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メガバンク哀歌〜たそがれオールド・ボーイ〜

長く寒い冬が終わり、ようやく頼りなげだった日差しも力強さを見せ始め、春の到来を確信させる陽気になってきた。 木々は芽吹き、花々も長い眠りから覚めたかのように白黒だった街に徐々に淡い彩りが灯り始めた。 しかし、私の心持ちは暗澹陰鬱としている。 今日私は55歳の誕生日を迎えた。

長らくの間王貞治が守り抜いた年間日本人HR数、55年体制、そういえば今年はニッポン放送の55周年であるなど、とにかく55という数字は日本では特別な意味を持つ。特に、銀行員にとって55とは格別の意味を持つ数字だ。今まで「行員」との立場で30年以上銀行に勤めてきたが、今日から私は専任行員となる。

やっている仕事は昨日と何も変わらない。 朝、いつものように満員電車に揺られ、銀行に出勤し、私より15も年下の支店長から紙っぺらを1枚受け取るだけだ。たったのそれだけで、私の年収は昨年と比べて4割下がる、そして今後、私には一生、昇格も昇給の機会も与えられることはなくなるのだ。

「名門の銀行にお勤め?奥様が羨ましい!」なんてことを何度言われただろうか。若い頃は周囲の評判が心地よかった。少しも自尊心がくすぐられたことがないと言えば大きな嘘になる。しかし、最後に自尊心を満たせたのは家を買う時に不動産屋から「絶対にローン通りますよ」と言われた時くらいだろうか。

私が入行したのはバブル真っ盛りの平成2年。学生時代、そろそろ就職活動をしようかという時期、就職戦線はいまでは考えられないほどの売り手市場だった。企業はこぞって社員の母校に社員を派遣し、これはという若手をいち早く見つけては、社会人のもつ金という力をフルに活かして学生を青田買いした。

「■■銀行・●●大学懇親会」と銘打たれた飲み会に誘われ、銀行に務める先輩たちと意気投合した翌朝には「映画を見に行かないか?」と誘われ、その後は飲み屋に。翌日も、そのまた翌日も電話がかかってくる。ある時はボーリング、ある時はビリヤード、パチンコ屋に呼び出された。無論、全部おごりだ。

この人、一体仕事は何をしているんだろう?と思うこともあったが、周囲もみな一様に同じ感じであったので、こんな疑問は一瞬でどこかに吹き飛んでしまった。大学四年生のある夏の日、「他の内定者と一緒に温泉に行こう。テニスも麻雀もし放題だ、一週間くらいゆっくりしたまえよ。」との連絡があった。

その頃は単位も取り終えていたので、毎日ゆっくりはしていたため、これ以上ゆっくりのしようもないのだが、タダでうまいものが食えて遊べるという誘いは悪くない。その誘いに乗って都心から車で2時間ほどのそれはそれは立派な銀行の保養施設に到着した。しかし、どこか様子がおかしいのだ。

館内の電話全てにガムテープが巻いてあり電話ができない。先輩は言う、「電話はすべて我々が君たちに取り次ぐから、用事があるときは私たちに言って欲しい。それ以外はこの中で自由にしてくれて構わない。酒も食べ物も好きにやってくれ。」 これは拘束だった。 その時期は就活のピーク時期だったのだ。

バブル真っ盛りの大学4年間を私大文系で過ごし、就職活動もこのように甘やかされ尽くした私はそのままのほほんと銀行への入社を決める。両親は「これで子育ては終わった、安定したところに入ってくれて安心した」と喜んでくれている。入行後も、貸せば儲かり、次から次へと貸してくれ状態。

独身寮は完備され、メシの心配もいらない。入行初年度から給料もボーナスも申し分なくもらえ、営業成績に苦労することもなく、厳しい部分はあったがまあ充実した上出来な日々を送っていた。自分は成功したのだ。一生安泰だという感覚さえ持ち始めていた。

しかし、そんな泰平の日も長くは続かない。 入行して1年が経つか経たないかのうちに順風満帆を極めていた日本経済が翳りを見せ始める、いわゆるバブル崩壊だ。転がり落ちる玉は止められない。その後、急速に落ち込む日本経済。昨日まで客に借りてくれと懇願した金を、ムシり取るように毎日回収した。

やり甲斐を見失い、銀行を辞めていった同僚もいた。しかし、少しでも景気が悪くなれば、顧客の立場も弁えず横暴なまでに自分勝手に振る舞える銀行が簡単に潰れるとは思えなかったし、辞める気もなかった。「銀行に入れば一生安泰」との世間や自分の価値観はそう簡単に覆らなかったからだ。

自然環境の動物がまさにそうだが、種とは存続の安心を得た瞬間に進化が止まる。バブルが崩壊し、不景気との言葉が日本に常態化したなかで30代を過ごし、リーマンショックが起きた時代に40代を迎えた。世の中の経済状況は悪いままだが、銀行の給料は他と比べて悪くはなかった。いや、良いほうであった。

進化が止まった生物に生き永らえる術はない。ろくに自己研鑽もしなかった自分が誇れるスキルといえば、上司の顔色を瞬時に窺い把握できる能力と、具体性はないが選択肢を提示しているとギリギリで認知できるレベルのアイディアを出すこと、飲み会のあとに元気にエールをきれるくらいだ。

30を手前になんとか一斉昇格から一年遅れて支店長代理にまではなれたが、課長職への登用のときに完全に躓いた。銀行では一度出発してしまった出世の列車に後から乗り込むことはできない。それでもメーカーの給料よりは断然高い禄を食むことはできていた。しかし私の得る高い給料に根拠はなかった。

私の給料はこの会社にいるからもらえていただけ。そう気付いた時には、もはや銀行を辞め外に出て挑戦する勇気などあるわけもなく、いかに銀行に縋り付くかということしか頭の中になかった。どこで何を間違えてしまったのか。ミスという大きなミスもなく過ごしてきたはずなのに。

いや、むしろ大きなミスすらも犯せない小市民であるからこそこうなったのか。外部出向の打診もなく今日私は55歳になった、シンデレラの時間ももう終わり。0時に魔法が解けて私の年収は4割減る。蜘蛛の糸よろしく僅かに期待していた昇格の道も完全に途絶える。子供はまだ高校生で住宅ローンもある。

銀行に勤め上げたこの30年間はいったい何だったのだろうか。銀行に入れば一生安泰だとは誰が言ったのか。このようなことになるとは誰も教えてくれなかったではないか。 支店の飲み会精算の傾斜配分が私の肩に重くのしかかる。

おしまい

若いみなさんはこうならないようにとの思いを込めたのが以下作品です。

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