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平成以降、プロ野球のエースの歴史を見ながら平成、令和のピッチャーのレベルについて検証する。

こんばんはジンと申します。
今回はプロ野球のエースがどのようなレベルで変遷して行ったのか、その流れを歴史と共に振り返っていきたいと思います。

とは言っても昭和(1988年以前)は資料も少ないので、近代野球から振り返っていきたいと思います。

平成初期のエース 150キロがマックスで出ればエースの時代

この時代はまさに「スピードガンがあるためわかりやすく現代と比較しやすい昔の時代」と言える時代です。
大エース格の右腕でもストレートで130キロそこそこを出すのは当たり前。
また変化球も145キロ+一球種決め球があればいい、という感じの時代のようです。

防御率1点代前半で伝説を残した伊藤智仁

平成初期のエースといえば、映像が残っている中でいえば代表的なのは伊藤智仁でしょうか。
伊藤智仁はMAX153付近ですので、先発時のアベレージで言うと140キロ中盤くらいでしょうか。キレの良いストレートと大きく曲がるスライダーのみで抑えていた2ピッチピッチャーで、短期的にとはいえこのレベルなら1.07を残せてしまうのが当時のプロ野球界だったのかもしれません。

1993年の伊藤智仁 https://number.bunshun.jp/articles/-/838837

大リーグで通用した野茂英雄

また、日本人で実質的に初めて海を渡ったエースが野茂英雄です。彼は140キロそこそこのストレートとフォークの2球種のみで先発をやっていました。これもまた当時のピッチャーで速いと言うことがどれだけアドバンテージなのかを教えてくれます

大リーガー野茂英雄 https://news.yahoo.co.jp/articles/d5bbe618cfae7a05bcbb081a5783f170c37f575c


また、平成の大エースといえば20勝を記録した巨人・斎藤雅樹ですが、彼の映像を見るとストレートは130キロ後半〜140キロちょっと、カーブは120キロのサイドスローですので、90年代は150キロ出ることや緩急をつけられること、コントロールをつけられることがかなりアドバンテージであることが伺えます。同時代を生きた桑田真澄ピッチングコーチが「やっぱりピッチャーはコントロール」と言ってしまうのも仕方ないかも?

平成の初期の20勝投手 斎藤雅樹

00年代前半のエース 〜松坂事変〜

スタッツ的には長らく斎藤雅樹と野茂英雄(MLB)の二強時代が続きますが、ここに来て革命が起こります。
それが1998年の甲子園でフィーバーを巻き起こし、1999年にプロ野球界に旋風を巻き起こした松坂大輔の登場です。
ここからプロ野球界は劇的に変化していきます。

平成の怪物 松坂大輔

松坂は高卒新人にしてMAX155と回転軸の良いストレート、変化軌道も独特の高速スライダー、縦に割れる独特の軌道を持つカーブ、フォークの三球種を操る、まさに当時としてはまさに怪物とも言えるピッチャーです。
上記のピッチャーと比較しても、まさに革命をもたらしたと言っても過言ではない存在ですね。
当時の防御率は2点代後半や3点代を記録していますが、当時はラビットボールという飛ぶボールを採用しており、30本や40本が当たり前に出て3点台で最優秀防御率になれる時代に生まれたのは不運だったかもしれません。
傑出度としては、もちろん00年代前半ならトップクラスと言えるでしょう。

ウエイト時代によって生まれた大エース 斉藤和巳

また、この時期に台頭してきたホークスのエースが斉藤和巳です。
彼のインタビューによると、そろそろ首が危なくなってきたと感じてウエイトトレーニングを強化することにより、抑えられるようになったと語っています。
もちろんそこには球速の急激な伸びもあったようで、この時代には速い平均 140キロ中盤〜後半のストレート、そして何より140キロ超えのスプリットを併せ持っています。さらに鋭い高速スライダー、カーブと三球種持ち合わせているので、まさに力としては松坂に匹敵すると言っても良い存在だったと言えるでしょう。

00年代後半〜 ダルビッシュ田中将大の二強時代

この時代になってくると、松坂、上原、岩隈、黒田らが次々渡米、ダルビッシュと田中将大らへの時代へ大きく移り変わっていった時代となりました。

日本史上最強投手 ダルビッシュ有

ダルビッシュに関しては言わずもがな、入団3年目からずっと1点代を残し続けてきました。持ち球は入団後、数十球種に渡り、基本的な球種はスライダー、カーブ、フォーク、スプリット、ツーシームなどどれも決め球レベル。
渡米直前の2011年にはウエイトトレーニングによる増量も敢行し無敵に。
正直彼に関しては少し時代を超越した存在かもしれません。

24勝0敗 田中将大

田中将大投手は基本的にカットボール、スライダー、カーブ、フォーク、ツーシーム、チェンジアップと、ダルビッシュにそこまで多岐に渡る変化球は投げずオーソドックスなコントロール、変化球型投手で、そこに球速が140キロ後半出るという存在でした。
この当時で140キロ後半出るだけで相当すごいのに、決め球スプリットとコマンドの力で1点代をもぎ取っていたという印象があり、そこがダルビッシュほど時代の波は超えないかもしれませんが、もちろんMLBでも7年間活躍し続けた力はそのコマンド(ゾーン内における制球力)によるものだったと言っても過言ではないと思います。

2014〜平成の終わり〜160キロ時代突入へ

ダルビッシュ、田中将大の渡米を最後に則本と菅野を軸とした二強時代、そして時代は令和に向かって160キロがバンバン出て変化球も超一級品という時代へと変化していきます。

時代の悲運 則本昂大

則本はストレート、スライダー、カーブ、スプリット、身長等、質的には松坂大輔と変わらないにも関わらず、3点代になってしまうような「スピード、変化球共にこれでも通用しない」という時代に突入してしまいました。(松坂大輔は飛ばないボールになった2006年に2点代前半を記録している)

遂に出た日本人160キロ先発 大谷翔平

二刀流が何かと取り沙汰されがちな大谷翔平ですが、「日本人最速165キロ」もまた彼が持っていることを忘れてはなりません。
投球スタイル的には平均的に速い150キロ台〜160キロ以上のストレートと、ストレート、カーブ、フォークで抑えていくというスタイルです。
シンプルな力技で抑えられる求められる現代のレベルが、則本と比較するとこのくらいなのかもしれません。

158キロ級七色の変化球 山本由伸

また、山本由伸も新時代を象徴するようなピッチャーの一人でしょう。
平均球速は大谷翔平級の150キロ超え、カッター、スプリットもたまに150キロを超えてきて、独特な軌道を持つカーブも持っています。
また、ジャベリンスローの性質上球速が出やすいのにコントロールが良いというのも野球界に革命をもたらしています。

令和の怪物 佐々木朗希

「平成の衝撃」が松坂大輔なら、「令和の衝撃」を同じレベルでもたらしたのは佐々木朗希かもしれません。
平均は大谷翔平をも超える150キロ後半付近、マックス164キロでコントロールも良く、ストレートとフォークだけの2ピッチのみで打ち取れるピッチングスタイルはある意味現代では異質。
これで20歳とあればこれからの期待も高まるばかりです。

まとめ

いかがだったでしょうか?
普段から私が考えていることではあるのですが、正直「40、50代以上の指導者やOBが仮に90年代以前を基準に考えているのなら、現代に同じ野球理論は全く通用しないのでは?」と、振り返りながら思ってしまいました(笑)
もちろん功績は消えることはないのですが、令和のピッチャーは凄すぎますね……。

これからはバッターがどうやって前に飛ばしていくか?本当に160キロを当てられるのか?も重要な課題になっていくでしょう。

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