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『PERFECT DAYS』   「面影」を探すニコ。平山さん(おじさん)という「仮貌(かげ)」がつくる奇蹟の時間。 その1


 箒の音から始まり、影のなかへ

 映画の始まりは朝陽。
 夜明けです。
 しずかにスカイツリー(木です。塔です)からの眺望が広がります。

 映画は、そして暗転。なにか聞こえてきます。
 しずかにすこしずつ音は大きくなっていきます。

 竹箒の音が響いています。
 朝です。
 町がめざめているのでした。
 近所の老女が竹箒で掃いています。
 神社脇の道。

 転じて、アパートの畳の部屋。2F。
 耳のアップ。この映画の「音」をすべて聴く「耳」
 耳もこの映画のキーワードのひとつのようです。

 そして横顔。
 すっと、目が開きます。
 男(平山さん)が目覚めます。
  《顔の皺の深さは日焼けのせいか
   それとも 年齢のせい?
   ずいぶん遠い目をしている》
      『PERFECT DAYS 』 公式サイト DAYS of HIRAYAMA  より

映画館は久留米T-joy にて。初見。2023/12月。それからもう5回も観てしまいました。




 観客は「かお」に釘付けになります。
 淡い光(かげ)のなかに
 顔が。
 陰影があります。
 顔というより内側からもなにか発している「貌」です。
 何でしょう?
 光っているようです。

 映画を観ながら、仮の顔を『仮貌』と書いて「かげ」と呼ぶ事を爺虫(私、じいむっしゅ)は思いだしていました。

 平山さん(役所広司の貌)がアップになって映画の目であるカメラが彼を見つめています。
 観客である私(爺虫)も彼の貌の前にヴェンダースの目玉を置いて見つめています。

 陰影のある貌です。
 役所広司さん演じる平山さん。
 小津映画のなかの笠智衆が演じる平山さんや、内田百閒の小説に出てくる平山(ヒマラヤ)さんを音韻として重ねてみます。

PERFECT DAYS  ヴェンダースへのインタビュー YouTube







 白み始めた微かな明かりが部屋のかたちと夢から醒めつつある平山さんの貌を浮き上がらせています。
 音が聴こえます。
 街の目覚め、鳥たちの鳴き声、木枝の擦れる音から朝の空気の揺れまでが重なりあって、何か「さざなみ」のようなものを起こし、それが陰影となって平山さんの貌に映しこまれていきます。
カメラワークが美しいですね。

 平山さん(かげ)の日乗が始まります。
 平山さんのルーティンをヴェンダースの目となったフランツ•ルスティグが捉えていきます。(この映画のラストシーンの役所広司を映すカメラの目は映画史に残る【奇蹟】です)平山の貌(仮貌かげ)をフランツ・ルスティグが涙を流しながら必死に撮り続けた、とキネマ旬報2024.1月号22pやSWITCH2023.12月号52pの記事に書きしるされています。
 ヴェンダースも後部座席に乗ってそのシーンを観ていたそうです。役所広司の顔の表情がアップで続きます。音楽と同じ時間の長さの尺で。

 「運」を生業とする爺虫としても、これは【奇蹟】だと思います。

 ヴェンダースは動画インタヴューの中で昔のブエナビスタのあの靴磨きのおじさんたちが、あっというまに世界でもいちばん有名なミュージシャンとなっていった時のことも【奇蹟】と語っていました。

 映画の奇蹟を起こすなにかをヴェンダースは持っています。

 カメラは平山さんの貌(仮貌)とまなざしを接写していきます。

 夢の描写のようなフィルムワークが光と影を作って映し込まれます。

 《古代人は光をかげと言い、光を伴う姿としての陰影の上にも、その語を移してかげと言うた。すなわち、物の実体の形貌をかげと言うたのである。人の形貌をかげと言うのは魂のかげなる仮貌の義である。》 
   折口信夫『小栗外伝』 青空文庫

