科学の否定、あるいは断末魔の叫び

先日、記事の一部を切り取って内容を改変する手口という記事を投稿したら、さっそく反応がありました。

曰く、「何故、アイヌに縄文人のDNAが一番多いかは何度も的場塾で説明されているのですけどね。」とのこと。そして、的場塾第60回のリンクが示されています。

「学者・研究者が言えない」という言いまわしは陰謀論でよく見ますね。真実なるものが隠されていてそれを知っているのは自分だけだという印象を与える決まり文句です。
 科学を含む学問の営みにおいて大事なことは、それぞれの学問はその方法論の内部で論理的整合性を持つ結果を発表し、異なる学問の成果を比較するときには、それぞれが独立に行われているということが最も重要な要素です。方法論が異なっても同じ結果が出るからこそ事実が浮かび上がってくるのであって、都合のいいところだけをつまみ食いするようなことは戒められます。この動画はその典型的な見本と言ってもいいでしょう。歴史は歴史、分子人類学は分子人類学で独立して行うべきであって、実際、学者たちはそのように研究しているわけです。さらにいえば、「学者・研究者が言えないこと」というのは基本的に存在しません。日本国憲法23条で学問の自由がうたわれているのもこのためです。それぞれの学問分野において、決められた手続きを踏んだものは学術的な成果として世に出すことができます。これれはそのまま、学術的な内容とそうでないものの区別が歴然としていることを意味します。たとえばこの動画のようなものを学術的なものとしてみなされることは決してありません。専門家による審査(査読)を受けていないので、内容に関して質が保障されないからです。査読の過程において、先行研究がきちんと引用されているかどうかは重要な点です。学問というのはすべてが自分の発見ということではなく、これまで積み上げられた知見の上にたってその先に一歩進むという営みです。そのため、引用の作法を守っていない論文は容赦なく却下(リジェクト)されます。私が書いた論文、『DNA解析と「アイヌ民族否定論」:歴史修正主義者による先住民族史への干渉』を読んでいただければ、この動画の作成者が引用についてのルール違反をしていることがわかるでしょう。
 これから特に重要な点に絞って、この動画の内容を検証していきます。まず、タイトルの「近・現代アイヌに紛れ込んだ縄文人DNAについて」です。これは、的場塾32回にて私の論文を批判しながら紹介してあります。このような解釈が成立しないことについて、すでに「反論する前には論文を読みましょう」という記事を書いてありますので参考になればと思います。冒頭で「何故、アイヌに縄文人のDNAが一番多いかは何度も的場塾で説明されているのですけどね。」と書かれていることを紹介しましたが、「的場塾」のような動画ではなく、原著論文あるいは専門家による解説書を引っ張ってこない限り説得力を持ちません。
 上に書いたように、科学的に検証可能なものだけで結論を出してから他の分野の結果と比較するというのが基本ですので、この動画で延々と紹介される文献史料についてはここで考慮する必要がありません。科学で扱える内容については、動画の35:41から始まります。

この図は2017年に出版された、先ほど紹介したですね『日本人の源流』にも採用されてますけどもね、この時点でアイヌ、東北の縄文人と斉藤先生は考えていたらしいんですけど、2021年になるとですね、YouTube 動画で 斉藤先生はアイヌは縄文人の直接の子孫ではないと断言してます。

的場塾 第60回

ここで『日本人の源流』とは、斎藤『核DNAでたどる 日本人の源流』(河出書房新社、2017)を指します。さらに、斎藤による動画が続きます。

「また、アイヌ人が縄文人の直接の子孫、本当はそうではないではないんですね。と仮定して計算します。」(斎藤)

的場塾 第60回

ここで、動画には大きく「本当はそうではない」と大きく表示されてこの言葉を強調しています。この発言がどのような文脈にあるのかは、その前後を見なければなりません。

遺伝子解析から見た東アジアの民族関係」という動画の19:58から当該の発言が含まれる内容があります。(スライドの文字のフォントは異なっていますが、発言内容は一致しますのでこれを使います。)

