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【考察】BBC 日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている

 みなさんは、いま話題となっているBBCの下記の記事をお読みになりましたか?

 この記事を実際に読んでみて、思う感想は人それぞれでしょう。同意できる点と同意できない点がみなそれぞれあるに違いないと思います。

 そこで今回、私がこの記事を読んでみて、同意できる点と少し異なるのではないかなと思う点をまとめたので、よかったらご覧になってみてください。

少し異なるかなと思った点

 この記事では、日本の官僚制が非効率の代表だとされています。

この国の官僚主義は時に恐ろしいほどだし、巨額の公金が意義の疑わしい活動に注ぎ込まれている。
私は昨年、日本アルプスのふもとにある小さい町で使われる、見事なマンホール蓋(ふた)の裏話に巡り合った。町の近くの湖で1924年に、氷河時代のナウマンゾウの化石が発見されて以来、ゾウはこの町のシンボルになった。そして数年前に、この有名なゾウの姿をあしらったマンホール蓋を、町のすべてのマンホールに使おうと、誰かが決めた。
同じようなことは日本各地で行われている。「日本マンホール蓋学会」によると、全国のマンホール蓋のデザインは、6000種類に及ぶ。マンホール蓋が大好きだという人が大勢いるのは理解できる。芸術品だと思う。けれども、1枚につき最大900ドル(約12万円)するのだ。

私が日本で自動車運転免許を更新したとき、とことん丁寧なスタッフは私を視力検査から写真撮影ブース、料金支払いまで案内してくれて、さらには「第28講習室」へ行くよう指示した。この「安全」講習は、過去5年間で何かしらの交通違反をした全員に義務付けられている。
部屋に入ると、同じように罰を受けるのを待つ人たち、心もとなさそうに座っていた。パリッとした身なりの男性が入ってきて、「講習」は10分後に始まると説明した。しかも、2時間かかると!
講習の内容を理解する必要さえない。私は内容のほとんどがわからなかったし、2時間目に入ると受講者の何人かは居眠りを始めた。私の隣の男性は、東京タワーのスケッチを完成させた。かなり上手だった。私は退屈で、不満だらけになった。壁の時計が、こちらをあざ笑っているようだった。
「あれはいったい何が目的なの? あれは、罰なんだよね?」 
オフィスに戻り、日本人の同僚にこう尋ねると、「そうじゃないよ」と彼女は笑った。
「あれは、定年退職した交通警官の働き口を作るためなの」

 果たしてそうでしょうか?

 マンホールはたしかに意匠を凝らしたものに敢えてする必要はないかもしれない。ただ、こういったマンホールを面白いと注目する人がいるのもまた事実です。そういった人たちが、わざわざ訪れる観光資源もない町にマンホール見たさに訪れる。あながち意味がないとは言い切れないと思います。

 免許の違反者講習についても同様です。
 
 仮に定年後の雇用を作らなくてよいとして、違反者講習はいらないでしょうか?そんなことはないでしょう。ある程度違反歴のある人は、ゴールド免許の30分の講習とは異なり120分の講習を受け、交通安全に対する理解を深める。中にはこの記事のように寝てしまう人もいるかもしれませんが(最初に寝てはいけないと注意されることが多いですが)、交通事故の恐ろしさを改めて認識し、帰りの車のハンドルをいつも以上に注意深く持つようになる人も大勢いるはずです。

 もちろん、いずれも統計的なデータを見ての判断ではないので個人的な主観です。ただ、上記の例が効率をあえて下げているものだとは思いません。それに日本の公務員の比率は、その他の先進国と比べても低いため、もし上記のような例によって各公務員に過重な負担が掛かっているのであれば、日本は公務員数を増やすことも検討して良いのではないかと思ってしまいます。

その通りだなと思う点

 大きく分けて2つです。

①移民政策に関して

今では日本人の3割が60歳を超えている。そのため日本は、小国モナコに次いで、世界で最も高齢化の進む国だ。生まれる子供の数は減り続けている。2050年までに人口は現状から2割は減っているかもしれない。
それでもなお、移民受け入れへの強い拒否感は揺らいでいない。日本の人口のうち、外国で生まれた人はわずか約3%だ。イギリスの場合は15%だ。ヨーロッパやアメリカの右翼運動は、日本こそが純血主義と社会的調和の輝かしいお手本だとたたえる。
しかし、そうした称賛をよそに、日本は実はそれほど人種的に一様ではない。北海道にはアイヌがいて、南には沖縄の人たちがいる。朝鮮半島にルーツを持つ人たちは約50万人。中国系は100万人近くいる。そして、両親の片方が外国人だという日本の子供たちもいる。私の子供3人もここに含まれる。
出生率が低下しているのに移民受け入れを拒否する国がどうなるか知りたいなら、まずは日本を見てみるといい。
実質賃金はもう30年間、上がっていない。韓国や台湾の人たちの収入はすでに日本に追いつき、追い越している。
それでも、日本は変わりそうにない。原因の一部は、権力のレバーを誰が握るのか決める、硬直化した仕組みにある。

