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エミル・ベルナール『ゴッホの手紙』切片

岩波文庫「ゴッホの手紙」を読んでいて気になった箇所があります。
著者エミル・ベルナールは友人で、ゴッホとの書簡において、詩もやりとりし、批評し合っていたことが伺われます。


「形式的な反逆者とほんとの自由主義者との間には雲泥の差がある。彼等のあいだのこの距離感が、落ち着かない気質を前者に感じさせ、そして本質的には時代の空気の中を浮遊するだけの理論で付け焼き刃の性格を無性にこしらえあげようとする」(pp.34)


例えばであるが、「距離感と居心地の悪さ」があとづけの理論を作り出すことと、あらかじめ、そのままでそこにある理論が、あとづけの形で存在するのかもしれない。

第九信
ゴッホはベルナールの詩の批評を同封したかどうかを失念したと言っている。

「君は社会とは卑しむべきもので、淫売婦は市場の肉を連想させると言っている。そんならそれでいい。淫売婦は肉屋の肉だとして、僕は馬鹿だが、よくわかりもするし、僕なりに感じられる、自分と自分の生活感情を想いださせもする。僕はあれが立派に書けていると認めるよ。良く響く韻と彩られた言葉は、非常な強さで小部屋の酷い現実を髣髴させる。だが最後の社会のところが気にいらない、馬鹿な僕には「神さま」といったような生の言葉から、何の感じもうけない」「pp130」

社会を卑しむべきものだと考えること、そうすれば、社会の恩恵を受けていることはどうなるだろう。

私見であるが、ゴッホが拾おうとしたのはこれ、つまり社会の恩恵ではないか、と考える。

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