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ぶっちゃけ、銀行辞めてよかった?

「海外赴任したり本店本部まわって順調に出世もして、将来偉くなれそうだったのになんで銀行辞めたの?」って、銀行辞めて5年経ったいまでも聞かれる。

私の答えは単純に「このまま銀行員でいつづけるほうがリスク」と思ったから。銀行員の寿命は短い、役員になれなきゃ52歳でお払い箱だ。

メガバンクで順調に偉くなると部署によるが30代前半でチームリーダーになり部下みたいな後輩が2-3人つく。私は20代後半で海外赴任してLocal Staff5人のチームを任されたので、日本にいるよりも早く部下を持った。ここで人間大体2つの道に分かれる。部下に仕事を丸投げするか、自分の手を動かすか。だ。

私は入行店での修行期間を終えた後、二つ目の場所でいわゆるアナリスト業務(といえば格好良いが)、法人営業に関わる雑務をこなす任務に就いた。そこで最大同時で3人のペアを持ち、その人たちの業務一切の副担当として毎日過ごしたことで、自らきちんと手を動かす人を心から尊敬するようになった。

そうして私は「自分の手を動かす派」になった。トドメだったのは、海外赴任したあと年上を部下に持って苦労したことも私にとって大きな影響があった。皆さんは、自分の国の言葉も文化もわからない、仕事もしない、しかも年下の上司の言うことを素直に聞けるだろうか?この価値観は万国共通なはずだ。

簡単に言えば、偉そうにふんぞり返っているファッキンジャパニーズの言うことなど誰もきかない。なんなら、嫌われているとわざと事務ミスされたりもする。だから私は通常日本人が誰もやらないような細かい作業まで自分でこなせるようにした。徹底的に部下との仕事における情報の非対称性を消したのだ。

実績を出せるようになるまでに1年半の時を要し、その間かなり悔しい思いをした。業務後に日本人の先輩にビンタで気合いを入れられたことが何回もあった。だが、確実にこの期間が私を強くした。現地語をかなり操れるようになり、誰よりも現地のシステムを理解し、数字を上げ続けられるようになった。

その頃にはもう年上の部下も私を人間として尊敬してくれるようになり、人間としての悩み相談をしあうほか、家族や大事な友人にも私を紹介してくれ、上司部下の関係を越えて「brother」「Family」と呼び合えるようになった。毎日が楽しかった。いわゆる駐在の成功体験をこれでもか、と積み上げたのだ。

その後、数年間を海外で過ごし、帰りたいなんて一言も希望していないのに帰国内示が出てしまった。理由は「キャリアが偏るから、ここらで本社を学べ」ということらしい。日本の本社機能で商品開発と営業推進の任に就いた。そこから刺激もトラブルもないクソほど退屈な日々が始まった。

うちの部は商品管轄部署だから、私のクライアントは本店営業部になる。営業部のクセに営業が出来ず、頭も動かない。ひどい担当は私に「なんかカッコ良い提案書作って」と言い始める始末。本店営業部は銀行内の王様だから普通の商品部署の人は反抗なんて絶対しない。だが、私はもう日本人じゃなかった。

大規模な海外支店にいたおかげで、先輩たちはスター揃い。銀行内でもトップクラスの営業マンにずっと囲まれて毎日営業に明け暮れた結果、私は営業として気付かぬうちに超サイヤ人になっていた。本店のバカな営業担当を完無視して勝手にお客さまのところにアポを取っては案件を作り続けた。稼ぎ続けた。

しまいには、営業部を通り越えて、資金繰りの相談や海外進出案件、ファイナンスの相談が続々と直接私にくるようになった。ある日、お客様から接待を受けることになり会場に行くと、営業部が呼ばれていないなんてこともあった。あれには驚いた。聞いたことがないことが起きていた。

そのうち営業部の担当役員から「営業部のメンツが立たないから、じこばすは控えさせてくれ」と私の上司に連絡がくるようになった。仕事が一つ、つまらなくなった。それと、後輩たちが手を動かしてしまって、私が手を動かす機会が激減したのも、決定的に仕事がつまらなくなった要因だった。

チームリーダーは偉い、らしい。厳然たる上下関係の銀行にあって、上司の手を動かさせるのは部下の恥。と後輩に言われた。私の価値観とは真逆だった。マネジメントとは部下に尊敬されて初めてできるものだ、という私の信念。その礎たる、自ら手を動かす美学が逆に後輩の活躍の場を奪っていたのだ。

こうなるともう自分は社内隠居だ。タバコも吸わないのに喫煙室に通い、役員運転手の詰所に通い、少しでも面白くてカネになりそうな話を具体化する。でも私の手は動かせないし、稼ぐためにセンシティブな案件の卵をむざむざ若手教育のためにわざと踏み潰したりもした。これが中間管理職の悲哀なのか??

ふと我にかえる。これを続けて私自身の何になるのか?人間というものは不思議なもので、少しでも手を動かすことをサボると途端に錆びる。ホワイトスペースに何を埋めて良いか、昨日までわかっていたはずなのに分からなくなるのだ。先達が後進を育てる必要性は心底理解している。そういうことじゃない。

30代前半で手を動かすのを辞めて、なれるとも分からない銀行役員というHappy Exitを目指して、安定という安心感と引き換えに人生において気力体力溢れる貴重な30代・40代を銀行人事のガチャに委ねて良いものか?失敗すれば52歳のポンコツの出来上がりだ。その頃の自分に流動性なぞあるはずもない。

現場の最前線で魂震える緊張感に身をおいてこそ生の実感を得られ、自分のビジネスパーソンとしての純資産が積み上がっている感覚があった。35歳になる頃には同期で最年少の支店長が出てきたが、正直本当に少しも羨ましくなかった。だって、奴らはもう手を動かしていない。肩書きでしか生きていけない。

銀行の支店長が一生安泰だったのは昔の話。PythonもSQLもVBAすらも書けない、BIがなんたるかもわからない、外国語も喋れない無能にこれから先の激動の世の中を歩き切ることなぞできない。どこどこ銀行のナントカ支店の支店長っていう経歴だけでメシを食わせてくれる世の中があるものか。

結論から言うと銀行を辞めてよかった。2つの側面がある。銀行員は往々にして自己評価が高くて自分を変えない生き物なので、銀行の外に出て完全にスペックやマインドでバッティングする人に出会ったことがない。ほとんどの人が死ぬほど働かないし、必死にならない。彼らが敵にならないから私が勝てる。

もう一つは、「外で挑戦しなかった後悔」を引きずらなくて済んだことだ。仮に退職して失敗していたら悔やんだのだろうが、世の中は私たちが思っているほど高尚な仕組みで動いていない。バカばかりだ。きちんと適材適所に自分を変容させられる銀行員なら外でもまあ勝てる。と思う。

一方で銀行から転職したら終わりじゃない。会社員がほかの会社の会社員になっただけ。自分の経験というアセットを償却して生きているのか、純資産を積み上げているのかは意識しておくべきだ。結局、足がすくむほどの緊張しか自分を成長させるものなんてないのだ。安穏なんていらない、刺激しかいらん。

という思いやエピソードを凝縮したのがこちらのnoteです。
https://note.com/jikoneko/n/nafd626aa0db8

おしまい

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