進む気のないメンヘラを甘やかしてはいけません
「どうして私の方を見てくれないの?」
「私じゃなくて、あの人と仲良くするの?」
若い頃、いつもいつも私の愚痴を聞いてくれていた
女友達に、こんな言葉をぶつけたことがある。
彼女は、とても魅力的な人だった。
一見怠惰で、でも美人で、博識で
頑張らずとも人を惹きつける(ように見えた)
見た目も可愛くない、作品も凡作ばかり
できることと言ったら「人から褒められることを頑張る」しかなかった
優等生もどきの私は、彼女と一緒にいることで、自分も魅力的になれるような気がしていた。
それでいて、私は、自分の人生を生きる努力をすることなく
彼女の懐の深さに甘え「頑張ってる自分」の愚痴を聞いてもらっては、彼女を助けるフリをすることで、自分の価値を感じていた。
そんな彼女との距離を感じて寂しくなり、冒頭の言葉を投げかけた時
「だって、魅力的な友達と一緒にいたいのって普通じゃない?私は、好きな人と一緒にいることを選んでるだけだよ」
と言い放たれたショックを、今でも覚えている。
当時は、悲しくて悔しくて仕方なかったけど
彼女と同じ世界に生きることは、私にはできないんだ。
彼女の近くにいても、同じように輝くことはできない。
なぜなら、私が自分の人生に責任をとっていないからだ
と、今ならわかる。
ほーんと、20代までの私は、メンヘラクソ女だったよ。
あの時、言ってくれてよかった。
それまでたくさんの時間を私に使ってくれたこと、はっきり言ってくれたこと、感謝してる。(ちなみに彼女とは今も友達だよ)
進む気のない人と一緒にはいられない、ということ
人生において「離れてしまった」「置いてきてしまった」ような気がする人たちのことを思い出す。
時々、私のことをすごく褒めてくれる人たちが現れる。
「作品がすごく好きです、感動しました!」
「しゃおりちゃん、すごい!私にも手伝わせて」
「本当にすごいよ、尊敬してる」
個人事業主として、いつも新しい仕事を企画して、作品作りをしている私に、ファンや応援してくれる人の存在は、本当にありがたい。
ただ、その中で時々、違和感を覚えることがある。
「この人、色々相談してくる割にずっと進まないな」
「いつも、何か問題見つけては自分のことから逃げてない?」
「そして、私のことをコントロールしようとしてくるな」
「で、私を持ち上げるふりして、自分の目的を叶えたいのでは?」
随分具体的だけど、たくさんそういう人たちに出会ってきて
パターンがみんな同じだったのだ。
そして私は思う。
「この人、私のことが好きなんじゃなくて、変わらない自分のことをわかって認めてくれる人を探してるだけじゃない?」
「私といることで、行動してるフリをしたいだけじゃない?」
と。
違和感はどんどん大きくなるものの、私もその人たちに何かをはっきり伝えたり、距離を置いたりすることができなかった。
本音を言っても、分かり合える気がしなかったのと
本音を言ってまで、仲良しで居続けたいと思えなかったのだ。
そして、何か我慢できない出来事が起こり
私が「YES」と言えなかった時、関係は終わってきた。
「そんな人だと思っていませんでした、残念です」
「傷つきました」「ある人に嫌われました」「最低」
いろんな言葉を、表だったり、裏だったりで投げられて。
最後はだいたい同じ、ちょっと誇張されて、私が悪者になって終わり。
うん、いつか掌を返す気がしていたよ。
そして、そういう人たちは、散々愚痴をこぼして「私ああいうの無理だから」「あそことは距離を置いている」とか言っていたはずのグループやコミュニティに、また戻っていった。
被害者ぶりたいわけじゃない
「うわあ、ひどい奴らだ」って思いますか?
