「孤独に頑張るには、孤独ではない必要がある」という、残酷なはなし
「もう、人のことが信じられない。1人で生きていく」
こんな言葉ばかり、何度も放ってきた私。
学生時代の友人で、今も付き合いがある人ってほとんどいないし
元職場の人ともほとんど連絡とってない。
決別してきた人の数は数しれず
仕事で人と一緒にやろう!といっても、長続きした試しがなかった。
そんな私が今、どうしているかといえば
なかじまさんとコンビを組んでWEB制作のお仕事をしたり
地元の同世代・同業の人と一緒に、まちを変えるための講座を作ったり
コミュニケーションのメンターについてもらって、新しい仕事に挑戦したり
もう一つ、新しい大きな挑戦を、昔からの友人に手伝ってもらって立ち上げたり
スナフキンさんとやってるラジオが、もうすぐ1年だったり
愛さんと、自分たちのためでもある「ノート会」という環境を育てたり
実際、収入につながるお仕事はひとりでやってるんだけど
ひとりぼっちで新しい挑戦をする、ということが、もうほとんどない。
そして、ひとりぼっちじゃなくなってから、ひとりでも頑張れるようになった。
どうしよう!?というトラブルが起きても、その場を乗り切ることができるようになり、その結果を報告する相手がいることで、終わった後もメンタルが落ち込むことがなくなった。
相方が勉強を頑張っているのだから、自分も頑張ろうと、読書量がすごく増えた。特に産後から今まで、本なんて全然読めなくなっていたのに。
今では、お仕事のパートナーと読んだ本の感想と、活かせそうなことを伝え合う時間が楽しみ。本好きの彼女が、私が「おすすめの本、読んだよ!」と伝えるとめちゃ喜んでくれるのも、嬉しい。
定期ミーティングまでに、ちゃんと自分の作業を進めておかなきゃと思うようになって、サボらなく(サボれなく)なった。
ラジオや講座の定期開催は、私はもう、1人では無理だ。毎度毎度、数回やってはフェードアウトしてしまう。相方さん達がいるから、続いてる。
自分の苦手な部分をパートナーがやってくれるので、安心して自分のやるべきことに集中できるようになった。
隣で、同じくらい荷物を持ってくれたり
荷物を下ろす場所を作ってくれる人の存在のおかげで
ひとりの時も、ひとりじゃないって思える。
パートナーやメンターの存在に限らず
困ったことがあった!とXで呟けば気にかけて声をかけてくれる人がたくさんいて、同じ悩みを持つ人とは共感しあえて
私になんらかの魅力やよさを感じて、サービスを受けたい!ときてくれる人がいる。
なんか、愛されすぎてて、身に余る幸せなんだけど。。
本当に、ありがとうございます。
頑張れる理由
見る人から見たら、私はものすごく頑張っている人に見えるんだろうか?
無理しているように見える?
不安に駆られているように見える?
命や精神を削って、趣味の、遊びの、家族の時間を削って
幸せを投げうってまで、競争に勝とうとしている人に見えたりするんだろうか?知らんけど。
それは違う。
私がちゃんと頑張れるようになったのは、安心しているからだ。
頑張れば叩かれる場所から離れて
今、SUNABACOをはじめとする、自分が頑張って結果を出すと喜んでくれる人に囲まれて
たくさんの愛のある言葉をもらって
失敗も許してもらって
安心して
やっと
自分のために、自分で動くことの大切さを心から感じて、それに集中することができた。
遅かったと思う。
人間関係やコミュニケーションにこんなに不安を抱えていなかったら
今頃、社長にでもなっていたかもしれない笑
それくらい、頑張るためには心理的安全性や
承認欲求が正しく満たされていることが必要ってことだ。
満たされるために必要だったこと
私がひとりじゃない、と思えるようになったのは
コミュニケーションを学んだとか
素敵な人たちに出会ったとか。
もちろん、出会った皆さん、外的要因に感謝なのだけど
実は、私が周りから「愛されてるなぁ」と思えるようになったのは、自分の間違った人生を受け入れた時だった。
人生の長い間、社会を斜めに見て、
自分は特別だとか、人よりできるとか思っていた。
SNSのアカウントをめちゃくちゃ育てて稼いでる起業家を見ては
「ああいうビジネスビジネスしたことはやりたくない」と言い
コツコツ勉強するなんて、今更自分には必要ないと思っていた。
トラブルがあれば、悪者は相手。
人の指摘は受け入れない。
失敗すれば、生い立ちのせい。
そんなふうに、できない自分、やれてない自分を見ないようにして生きていた。
いい面だけ切り取れば、いくらでも充実した自分が演出できる。
でも、自分は30代半ばになっても「20代のできる子」以上に成長することはなかったし、なんとなく、世界に居づらいような気がした。
「このままじゃダメかもしれない」と思える証拠が集まっていった。
それで、Xで「自分ってずっと斜に構えていて恥ずかしかったな、間違っていたと思う」と認めたことがある。
ツイートを遡れないのだけど、なかまこさんが「失敗を認めて謝れるのはすごいことだよ」と言ってくださったのを覚えている。
こうやって歩き直すことを伝え、認めてくださったのはなかまこさん。ありがとうございます。
他の人からしたら「そんなこと?」「え、そうだったの?」でも
そんなことだし、そうだったのだ。
そんな自分を認めるのは、恥ずかしかった。
イベントや仕事の大きな出来事があったわけじゃない。
でも、自分のダメさを認めて口に出し、謝罪して、全て自責として受け入れたあの日がきっと私のターニングポイント、というか、スタートだ。
そこから、意識を変えて人との交流を始めたように思う。
そうしたら、以前と同じやり取りでも、相手からの「愛」を感じられるようになった。
無意味に想像して、ありもしない「悪意」や「裏」を探すことはなくなった。
いい人じゃない。
今、自分が愛されている実感を持てるのも、たくさんの人と交流できるのも
私が「いい人だから」じゃないと思ってる。
「成功してるから」でもない。
私はそもそも、いい人じゃないw 成功もしてない。
怨念noteを量産するし、いまだに人の言葉にすぐ感情的になる。
疲れてる時にはイジワルな気持ちにだってなる。
世界の誰でも救ってあげようなんて思ってない。
そもそも、救おうとかいう気持ちがない。
好きな人としかしゃべりたくないし。
「いい人」「いいこと」「成功」を集めても、信頼は得られない。
自分と世界に嘘をつき続けている限り。
それを認めて、謝って、「ダメ風」じゃない、本当のダメな自分を見せて、信頼を積み直さない限り。
そして、人からの信頼を得られない、の前に
嘘をついた自分のままでは
どんなに人に囲まれていても、ひとりなんだよ。
そんな状態では、仕事なんてうまくいくどころか
頑張れる土台がないの。
ねぇ、そういうことだよ、わかる?
世界に謝って、積み直せるといいね。
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