 日本は少子高齢化が進行しつづけている中で、移民の受け入れを拒み続け、新たな問題が発生し続けています。私たちは授業で、その昔、弥生時代に渡来人によって日本列島には稲作がもたらされ、元からいた縄文人と交流し、現在の日本人が形作られたと教えられてきました(最新の学説を把握してないので今は異なった見解になっているかもしれません)。その当時は、文化も、言葉も、外見も異なる人々が日本列島に共存していたのでしょう。そして長い年月をかけて今の日本に至る言語や、文化、慣習が発生したのだと思います。

 これは個人的な意見ですが、現代は、新たな弥生時代だと考えています。岸田首相がどんなに少子化対策をがんばっても、昨年までに生まれた子どもの数は決まっており、人口構成、つまり少子高齢化の大きな流れは変えることができない。
 私たちは労働力を維持し、社会に活力をもたらし、さまざまな価値観の存在が許される多様な世の中を実現するためにも、一定数の移民を受け入れ、その移民の人たちと交流し、新たな日本人、そして新旧入り交じった新たな固有の文化を形作っていく必要があるのではないでしょうか。

②現在の政治の指導者層について

「武士は1868年に刀を手放し、髷(まげ)を落とし、西洋の服を着て、霞ケ関の役所にぞろぞろと入っていった。そして、今でもそこに居座っている」
1868年の日本では、欧米列強によって中国と同じ目に遭うのを恐れた改革派が、徳川幕府を倒した。それ以降、日本は急速な工業化へと邁進(まいしん)することになった。
しかし、この明治維新は、フランス革命におけるバスティーユ陥落とは全く異なる。明治維新は、エリート層によるクーデターだった。1945年に2度目の大転換が訪れても、日本の「名家」はそのまま残った。圧倒的に男性中心のこの国の支配層は、日本は特別だという確信とナショナリズムに彩られている。第2次世界大戦において、日本は加害者ではなく被害者だったのだと、この支配層は信じている。
たとえば、殺害された安倍晋三元首相は元外相の息子で、岸信介元首相の孫だった。岸氏は戦時下に閣僚を務め、戦犯容疑者としてアメリカに逮捕された。それでも絞首刑は免れ、1950年代半ばに自由民主党の結党に参加した。この自由民主党がそれ以来、日本を支配し続けている。
日本は単独政党国家だろうと、冗談で言う人もいる。それは違う。しかし、特権的なエリートが支配する政党、アメリカに押し付けられた平和主義を廃止したいと切望する政党、それなのにもう30年も生活水準を向上させられずにいる政党に、なぜ日本の有権者は繰り返し投票し続けるのか、そこを不思議に思うのは、当然のことだ。

 上記の記述はまさに私の思うことそのものです。日本は明治維新以降、あまりにも同じ階級の人たちが指導的立場に立ち続けてきました。 

 戦後にある程度の入れ替わりはありましたが、それでも、最近の自民党の総理大臣は世襲じゃない人のほうが珍しい有様です。

 そんな人たちの意識を代弁した言葉をご紹介します。安倍元首相の祖父である岸信介は、アメリカ初の日系人上院議会議員であるダニエル・イノウエが1954年に来日したとき、このように言ったようです。

「いつか日系人がアメリカ大使として赴任するかも」と話した際に、岸から「日本には、由緒ある武家の末裔、旧皇族や華族の関係者が多くいる。彼らが今、社会や経済のリーダーシップを担っている。あなた方日系人は、貧しい事などを理由に日本を棄てた“出来損ない”ではないか。そんな人を駐日大使として受け入れるわけにはいかない」とまで言われた。

Glen S. Fukushima (2006年7月24日). “Don't Be a Bridge, Be a Player!” (英語). Japanese American Veterans Association (日系アメリカ人退役軍人協会).

 この言葉こそ、自民党の世襲政治家たちの嘘偽りない気持ちでしょう。たしかに彼らは、地盤や看板があるから、政治家になるのは他の人と比べ簡単です。

 しかし、その志はどの程度のものでしょうか?

 父親や親戚が政治家だから政治家になる。あまりにも、政治家になるのことが自己目的化しているのではないでしょうか?

 政治的な指導者層の新陳代謝がない国は、事なかれ主義が横行し、いずれ国力が衰え、その後必ず混乱が生じ、新たな指導層や政治体系が現れる。これは歴史の必然です。

 ただ救いがあるのが、私たちは民主主義国家に生きているということです。選挙がない国では、指導者層に不満がある人は、実力行使でしか政権交代(=革命)を成し遂げられません。

 しかし、幸い、私たちは民主主義国家に生きています。血みどろの闘争をしなくても、新陳代謝を成し遂げることができます。

 「世襲貴族議員」たちを国会から追い出す、ある意味庶民の、"投票"によっての「革命」が、今こそ日本には必要なのではないでしょうか?


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