さて、ヤポネシア人の二重構造モデルでは在来の縄文人に大陸からの渡来人が弥生時代以降に混血してヤマト人が誕生したということになっていますが、混血の時期をゲノムデータから推定してみました。このために、この図のような系統関係を仮定し、また、アイヌ人が縄文人の直系の子孫だと、本当はそうではないんですが、と仮定して計算します。まず、縄文系の人々の、これは縄文時代人のゲノムデータがまだ当時はまだなかった、そうすると割合の推定ができまして、だいたい14%から20%、この図は、この数字は先ほどのヤマト人の青色の割合と近いものになっています。

遺伝子解析から見た東アジアの民族関係

ここから「本当はそうではないんですが」は、「縄文時代人のゲノムデータが当時はまだなかった」という事情に対する説明であることがわかります。その代わりに現代アイヌのデータを用いたことを正当化するための話であって、そう解釈しなければこの図そのものが成立しません。念のために原著論文"Unique characteristics of the Ainu population in Japan" (Jinam et al, 2015)を確認すると、以下のような記述があります。

To estimate the proportion of genetic contributions from the ancestral populations in the Japanese, we conducted the f4-ratio estimation test. Populations used in this test are assumed to be related to each other according to the tree shown in Figure 3. This test differs from the f3 test in the inclusion of an outgroup, and another population that is close to one of the source populations (continental Asians). Using various combinations of populations, the results with the most significant Z-scores are shown in Table 3. The proportion of the Jomon ancestry (ancestors of Ainu) in Mainland Japanese was estimated to be 17.8% (Z-score 72.3) when using the CHB as the other source population. When using the smaller data set with Koreans as the source population, the proportion of the Jomon ancestry in Mainland Japanese was higher at 17.9% (Z-score 64.9). The proportion of Jomon components in the Ryukyuans was from 28.4% (Z-score 43.8) when using high density SNP data and 27.8% (Z-score 40.0) when using the lower density SNP data. The higher proportion of Jomon component in the Ryukyuans compared with the Mainland Japanese was consistent with the individual ancestry estimates using ADMIXTURE (Supplementary Figure 2).

Jinam et al, 2015

この記述から現代人のゲノムデータの組み合わせを試した結果として、もっとも確からしいのがCHB(北京中国人集団)とアイヌ集団の混血が本土日本人集団であり、アイヌ集団のゲノムが含まれる割合を縄文人とした場合の数値が17.8%になると推定されることがわかります。この論文をどのように読んでもアイヌが縄文人の子孫ではないという話は出てきません。
 さらに斎藤氏の動画を観てみると重要なことがらが紹介されています。

さていよいよ、混血時期の推定です。アイヌ人自身も混血がいろいろな程度で存在するので、ヤマト人と混血が少ない15名、混血が多い個体を含む28名まで3種類の可能性を考えました。すると、それぞれの場合で、結果として55世代前から58世代前に混血が始まったという推定が得られました。1世代を25年とする。この場合25年というのは親と子の年齢の差です。考えていただくと、25年よりもうちょっと大きいのではないか、最近では親と子と30年という推定が出ておりますので、両方で出しておりますけれども、より可能性の高い当時でも30年、1世代30年と仮定しますと55世代前から58代前というのは、およそ、紀元3、4世紀になります。これは、日本では古墳時代が始まったころです。弥生時代はすでに始まって、終わっており、古墳時代が始まっております。どうして、こんな遅い時期になったのでしょう。つまり、弥生時代から混血が始まったはずですから、3000年前という推定値になるべきではないか。どうしてこんなに新しいのか。それよりも1000年以上新しくなっております。
さきほど仮定したこの系統樹を見ていただきますとアイヌ人の祖先とヤマト人の祖先の集団が混血した時期です。で、アイヌ人の祖先は、かつては東北地方にも居住していたらしいということが、考古学あるいは言語学から言語学というか地名の研究ですね。そこで、混血が生じた可能性があります。実際に、日本書紀では古墳時代に大和朝廷がその版図を東北に広げていったということが書かれておりまして、この時期にヤマト人とアイヌ人のそれぞれの祖先が混血したのではないか。それをわれわれはこのように推定したのではないかと考えております。