スカイツリー、こかげ、こもれび、ひこばえ、こどもたち、まなざし

 不思議な映画ですよね。
 主人公平山さんは映画がはじまってからずっと無言。
 無言なのに貌と目と表情と仕草で観客に向かってこの映画のリアルを語っています。
 カメラも平山さんの見る日常風景を追っていきます。
 ドキュメンタリーのような世界が現前します。
 平山さんが見るもの、聴く音楽、平山さんの前に起きる動き、見えないものも見ている彼の日常。
 ふだんどおりの眼差しが「風景」になっていきます。
 街の音も、鳥の鳴き声にも、鉢植えのひこばえたちにも、平山さんは仕草と表情で語っています。
 優しく語りかける眼差しですね。次の世代への思いやりを感じます。

 チャランポランだけど憎めないキャラの仕事の後輩タカシ(柄本時生)への眼差しにもそれがはっきりと出ています。
タカシの耳を触りに来て、タカシよりその耳がじぶんの友達だという男の子を見る時もまたそうです。

 どうやら平山さん、子供の目を持っているようです。
 仮貌(かお)がつくる表情に子供の目線が感じ取れます。

 ひこばえに霧吹きで水遣りするシーンの表情も子供です。
 おじさん貌のなかに子供目線を持ったもうひとりの平山さんがいます。

 ということは、こちら(爺虫)にも子供と同じ目線があることにいまここで気づいているのでした。

 滑り台を何度も滑りたがる子供のように、私(爺虫)は繰り返しこの映画PERFECT DAYS を観にきています。


 平山さんが映画の中で初めて言葉を発するのは「どうしたの?」と迷子の子供にかたりかける時です。
 子供と手をつないで歩く平山さんは親としての眼差しも見せてくれます。
 (親?まてよ、平山さんは独身?結婚は?)(映画では彼の背景は伏せられたままです)

 トイレの清掃仕事をしている時、壁越しにタカシが平山さんに訊くシーンがあります。「平山さん、平山さんって、結婚したことないんすか?ずーっと独身なんですか?」平山さんは、それに何も応えず寡黙に仕事を続けます。

 公園トイレのまわりや、横断歩道や、街の各所に子供たちがいます。それをカメラが優しく捉えて風景として流していきます。平山さんの眼差しですよね。平山さんの影(仮貌)が見ているのですよね。

 そうでした。
 そうそう
 ヴェンダースの作品には「子供」がよく出てきます。
 平山さんのなかにヴェンダースの目も生きているのです。


 『ベルリン・天使の詩』のなかにも子供たちがたくさん登場します。

  《子供は子供だったころ
   腕をぶらぶらさせながら
   思った、小川は川になれ
   川は海になれ、と。
   子供は子供だったころ
   じぶんが子供だなんて
   知らなかった。
   すべてに魂があって
   すべての魂はひとつだった。
   子供は子供だったころ
   考えなんて持たなかった
   癖だってなにひとつ。
   あぐらをかいたり
   両脚をそろえて跳んだり
   頭にはつむじ
   カメラを向けてもしらんぷり。》
     シナリオ・「ベルリン・天使の詩」 
      訳 池田信雄・池田香代子
    ヴェンダースバンケット キネマ旬報別冊  1988年



 『ベルリン・天使の詩』は天使ダミエルの声から俯瞰したベルリンの市街の映像、戦災記念教会の塔の上に立つ天使ダミエル、そこから俯瞰しながら、横断歩道をわたる歩行者。子供が横断歩道の真ん中に立ちどまり、上を見上げます。子供の視点から見上げた塔のてっぺんには天使像が。見上げます。見上げています。子供たちが見上げます。赤ん坊が空を見上げるシーンも。

 『PERFECT DAYS』では平山さんの一日をカメラが捉えていきます。
 一日が「小さな旅」です。

 《小さな旅がはじまった
  いつもの交差点
  いつもの信号
  いつもの交番
  いつもの高速
  いつもの川
  いつもの公園
  いつものビル
  そして いつもの トイレ。
  掃除道具を選び、個室をチェックして、手袋をはめる
  何年も同じことを繰り返してきて
  無駄はどこかに消えてしまっていた。》
      『PERFECT DAYS』 公式サイト DAYS of HIRAYAMA より

