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昭和の『夕顔夫人』から、令和のSMを思う。

『花と蛇』に続く団鬼六のSM緊縛小説の代表作といえば、

まずこの作品であるでしょう。

冒頭、木崎というやや屈折した青年の日常と心情描写から始まり、

その筆致が少し私小説的な雰囲気があるので

『花と蛇』の導入部分とは趣が異なって、多分に物語性を期待させます。

木崎の目線からヒロインの妹である由利子にたどり着くまでは、

この男がどんな非道な妄想を抱いているのかなかなか読みづらいでしょう。

また序盤は登場人物の心理描写や耽美的な叙述も

『花と蛇』に比べてより丹念です。

例えばヒロインの人妻・夢路の心の内を描く場面で

 そんな馬鹿な、と夫人は激しく首を振ったが、その時、濡縁の傍らの白い花を咲かせたつる草が、再び夫人の眼にはっきりと鮮やかに映じ出した。
 それは夕顔であった。
 夕顔は夏の夕方にほの白い花を咲かせて翌朝にはもうすぼんでいる。
 華道一筋に打ちこんでいる自分は花ならばすぼんだ花も同然だ。索漠とした青春を過ごし、愛のない結婚、女の肉の悦びといったものを知覚することなくもう二十七歳にもなる。
 華道を自分の天職として心得て、規律正しく生活の軌道に乗って行動することだけが女の幸せなのだろうかと、それは幾度か疑問に思った事があったが、そこに悪魔がつけこんだのだ。
(中略)
夕顔のようにほんの一瞬、自分にほの白い花を咲かせたのはあの卑劣漢なのか。夫人はそう思うとたまらない気持ちになって縁の上へと立ち上がった。

となどとあります。

「もう二十七歳」って、、、、こんな悟りきった二十代がいるのかと、

noteユーザーのうら若き皆さんにはピンとこない方も多いと思いますが、

昭和の女性をモデルとして描いているので、

そこはご容赦いただきまして、

ただ「夕顔の花」、「濡縁」、「夢路夫人」という構図が

なんとも言えない艶やかな映像として

イメージされてきませんでしょうか。

この辺りの筆致というのがおそらく鬼六作品が時には「SM文学」として

扱われるゆえんなのかと思いますが、

まあ最終的には、この後、徹底的に夢路さんも悪魔たちの手によって

快楽の奈落へと突き落とされていってしまいます。

冒頭、やや奥手で内向的な性格かと思われた木崎も

非情な卑劣漢に変貌してくのです。

登場人物の構造も結果的にほとんど『花と蛇』の焼き直し

と言って良いようなものになって、ざっというと、

     『花と蛇』         『夕顔夫人』
ヒロイン:「静子夫人」        「夢路夫人」
準ヒロイン:「京子・美津子他」    「由利子」
卑劣漢:「川田」           「木崎」
SM調教師:「鬼源」          「甚八」
卑劣女子達:「葉桜団」        「柴田流華道家元」

『花と蛇』はさすがに長編なので登場人物は圧倒的に多いのですが、

完全に相似形と言ってもよい気もします。

いたいけな美女たちを

徹底的に貶める、定型の展開へと導かれていくところは、

猥文小説としてやはり読者の欲望には四の五の言わずに忠実に応えた、

といったところでしょうか。

いわゆる「高嶺の花」の女性を、

地位の低い人たちが寄ってたかって、

しかも時には男に限らず女性やバイセクシュアルも参加して苛め抜く、

というパターンはおそらく鬼六の嗜好の根底にある性癖だと思うのですが、

これはいっぽうで昭和の時代の

まだまだ閉鎖的で人権的不平等が存在した社会に対するアンチテーゼ、

特権階級への逆襲のようなものだった気もするのです。

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令和の時代においても官能小説やAVには、

SMものや緊縛ものはいまだ健在で、

そこに登場する女性も設定や映像的には鬼六作品と通ずる

エロチシズムを感じられます。

ただやはりどこか根底で違うのは、

実際には女性が男性と平等の立場で

プレイを楽しんでいる感じがするのです。

昭和時代には

女性を縛り付けていた社会通念と分かちがたく表裏をなした、

からこそ生まれた官能美が、

令和に至っては完全にそこから解き放たれて、

純粋にプレイとしてのS性、M性を遊技する。

つまりその場ではMの女性を演じながらも

その役割が終わると逆転した立場で会社で男性に普通に指示を出すような、

何か痛快な割り切りのようなものを感じるのは私だけでしょうか。

もちろんそれはそれで素晴らしい性の楽しみ方だと思います。

ちなみにこの考察に注釈をつけると、

今の時代においても作家・作者の年代によるところがあります。

昭和時代に育った作家は

やはりどこか昭和時代の儚き女性像を求めるところがあって、

そういう作品にはまたその時代のおじさんたちが共鳴したりする。

私も、まあ、、然り。。

いずれしてもどの年代、どの性別、どの国でも、

それぞれの嗜好にあった

正しい官能の楽しみ方があっていいのではないかと思います。


『夕顔夫人』の主人公の心理描写を

今の令和世代の方々は、どのように受け止めるのでしょうか。

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