遺伝子解析から見た東アジアの民族関係

最初に述べたように、まず科学の方法論によって答えを出してから他の研究成果と比較するという原則が守られていることがわかります。この重要な研究成果には一切触れずに自説を先に述べてから、科学的成果の一部だけを切り取って作成したのが「的場塾」の内容です。根本的に間違っていると言い切ってしまって構いません。
 ここで述べた内容は、もちろん先ほど紹介した原著論文にも明確に書かれています。

The time since admixture estimated using rolloff varied from 55 to 58 generations ago, depending on the number of admixed Ainu included in the data set. If we had more Ainu individuals who are less admixed with Mainland Japanese, then the estimate could be even older. Our estimated time since admixture of 1450 years ago may be treated as a lower bound, since rolloff assumes only one admixture event and estimates the most recent event. This time estimate coincides with the period, during 5th–8th century, in which the Japanese government expanded their territory to the northern part (Tohoku) of the Honshu Island.28 Interestingly, the time since the admixture event that led to the formation of Ryukyuans was more recent compared with the Mainland Japanese. The estimated admixture time of approximately 1100 years ago corresponds to the Gusuku period of Okinawan archeological history. A plausible explanation may involve the following scenario: the Jomon people who already settled in Ryukyu Islands experienced admixture with migrants from the continent who themselves may have already admixed with the Jomon people in the Japanese Mainland.

Jinam et al, 2015

 的場塾第60回の動画に戻ります。先ほどの図に続いて、「国立遺伝学研究所のJinamさんの2012年の論文」から引用した図が紹介されています。その後すぐにFigure caption(図の説明)が和訳されたものに差し替えられています。

本研究の成果と考古学的証拠に基づく日本列島3地域における人類集団の進化史のシナリオ。現在のアイヌ民族、日本人本土人、琉球人に相当する北部、中部、南部の人口は、縄文時代のどこかの時期に同時に分岐したと考えられていましたが、正確な時期はわかっていません。土着の縄文人と弥生人の混血は、3000年前の弥生自裁が始まってからしばらく経った頃に起こったと考えられていました。縦矢印は歴史上の遺伝子流動を示しているが、そのタイミングと頻度は推測の域を出ない。

的場塾第60回

まずこの和訳には致命的な欠陥があります。専門用語を正しく訳していません。「アイヌ民族、日本人本土人、琉球人」ではなく、その前の「3地域における人類集団」を受けているので「アイヌ集団、本土日本人集団、琉球人集団」と訳す必要があります。「北部、中部、南部の人口」も間違いで、この「人口」はpopulationという専門用語の誤訳で、正しくはここも「集団」となります。文章構造も間違いで、原文では"although we do not have a precise time estimate"とあるので、この文全体としては、「正確な時期の推定はできないものの、現在のアイヌ集団、本土日本人集団、琉球人集団に相当する北部、中部、南部の集団が縄文時代のある時期に同時に分岐したと仮定した。」と訳す必要があります。次の文章も「土着」ではなく「先住」と訳すべきで、さらに「考えられていました」ではなく「仮定した」となるべきです。最後の文で、「歴史上の遺伝子流動」というのは意味が通りにくいので、原文の"in historical time"を生かして「歴史的な時間での遺伝子の流れ」の方が素直でしょう。そのあとに「推測の域を出ない」と訳していますが、原文では"rather speculative"と書いてあるので、「かなり不確かなものだ」というあたりの意味でしょう。
 加えて、この図がどのような意図で書かれたのかを知る必要があります。

Our analysis revealed a great genetic variation within the individuals of the Ainu group, brought about by admixture with the mainland Japanese and possibly another population from Northeast Asia. Figure 5 depicts a plausible time course of the human populations in the three regions of the Japanese Archipelago based on the findings of this study, though many features are still speculative. In conclusion, our results support the more than 100-year-old hypothesis of von Baelz that the Ainu and the Ryukyuan have shared genetic ancestry, and the admixture hypothesis (for example, Torii and Kanaseki) that the mainland Japanese are the result of admixture between the ancestral Yayoi people and the indigenous Jomon people.

