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かつて踏みにじられて、誰にも振り向いてもらえなかった本気の言葉が、伝わる時が絶対にくる

先生のウケを狙ってるんでしょ?子どもらしくない、いけすかない


小学校の参観日、国語の授業。

「わすれられないおくりもの」の読み取りの時間で


「森のみんながあなぐまさんのことを大好きだったように、あなぐまさんもみんなのことが大好きだったと思う」

と、本文に書いていないことを発表したことがある。冒頭の台詞は、それを見ていた、他クラスの先生が私の母に言った言葉だ。

物心ついた頃から本が大好きで、行間を読んで色々と思いを巡らせるのが大好きだっただけで(この頃から現れる同人女の片鱗)
もちろんウケなんて狙っていない。
言いたかっただけ。

よく
「子どもらしくない、できすぎていて気味が悪いこども」
と大人に言われて生きてきた。

大人になってからは、

フィルターをかけて世界を見ることができない。
「こうしなければ」の大人の対応ができない。
社交辞令がわからないし、言えない。

「世間知らず」
「不器用」
「純粋だよね」
「もっと大人になれ」

などと言われることが増えた。

子どもらしく
大人らしく

うるさいなあ

私には、世界がこんなふうに映っているんだよ。

その人らしくいさせてくれる環境はある


中学1年生の時に気づいたことがある。

「人は、環境によっていい面と悪い面、どちらが出るか決まる」
「絶対、心に綺麗なもの持っている」

1年生時の担任の先生が、私は大好きだった。他校への異動が決まった時、1週間泣き続けたくらい大好きだった。

何かいいことを言ってくれたとか
特別なことをしてくれたとかいう記憶はない。

クラスはいつも騒がしかった。
お調子者が揃っていたし、不良もいた。
斜に構えた男子も、強めのギャルも多かった。
軽く学級崩壊気味だったような気もする。

なんだろう、でも荒れてはいなくて
みんなが「素」を出しているクラスだった。
先生も、ひとりひとりの個性をそのまま受け入れて
友達みたいに接しているような気がした。
みんなに「しっかりすること」を求めなかった。

どこに行ってもしっかり者だと思われていた私が
「のんびり屋」
と言われたのも、この時だけだった。

あの、大きなクッションみたいな雰囲気が好きだったのかもしれない。


クラスに、最終的に少年院に入ってしまったくらいの問題児がいて、人に暴力を振るったり、物を壊したりすることがあった。

ある日、彼の非行のことで不在時に学級会が開かれたことがあったんだけど先生は

「アイツどうしてあんなことしちゃったのかなぁ」
「みんなは、どうしたらいいと思う?」

と、ゴールを決めないで、すっごく悲しそうに語りかけた。
その学級会は45分間、沈黙だった気がする。

まさかの、私のお腹の音が鳴り響いて、爆笑で学級会が終了した。


そんなふわふわしたクラスで私は毎日
クラスメイトの良いところを観察して、班の日誌に書いていた。
不良のアイツも、笑うと可愛いし、優しいところがたくさんあった。
全然目立たない男子が「授業中眠くなっちゃうんだよ〜!寝そうになったら洗濯バサミでほっぺ挟んで起こして!」と言ってきたのが面白かった。
ギャルのボスみたいだと思ってたギャルは、ただ背が大きくて美人で大人で、頭のいい子だった。

そういうのを観察して噛み締めるのが本当に好きだった。

そんなことをして、先生に教えていたのは
後にも先にもこの1年だけだ。

先生には伝わる気がして、聞いて欲しかったのもある。共有したかった。特段反応がなかったのも良かった笑

ただの趣味だ、絵本を読んで空想するのと同じ。

思ったまま、見たままの世界を誰かに伝えたい。
今思えば、それが私の自由、好き、だったんだろうと思う。

大人になれ、子どもらしくいろとか言われなかったし、期待もされなかった。
なんだろう、1番幸せだったんだ。


多分、このふたつのエピソードが、私の仕事の原点だ。

あなたの世界を表現できる仕事はなんですか


このnote、着地点を全く決めずに書き始めたのだけど笑
読んでくださる方には

「自分ってなんだろう?」
「自分の進む道ってどこだろう?」

と迷っている方も多い気がするので
そんな方に伝えたいことを書いてみようと思う。

私は今、

人にインタビューすること
本音や相手の本質を率直に伝えること
それを、大好きな絵と言葉で見えるようにすること
みんなに教えるフリをして、いいところを観察すること笑