  神社のおおきな木の下の「ひこばえ」をやさしく、しかも手慣れた要領で、新聞紙を折って作った袋に入れるシーン、「ちいさきもの」が好きな平山さんの「過去の影」がよく出ています。
 大きな木である「スカイツリー」を遠目に眺める平山さんの目と「ひこばえ」を観る平山さんの目。それぞれの世界がまったく別のようなのに、どこかで「時間」というもののなかで繋がっているような気がしてくるのです。

 この映画のなかを流れる影の時間。陰影。


PERFECTDAYS公式サイト Days of HIRAYAMA  より


ヴィム・ヴェンダース ベルリン・天使の詩 より


 陰影。陰翳。「陰翳」と書いたとき、「翳」という「字のかたち」のなかに「羽」があるのに気づきました。天使の「羽」も「仮貌」の時間のなかに棲んでいるのかもしれませんね。なにかの羽で顔が見えないようにしているのが平山さんなのかもしれません。「翳」にはもともとそういう意味があります。

 木々のざわめき、
 葉と葉
 天使の羽
 音韻という
 影の時間
 平山さんがカセットテープで聴く音楽
 その歌詞
 ヴェルベットアンダーグラウンドとニコ
 ニコ
 小津の『晩春』に出てくるアヤという名
 映画のなかで平山さんが読む 幸田文
 アヤ
 夢の映像のなかを流れる
 ニコの貌
 あやの貌



 「おじさん」とニコが言う
 おじさん?
 迷子の子と手を繋いだあとの
 夢のなかの映像に
 親が子の手を握っている映像が流れます

 ニコとそのおじさんと呼ばれる平山さんが樹の下でふたり並んでそれぞれの紙パック牛乳を飲むシーン
 ふたり並んで木漏れ日を父はオリンパス、娘はiPhoneのカメラで。
 それからニコは「私、おじさんと同じカメラ持ってるよ、ほら」とオリンパスカメラを見せます。
 親子の再会として私(爺虫)は観ています。
 二人並ぶ姿は小津映画でよく出て来るシーンです。
 ヴェンダースは『ベルリン・天使の詩』でもエンドロールで小津安二郎に捧げると書いていました。
 この映画にもヴェンダースの小津愛がリスペクトというより「ともだち」としての形でよく出ています。
 ヴェンダースと小津は「ともだち」として感性が繋がっているのです。

 「木はともだち」という会話がそこで出てきます。

 ニコも木と「ともだち」になったようです。
 木に触れています。



 映画の各所に田中泯演じる「見えない男」が出てきます。
 樹木の精のように木の下で木漏れ日の下で影(仮貌)とともに踊ります。

 そっと平山もニコの姿をオリンパスで撮り
 ニコもまたおじさん(仮の貌)を撮ります。

 ニコがトイレ掃除に付いていくシーンでは
 こっそり
 「おじさん」をiPhoneで撮るニコ

 (おじさんなの、ほんとに?おじさんなの?パパ)
 爺虫のなかでニコのそんな声が聞こえた気がしたのです

 木の下でニコが平山に言います。

 「ママにおじさんのことを訊くと
 ママはいつも
 はぐらかすのよね」

 海の匂いを運んでくる川風のなか
 桜橋を自転車でふたり並んでわたるとき
 ニコが訊きます

 「おじさんとママって
 兄妹なのに
 ぜんぜん似てないよね」

 かげが
 仮の貌から
 顔が
 きらきらと
 みえてきます
 まるで
 ことばのなかから
 陰影の
 かげ(仮の貌)が洩れてくるように

 komorebi
 のように

 本を読み終え
 寝落ちした平山の
 夢の映像のなかに
 文章が出てきて
 そこには 影 ということばが映されていました

 なんてうつくしい映画なんでしょう。


爺虫が好きな詩人に長田弘さんがいます。
 若いころから、はやく、あんなおじいちゃんになりたいな、と憧れてきた「私のなかのおじさん」です。木をテーマにした詩をたくさん書いた人です。
 この映画を観ているときも、時々、長田弘さんのことを思い出していました。
 その長田弘さんの詩のなかに「秘密の木」という作品があります。
 次回はそのあたりから、この爺虫の琥珀亭日乗を書いてみようと思っています。

ではでは

       琥珀爺 拝
 次回は第二章へ
    2024/2/21   PERFECT DAYS   5回目の鑑賞翌日に

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