Jinam et al, 2012

Figure 5というのがこの図を指します。本文では「日本列島の3地域における人類集団の、可能性が最も高い時間的な進路(plausible time course)」を描いたものだと言っています。動画でわざわざ赤の傍線を引いて、否定的な意味を強調しているのとはかなりニュアンスが異なることがわかるでしょう。そして、この論文の結論として、いわゆる二重構造説をこの研究結果は支持すると書いてあります。
 それでは動画に戻ります。この図を次のように説明しています。

これは国立遺伝学研究所のJinamさんの2012年の論文です。縦矢印は歴史上の遺伝子流動を示しているということでありますが そのタイミングと頻度は推定の域を出ない。この縄文からね アイヌと別れて行く沖縄と別れていく、そして大陸から入ってきたこのメインランド ジャパニーズという風に分かれていくんだと。これは推定の域を出ないと。いう風になっています。この論文を見てですね、やっぱりアイヌは縄文人の直系だとみんな 大喜び して、それこそあれですね。あの旭川博物館の館長さん、元の、札幌大学の今の教授の瀬川さんも大喜びで本に引用していました。

的場塾第60回

この説明には明らかに誤誘導があります。「縦矢印」と言いながら、ポインターが指しているのは左から右の全体の流れです。図の「縦矢印」は各人類集団間の遺伝子の流れを指しているのに、ポインターはそこを指していません。したがって、的場塾第60回の動画から受ける印象と、論文で斎藤氏のグループ(Jinam氏を含む)が書いていることがかなり違うことがわかるでしょう。
 動画はさらに続きます。別の図を出して次のように説明しています。

ところがですね。これ、2015年になると以前の推定ではなくてね、確定してます。つまりですね、ここをご覧ください。アイヌに縄文人のDNAが入ったのはこの図から言うとですね。600年から400年ぐらい前、この辺りですね。
だから先ほどの歴史にぴったり合うわけですね。ここのところを見ると、もともと縄文人が住んでて大陸から人々が渡ってきてですね 、ここにここ 弥生人に来るわけですね。まあ一部、朝鮮半島にも戻って、百済とかね。日本府を作ったと。きっとあるんでしょうね。そして、こういうふうに本土日本人ができている。で、沖縄へも移っている。本土日本人。先ほど言ったように、そういう差別されているような人たちが、特に縄文系の人たちが北海道へ渡っていく。これがだいたい400年前から600年くらい前の話というふうになるわけですね。

