自由について(エッセー)
「もっと自分のやりたいことをやりたい」
「生活のための労働から解放されたい」
そうした自由を求める声は、
日々いろんなところで聞こえます。
そして、その声に対して
「こんな副業で楽に稼いで自由になろう」
「かんたん投資で仕事をやめよう」
そういった言葉が
投げかけられるのも世の常です。
(特定の方への批判ではありません)
人間が自由を求めなかった時代は
ないのかもしれませんが、
行き詰まった日本経済を反映して、
自由を切望する声は強まっているように
思います。
では、
自由って何ですか?
もっと言えば、
あなたにとっての自由とは何ですか?
それを迷いなく言えますか?
もしそうでないならば、
きっとあなたは、
いろんなところに掲げられた
「自由」の旗を転々とするだけで、
結局のところ
何かに依存する不自由な人間となるでしょう。
厳しい言い方ですね、
誰よりも、私自身に向けた言葉です。
この記事では、
人が求めてやまない自由について、
考えたことを書いてみます。
エッセーなので、
何か理論や先人の知恵に基づいたものでは
ありません。
あしからず!
日本国憲法における自由
日本国憲法では、
以下の3つの自由権が定められています。
①精神的自由
②身体的自由
③経済的自由
中学校でやりましたね!
憲法上の自由権は、
「国家からの自由」と言われるように、
国家権力によって
国民の自由が奪われないように保障するものです。
裏を返せば、
かつて国民が奪われてきた歴史があるから、
ルールとして明文化しています。
もちろん、現代でも
こうした自由が国家によって
脅かされる可能性はあります。
違憲裁判は、その部分を争っていますね。
しかし、
ほとんどの人にとって
憲法の自由権を日常的に意識することは
ないのでは。
ということは、
私たちが求める自由は、
こうした憲法上の自由とは
少し違いそうです。
巷で求められる自由
現在の私たちが求めるものは、
「侵害されない」という消極的な自由ではなく、
「実現していく」積極的な自由かもしれません。
その最たる例がFIREだと思います。
憲法上の経済の自由(経済活動の自由)は主に、
・住む場所や職業の選択を国家に侵されないこと、
・個人の財産の権利を侵されないこと
です。
例えば転職する時に
国から
「あなたはこの職業なれませんよー」
とは言われないので、
消極的な自由は守られていそうです。
これに対して
よくあるFIREの話は、
以下のようなものかと思います。
一定の資産を得ることで、
労働を含め、あらゆる選択肢を得る
(積極的な経済的自由)
仕事や家事など労働による
時間的拘束から解放される
(積極的な身体的自由)
それにより、
煩わしい物事から離れて、
やりたいことができる生活を送ることができる
(積極的な精神的自由)
憲法上の自由権にあった
精神・身体・経済
という枠組みで、
FIREの自由を捉え直してみました。
このうち、
経済の自由は、
富によって
選択肢が多くあるという自由
身体の自由は、
労働からの解放によって
自分で時間の使い方を決定できる自由
精神の自由は、
お金や時間の使い方を決め
自分のやりたいことを実現できる自由
のように読み替えてみました。
こう読み替えてみると、
現代の日本人が求める自由が
(私なりに)見えてきました。
改めてまとめると、
①(富による)選択の自由:積極的な経済の自由
②時間の自由:積極的な身体の自由
③自己実現の自由:積極的な精神の自由
こう見てみるのは
どうでしょうか。
その上で、FIRE論は、
①〜③へと順番に達成される
ストーリーと捉えられます。
(もちろん、そうじゃないFIRE論者の方も
いらっしゃると思います。)
しかし、
本当にその順番なのか、
という疑問が浮かびました。
というのも、
起業やビジネスで多くの富を得た人
いわゆる「成功者」の方は、
流行り言葉で、「マインドセット」
つまり、心のあり方の話から
始まるのです。
私のような凡人は、
「それは後からだから言えるんじゃない?」
と思っては読み飛ばして、
ノウハウやメソッドを貪るわけですが。
それにしても、いろんな方が、
「マインドセット」から話を始めるのには
きっと理由があるのでしょう。
むしろ、
それが一つの答えなのかもしれません。
つまり、
お金があるから、時間が生まれて
時間が生まれるから、自己実現ができる
のではなく、
自己実現を目指すから、時間を有効に使えて、
時間が有効に使えるから、多くの成果を出せて、
結果、経済的に豊かになる
この順番が、
多くの「成功者」に起こっていること
なのかもしれません。
あくまで想像なので、
「成功者」さん、もしいましたら
コメント等で実際のところを
いただけたら嬉しいです。
ただし、
じゃあ精神を変えれば
「成功者」になれるんだ!
というのも早計かと思います。
思い出したいのは、
ストア派の哲学者
エピクテトスの言葉
「我々次第であるもの」とは、
「自分でコントロールできるもの」のことです。
事業の売上や財産は、
エピクテトスに言わせれば
「我々次第でないもの」
つまり、
「自分でコントロールできないもの」
なのです。
なので、
資産の額などは、
人生の一応の目標としてもよいですが、
究極の目的にはしない方がいいのです。
だって、
自分のコントロールの外にあるものだから。
今「成功者」と見られている方は、きっと
自分の実現したい人生を描き、
時間を効率化して投資し、
結果、富による選択肢を多く得た
そういう方なのだと思います。
「成功者」かそうでないかは、
結局のところ
結果論でしかないのかもしれませんね。
おわりに
もちろん、
「富がなければ、自由じゃないのか」
「会社に縛られてたら自由じゃないのか」
という疑問もあるかと思います。
そうした問いも、
いろんな人と話してみたい問いですね。
雑記ですので、
理論的ではなく、考えたことを
エッセイのように書いてみました。
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今日はこの辺で。
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