カルテ20:バブルとか高度経済成長期に生まれてたら

高度経済成長の時かバブル経済の時かはちょっと記憶になくて申し訳ないんですけど、その時代っていい大学までいけば後はエスカレーター式でいい企業につけるみたいな神話があったはずです。
それこそ社会契約のごとき物語のパワーがあったように見受けられます。
今の時世を見るとどうかというと親ガチャとか出生地ガチャをはじめとした「まず努力の土俵に立つために壁となってるもの」みたいな論があるような気がします。

ここでふと疑問が。先の話におけるエスカレーター式の神話があった世代のとある人間Aが今の時代に生まれた場合どういう精神状態になるのか、反対に自分が高度経済成長とかバブル時代に生まれてたらエスカレーター式の神話に則って何かの行動を起こせる気になったでしょうか。

自分たまに思うんですよ、最終的な結果が「神よなぜ我を見捨てたまいしか」状態になるにしてもその神話というか言の葉であればもっと活発的な人間になれたのかと。

たまたま見かけた現Twitterにて「人生の成否は『自分の目の前にニンジンをぶら下げる上手さ』」という言葉を見かけまして、このニンジンは昔は自動的に用意されてたけど、今の時代は自家栽培したものを用意するしかないと思います。

果たして昔も含めてどれほどの人間が自前のニンジンを用意できるのか。
思考実験的な部分で興味があります。

どのみち「自分の努力が叶わない前提の努力」というありように向き合わなければならなそうなのは変わらないから反実仮想の域を出ないだろうけど。
やはりニンジンを追いかけた先の意義をどうしても頭の中でシミュレートしちゃうなぁ。
または神話が安全神話へと変貌し得る可能性が常にあるとか。

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