的場塾第60回

この図は、「斎藤成也『DNAから見た日本人』(2015、ちくま新書)より」と書いてあります。ところが、書誌情報を検索すると、ちくま新書から発行されたのは2015年ではなく2005年であることがわかります。したがって、この説明「2015年になると以前の推定ではなくてね、確定しています」という前提自体が成立しません。むしろ、これが最も古い図であって、次にJinamらの2012年の論文、最後がJinamらの2015年の論文となるわけです。しかも、この図そのものは2012年の論文と基本的には違いがありません。こんどの説明は「縦矢印」の方に注意を向けるようにしていることに気づくでしょう。実際には「縦矢印」は全体の一部であって、大きな流れとしてはやはり縄文人から3集団が分かれたということになります。しかもこちらの図の年代の方が精度が低く、2015年の論文では核ゲノムのデータを使って1450年前という数字を出していることを思い出してください。動画で強調しているような「差別されている人たち」というのは、少なくともこの論文の結果に当てはまらないことが分かります。
 科学で大事なことは、言えることと言えないことの境界を明確にすることです。もとの論文では言っていないことを勝手に付け加えたり、書いていることを隠したりするのは不正引用として扱われます。論文でそれをすれば査読者が指摘するだろうし、仮に査読者の眼をすり抜けて世の中に出てしまっても、ここで書いたような不正が見つかると、場合によっては研究者だけではなくその所属そしきまでペナルティーを受けることがあります。一言でいえば、この動画は「科学の否定」に他なりません。
 動画ではその後にY染色体のDをアイヌが高頻度で持つことについて説明していますが、何の説明にもなっていないことはすぐにわかるでしょう。どんなに頑張ってもY染色体Dを持つ「縄文系」だけを北海道に送り込むなんてことはできません。私たちの生活においてDNAの表現型は全く表に現れないことは言うまでもなく、それにもかかわらず現代アイヌ集団でDが多いというのは、妙な屁理屈をこねまわす必要はないのです。これまでのDNA解析で、アイヌが縄文人の子孫であることを否定しているものは一つもなく、さらに言えば、性染色体を分析に使わない核DNAの結果によって本土日本人とは大きく分布が異なることが明らかになり、さらに人類集団間の遺伝子の流れの時期が推定できるのです。
 大学院生が始めにすることは、論文を書いてある通りによむ訓練です。先入観が邪魔をして、どうしても自分の理解に引き寄せがちになるのを、まず著者の主張を正確に理解できるようになるまで徹底的に読み込むところから始めます。動画で使われている図が掲載されている論文はすべてオープンアクセスとなっていますので、形式的には誰でも読めるようになっています。ただそれは、論文の主張を誰もが理解できるということを意味しないことを、改めて強調しておきます。少なくとも、分子人類学の基本用語であるpopulationを「人口」と訳してしまうようなレベルでは話にならないことは言うまでもありません。
 最後に、一連のDNA分析に用いられた血液試料について確認しておきます。動画の7:50から以下のように説明しています。

使われたアイヌ試料はですね。これはあの、現代アイヌですよ。1980年代に主に東京大学理学部教授(当時)が得たアイヌ人 55名のDNAが東京大学で長く保管されてきた これら貴重なDNAはミトコンドリアDNAやY染色体の研究にすでに使われ、云々と、つまり 現代アイヌの血液、1980年代に採取されたものだということが確認できました 。

的場塾第60回

動画には出典として斎藤成也『日本人の源流』(2017)と書いてあります。実はここにいたって「確認できました」というのは奇妙な話で、Jinamらの2012年の論文に以下の記述があります。

Blood samples of the Ainu people were collected in Biratori Town, Hidaka District of Hokkaido in the early 1980s for analysis of DNA by a group from The University of Tokyo, and have since been archived there. A study to use these samples was approved by the Research Ethics Committee of The University of Tokyo. These Ainu DNA samples were the same used in previous studies on mitochondrial DNAs, on Y chromosome, and on human leukocyte antigen types.

Jinam et al, 2012

論文をきちんと読んでいればこの記述に気づかないことはあり得ません。どのような試料を使ってどのような解析を行ったかがわからなければ、そこから得られるデータの信頼性について全く何もわからないからです。この説明から、上に述べたY染色体の解析も、この論文で行った核ゲノムの解析も同じ試料を用いていることがわかります。したがって、Y染色体にある特別な特徴があるのならば、当然核ゲノムの解析結果にもそれが反映されていなければなりません。実際のところ、論文を読む限りにおいて両者は矛盾していません。やはり、屁理屈を考える必要など全くなかったわけです。親切な方が「的場塾第60回」を見ればいいと教えてくださいましたが、結果として分かったことは、科学的に成立するような説は一つもなく、この動画を作った方は原著論文をきちんと読んでいないということが明らかになっただけです。


 旭川医科大学 稲垣克彦

参考文献
『DNAから見た日本人』斎藤成也、ちくま新書(2005)
"The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations", Jinam et al, Journal of Human Genetics, 57, 785- 795 (2012)
"Unique characteristics of the Ainu population in Northern Japan", Jinam et al, Journal of Human Genetics, 60, 565- 571 (2015).
『核DNA解析でたどる 日本人の源流』斎藤成也、河出書房新社(2017)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?