を仕事にしていて、これは、自分らしく生きることそのものだと思う。
やっぱり、無理のない自分のまま人の役に立てることはことは楽で幸せだ。


仕事内容は変わらないのに、納得のいく形だな、と思えるまで、起業から7年がかかった。


まず、ここに行き着けたのは
いつも自分のことを注意深く観察していたこと
自分と向き合う時間、書いたり、人と話したり、学んだりをたくさんしてきたから。
書いた、書いた、馬鹿みたいにノートを書いてきた。

自分大好きなんてカッコ悪い、と思わずに
たくさん自分を見てあげてほしい。
満足したら、人のために動きたくなるから。


もう一つは
たくさんのことに挑戦してみて
仕事の内容ややり方を、細かく細かく修正してきたこと。

同じ「イラストルポで販促を作る」でも
セオリー通りの当たり障りのない文章やイラスト
お客さんに指定されたものを描くのはダメだった。

ひととおりいろいろなやり方を試してみて
今は「こちらがあなたのいいところをキャッチして
自由に書いたものを買い取るか買い取らないか
決めてもらう(なんなら好きな値段で買ってもらう)」
まで行き着いた。

既存のやり方を離れるのも、新しいルールを作るのも、勇気のいることで
すぐにはできなかったけれど
自分が最高のパフォーマンスを発揮できるやり方は、お客さまにとっても幸せだと信じて、変え続けた。

あとは、人に教える仕事なんていちばん不向きだと思っていたけど、求められるまま続けていたら、私の大切な仕事になった。

やってみること、変え続けることを、諦めないでほしい。


そして、最後に。
「これが、大事な気がする」
自分の心の中にある、小さな炎を
消さずに、諦めずに持っていてほしい。

潰されそうな時は「うるさいなあ」でいいよ。
言えなかったら心の中で吐き捨てるんだ。

全員に絶対ある、信じてる


どんなに踏みつけられても、見えにくくても
「これな気がする」と思ったのなら
自分で自分のことを、裏切らないであげてほしい。
わからない?じゃあ私が見つけよう。(宣伝

ただ、
やりたいことを実現するのには、時間がかかる。
私だって、まだまだこれからだ。

一見、全然好きじゃない、自分の好きと関係ないことや地道で心折れちゃいそうな作業
そんなことを繰り返していくうちに、実力と実績がついてくる。

そう、大切なものを守る実力をつけるために、動く必要がある。

信頼できる仲間が増えて、かつて踏みにじられて、誰にも振り向いてもらえなかったあなたの本気の言葉が、伝わる時がくる。
SUNABACOはまさにそんな場所で
私は「初めて自分の話が人に通じた」と思った。

転機を見逃さず、じぶんの力を発揮できる環境も選んでほしい。

もしかしたら、私がグダグダしながらも頑張り続けてこれたのは、誰かから見た成功じゃなくて、自分が自分のままで生きていきたい、という強い想いがあったからなのかもしれない。

そして、自分のまま生きられない窮屈さも、安心感の中にある幸せも知っているから、伝える仕事をしているのかもしれない。


あなたには、何かの拍子に見えなくしてしまった
「これかも」という心の炎はありませんか?
正解・不正解はないので
あったら、Twitterの引用で教えてください。

それが見つかると、底力のようなものが沸いてきて
今まで頑張れなかったことが、頑張れるようになったりするよ。
誰かに言われて、よくわからない成功者を目指すのではなくて
その心の炎を守るために、強くなろう。


photo by 久保優太さん。ありがと


「じぶんの世界を生きる ラクガキノートワークブック」というワークブックで、可愛く描く方法を伝えながら、じぶんの人生を楽しく生きられるお手伝いをしています٩( ᐛ )و


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