た時、自分の歯科医院に来ればいいと提案。彼女と会う日は、歯科医院を休診にして、そこで彼女のホワイトニング治療を行い、その後、二人だけの時間を作ると葉山洋子に約束した。
 人気女優としてスポットライトを浴びるにつれ、葉山洋子は宮本のことが疎ましくなってきた。しかも、宮本は医院を開院するにあたり、妻の親元から多額な出資をしてもらっていることがわかった。妻と別れる気など毛頭ないのだ。すでに心が冷えていた彼女は、一日も早い、宮本との別れを決心した。
 だが、彼女が別れを切り出すと、宮本は、彼女に対して異常な執着をみせるようになった。挙げ句の果てにベッドの中の二人の写真を世間に公表すると言い始め、あからさまな脅しで彼女との仲をつなぎ止めようと必死になった。
 しかし、一度離れた心はもう二度とは戻らなかった。宮本に手切れ金を用意した彼女は、テレビに出演した後に会う約束をし、そこで決着をつけようと宮本に通達した。
 一千万円のお金を用意する代わりに写真の元データその他一式と今後、一切近づかないということを約束するというのが葉山から宮本への最後通告だった。
 事件当日、誰にも見つからないように変装し、宮本のところへやって来た葉山は、用意した現金を宮本に渡した。
 それで全てが終わりになるはずだった。だが、宮本は土壇場になって心変わりをした。彼女に最後の性交を迫ったのだ。宮本は彼女を診察ベッドに押さえつけると嫌がる彼女を無理矢理犯そうとした。しかし、彼女は激しく抵抗した。キスさえも許そうとしない彼女に、宮本はようやく彼女をあきらめたのか、別れを承諾した。
 宮本が納得したことに安心した彼女は、宮本から写真の元データ他一切を受け取ると、急いでその場を去ろうとした。
 その時、宮本が声をかけた。
 「最後にきみの白い歯をもう一度だけホワイトニングさせてくれないか」
 今までの罪滅ぼしでもあるかのように宮本は言った。
 一瞬躊躇した彼女であったが、相次ぐテレビ出演で歯が気になっていた。蒲生のところで治療を受けるにしてもせいぜい明日の午後になる。それまで自慢の白い歯がどうなるか不安だった。すぐに変色したり、歯がどうかなることはないと思いながらも、白い歯に特別なこだわりを持つ彼女はつい、ホワイトニングを承諾してしまった。
 宮本は笑顔で葉山の治療を始めた。いつものようにホワイトニングに使用する液を用意すると、そこへ少しだけ青酸カリを混ぜた。
 
 「宮本は今、歯科医として恥ずべき行為をしたと取調室で懺悔しているそうです。葉山のことが本当に好きだったようで、写真の件もそれらしくは見せていたが、葉山の写真ではなかったようです。彼女の心をつなぎ止めるために嘘を言っていたんですね」
 治療を終えた斉藤が悪臭をまき散らしながら話すのを北条は静かに聞いていた。
 「青酸カリで苦しむ彼女を眺めながら一体、宮本は何を考えていたんでしょうかね。しかも、その遺体をわからないようにシーツに包み、運搬用のエレベーターを使って車に運び、捨て場所に困って近くの市民の森に放置する――。二人の関係が誰にも知られていないといえ、心底愛した女に対して出来ることですかね、ほんと……」
 北条は椅子から立ち上がると、斉藤に向かって言った。
 「歯科医が歯科医であることを武器に人を殺すなんて、理由はどうであれ、許されることではありません。歯科医は歯の治療を基本に患者を幸せにする仕事です。患者を不幸にしてはいけない仕事なのです」
 「でも、先生、歯科医が犯人だとどうしてわかったんですか?」
 北条は、笑って言った。
 「それは私が歯科医だからですよ」
 斉藤は、ごま塩頭を振りながら治療室から出て行った。
 それを見届けたスタッフの安紀子が治療室にそっと顔を出し、北条の側に近づいた。
 「やっと帰ったわね、ゴリラ男。本当に嫌な奴。ねえ、先生、葉山洋子さんが自分に気があったなんてこと、考えませんでした?」
 北条は驚いたような顔をして安紀子を振り返ると、
 「何てこと言うんだ。亡くなられた葉山さんに失礼だぞ」
 と叱るように言った。
 「だって、葉山さん、東京へ行ってからもこの医院へ、大阪へ来た時は必ずここに通っていたでしょ」
 「それは彼女が白い歯にこだわって、ホワイトニングを欠かさない人だったからだよ」
 「そうかしら、それもあるでしょうけど、そればっかりじゃなかったと思うわ」
 「変な奴だなあ、どうしてそんなこと思うのだ」
 「だって、あの宮本という男と付き合うようになったのも、そもそもは先生が原因じゃないかしらと思うから」
 「はぁ?」
 「歯科医の北条先生に憧れていた――、その結果じゃなかったかと思うんですよ」
 「何をバカなこと言ってるんだ」
 「女性の私にはよくわかるんですよ、彼女の気持ちが……」
 「勝手に言ってろ」
 北条は言葉を投げ捨て、治療室から出て行った。
 北条の後ろ姿を見つめながら、安紀子は、この医院で働き始めてずいぶんになるのに、北条がどういう人物なのか、実際のところあまりよく知っていないことに気が付いていた。事件の調査も悪くはないけれど、北条隼人の調査も悪くないな、そう思いながら安紀子は北条を追って部屋を出た。
〈了〉
 
 


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