頭痛薬を開発した人に心から感謝する

頭痛はつらい。そして、そのつらさは本人にしかわからない。

熱が何度だとか、血が出ているとか、外側から見てわかるようなところがないので、周りにはそのつらさが伝わらない。伝わりにくい。


子供の頃、置き薬の箱に結構な量の頭痛薬が入っているのが不思議だった。うちでは誰も使わなかったし。ただ、頭痛に悩まされる方は、結構な使用量になるんだろうと、今なら想像できる。

置き薬で思い出したけど、僕が子供の頃はいわゆる薬の行商さんが年に一回訪れていた。たぶん「富山の薬売り」だったんだと思う。びっしりいろんな種類の薬が詰め込まれた籠を背負ったおじさんだった。家の置き薬の木箱を調べて、一年間に減った薬を補充し、使った分の代金を徴収する。必ず風船を置いていってくれるのが楽しみだった。

いつの間にか置き薬の木箱がなくなり、農協のプラスチックの箱に替わっていた。代替わりが出来なくなって、農協がそのシステムを譲り受けたのだろうか。残念なことに、風船をもらうこともなくなった。


ドラッグストアが田舎にまで進出したのは、ほんの20〜30年前くらいじゃなかろうか。街の病院に行くのさえたいへんだった時代には、置き薬は重宝した。なにか困ったことがあっても、薬箱を開ければ何かしら使えそうなものがあった。

これって、家の中にちょっとしたドラえもんがいるような感じだと思う。


薬箱には、使ったことのない薬がたくさんあって、いろいろ開けてみたかったんだけど、開けたら最後お金がかかるので、流石にそれは許されなかった。

頭痛薬なんか誰が使うんだろうと思っていたころが懐かしい。

いまは躊躇なく、いただいています。