多分、残酷でひどい奴なのは私の方。
「この人は私のことをわかってくれる」って期待をさせて、結果的にゆるやかに切り捨てたんだから。
これは、同じ失敗を繰り返してきた私の後悔。
私が、初期段階で「私はそうは思わない」と相手の愚痴を聞かない姿勢を見せるべきだった。
違和感だけど、聞いてあげたら楽になってまた進めるのかな、って信じて励まさなくてもよかった。
お世話になったから、今空気を悪くするわけにいかないから、怒りそうだから、という理由で、言いたいことを言わなかった。
私が相手を信じず、嫌われるのが怖くて
本音で接しなかったのは、不誠実だった。
本当に相手のためを思うなら、最初から「私はこういう人です」ということをちゃんと知ってもらって、距離を詰めないでおくべきだったかもしれないし、最初からいつでも本音を話していれば、普通に仲良いままでいられたかもしれない。
うーん、でも、今となっては「仲良くなる必要なかった人」だと思う。
後から本音を言っても、ちゃんと仲良くいられる人たちもいたし。
違いは「好き」で繋がっていたかどうか。
人は結局、同じスピードで動いている人、もしくは、立ち位置が違ってもリスペクトを持って接することができる人としか付き合えないんだと思う。
足を止める必要はなかった。
だから、今は人との距離感にすごく気をつけている。
まだ自分の人生の責任を取る覚悟ができていなさそうな人に、好意的な返事をすることはしないようにしてる。
これは、無視とかいじめでなく、いい返事をすることが相手にも自分にも良いことではない、という気持ちから。
みんな、自分の人生の舵を切る資格があるんだ
まあ、それでも、一時期、その人たちと一緒に進む未来を夢見ていたことも事実。。
ただ、進む気のない依存してくる人は救えないし
私ごときの力で、誰かを引き上げるのは、無理なんだ。
そもそも、人を救いたいなんていう思いが、私には重いしおこがましい。
目の前で転んで泣いている一人一人に声をかけるのが私の仕事ではない。私がやるべきことは
仕事をどんどん発展させて、稼ぐこと
本音を発信すること
人を救うなら、作品で
自分に自信を持ち、引っ込まないこと
いるだけで力になれるくらい有名になること
だと腹を決めた。
自分の人生を生きるためには、切り捨てなきゃいけないものがある。
自分には救えないものがあると、認める必要がある。
それは、冷たいことでもなんでもなく、むしろ
自分にできない他人のお世話をしようとするのは
暇つぶしであり、思い上がりであり、エゴである。
だって、他人の人生の主役は、その人だから。
みんな、自分の人生の舵を切る資格があるんだ。
不思議なその後
離れていった人たちのその後を見ていると
前よりは逃げるのをやめて、今の自分の現実を認めて、自分の人生を歩み始めている人が多いように思う。
もう深く関わることはないと思うけど、まあ、よかったなと思う。
そして、もう、このような事件をもって気づきを得るのも与えるのも、たくさんだ。コスパが悪すぎる。
私がnoteで「本音を書こう」と思ったのはそのため。
いい人に見えて、時にナメられやすくて笑
基本はハッピーに生きている私の、普段は黙っている側面の真意を少しでもわかってもらえたら嬉しい。
そして、言えないこと、無理や我慢をしてしまうことで、本当に良い結果になったことがない、人も自分も傷つけてしまうので…人生折り返し、怖くても本音で、世界にも人にも誠実に生きていこうという決意の日記です。
こういう発信を見て、私のところに来てくれる人は、勇気あるなと思う。
「自分と向き合うことから逃げている人」が目の前に来ても、それをサラッと伝えられる人になりたい。
「きてくれた人のことは、全力で信じる」って、そういうことだ。
今まで逃げてきた人は、時間がかかるかもしれないよ。
でも、自分以外のことも、自分自身のことも責めるのを終わりにして、前を向こう。
できない自分も認めて、小さな一歩から「自分の」人生を歩んでみようよ。
実際に歩くのが大事だよ。
一度きりの人生だからさ。
私も、一歩一歩、頑張るね。
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