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【読書記録】横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか(田崎健太)

横浜フリューゲルス最後の試合は1999年1月1日、今から25年以上前になります。
20代以下だとクラブの存在すら知らない方も多いのではないでしょうか。
私は1993年のJリーグ開幕時に10歳だったので、横浜フリューゲルスの存在は知っています。
ただ、まだ本格的にサッカーを見始める前だったので、どういうサッカーをするかとか、どういうクラブなのかというのはよくわかっていませんでした。
国内外の代表選手が在籍していて強いチーム、という印象はありましたが。

本書は、横浜フリューゲルスの前身となったクラブの誕生から歴史を辿り、消滅までの軌跡を綴った一冊です。
2,970円と値段は高めですが、それに見合った重厚なノンフィクションです。

全日空サッカークラブ誕生の背景

横浜フリューゲルスの前身となったのは、「ヨコハマサッカークラブ」(以下ヨコハマ)という街クラブでした。
企業を母体とした実業団ではなく、地域のアマチュアクラブです。
そのヨコハマが神奈川県1部リーグにいた時に全日空が接触するのですが、背景として

  • 全日空はロッキード事件で企業イメージを大きく損なっており、スポーツチームを保有することでイメージの回復や社内の士気向上を図ろうとした

  • ヨコハマは将来の関東リーグ昇格や日本リーグ昇格を見据えた時に、運営資金を確保する必要があった(当時は会費でまかなっていたがそれには限界があった)

というのがあったようです。
両者の思惑が一致した点ではよい話だったのかもしれませんが、ヨコハマ側には「やがてクラブが全日空に乗っ取られてしまうかもしれない」という警戒感もありました。

その後、全日空の支援を受けたクラブは数年かけてトップリーグまで昇格しますが、カテゴリーが上がるにつれて両者の溝は深くなっていきます。
全日空が影響力を強め、ヨコハマの人間が徐々に減らされるなど、懸念していた事態がまさに起こったためです。
その軋轢は取り返しのつかない地点まで進み、最終的には試合のボイコットという重大な事件にまで発展します。

その後のクラブはヨコハマ色がなくなり、監督や選手などフリューゲルス初期の顔ぶれが集まってJリーグ開幕へと向かうわけですが、横浜に拠点を置きながらも地縁を失ってしまったクラブが人気面で低迷し経営が苦しくなるのは必然だったのかもしれません。

前時代的なクラブ経営

本書では全日空からフリューゲルスに出向してきた社員の経営のずさんさ、労働意欲の欠如などが多く語られています。
全日空といえば大企業でしっかりした会社というイメージですが(実際のところはわかりませんが)、平然と出社時間に遅れて来る、勤務時間中の無断外出や目的不明な出張、タクシーチケットの乱用など、今では考えられない振る舞いが日常的に行われていたそうです。
当時はスポーツビジネススポーツクラブ経営といった概念がまだ薄く、スポーツといえば親会社の補填ありきで運営するのが当然だったので、そのような意識になってしまうのも致し方なかったのかもしれません。

また、仮に堅実な経営者がいたとしても、まだイケイケだったJリーグの中でフリューゲルスだけが身の丈にあった地道な路線を採ることができただろうか、というのもあります。
フリューゲルスは人気面で他クラブより劣っていたので、堅実路線ではそれに拍車がかかってしまいますし、むしろ強化や集客に費用をかけて少しでも目立ちたい、となるのが自然な気がします。

この時期は他クラブでも経営危機になるケースが起こったので、フリューゲルスに限らず、Jリーグのクラブの多くが同様の課題を抱えていたといえます。

クラブ存続の道はなかったのか?

フリューゲルスはJリーグ参入時に全日空と佐藤工業の共同出資によってスタートしますが、数年経ったところで佐藤工業の業績が悪化し、経営からの撤退を申し入れたところから合併の話がスタートします。
全日空も同時に経営不振に陥っており、単体ではとてもクラブを抱えれきれない、という判断がなされました。
そして合併相手として選ばれたのが同じ横浜に拠点を置くマリノスで、こちらもまた親会社の日産自動車が業績不振に苦しんでいたことから合併の話がトントン拍子に進みます。
企業の論理だけで見れば、きわめて理に適った合併話だったわけです。

ただ、全日空は合併後の横浜Fマリノスに対しても、スポンサーとしての支援を続けていました。
おそらく数億円規模の金額だったはずなので、その費用があれば規模を縮小してクラブを存続させられたのではないか?という思いも出てきます。

同時期に経営危機に陥った湘南ベルマーレ(ベルマーレ平塚)は、経営規模を縮小させながらもクラブ存続の道を選び、その後は10年ほどJ2での低迷期もありましたが、J1への返り咲きを果たしています。
もしフリューゲルスが存続していれば、今頃はJ1でマリノスとダービーをしている可能性もあったわけです。

残念ながらそうならなかったのは、結局のところ、

  • 全日空がクラブ経営に対してそこまで熱意を持っていなかった

  • 地縁の薄さから、地域からもそれだけの支持を得られなかった

という、全日空サッカークラブ誕生の時から根本的に抱えていた問題によるところが大きかったのではないでしょうか。


今も「F」を背負い続けるマリノスにも、フリューゲルス消滅を機に誕生した横浜FCにも、残念ながらフリューゲルスの面影はありません。
この記事を書いている途中に「Jリーグの日」と銘打たれてヴェルディとアントラーズが戦っていましたが、同じようにJリーグ初期の覇権を争っていたフリューゲルスがそこにいないことには、やはり寂しさを感じずにはいられませんでした。

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