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「人間関係について3」

すみません何度も 笑

今日はちょっと思うところがあって書きますね。

もう1つの例があって
それは何かというと
相談に乗って欲しい
というやつだ

相談に乗って欲しいというお願いをしてきているにもかかわらず、断ると怒り出す人がいる。これも訳がわからない。

まあ、もちろんそれまでに相当な相談に乗ってきていて、それで1つ逆にお願いと言って断られて憤慨 なら話はわかるけども、相談したいんだけどもと言われて、内容を簡単に聞いて、ああそれは相談には乗れないよというと憤慨みたいなパターン。

たとえば、離婚の相談に乗って欲しいというケース。

たとえば、法律的なことであれば相談には乗るけども、どうしたら良いとかには一切相談に乗りたくない場合、というのは、そんなに大事なことはやはり自分で決めるべきだと思うし、万が一、その相談内容によって相手がまた後日憤慨してきたら目も当てられない。
もちろん人間関係により、それでもじっくり話を聞いて意見を伝える人もいるけども、そこまでではない人からこういう大きな相談が寄せられた時に困ってしまう。

なので、きちんと上記の旨伝えて断ると、怒ってしまう。訳がわからない。

何度も言いますが、人間関係は自分もOK、相手もOKで初めて成り立つわけで、面倒だという人もいるけども、そこを確認せずには何もすすまない。

こういう懸念があるから、この前提なら聞きますよ
それなら面倒だからいいです

こういったやりとりは全然いいと思う。

そうではなくて、憤慨というケースがわからない。

あと、こういうケース
なにか話をすると、結構な真剣なトーンで、
ちょっと笑わないでくれる?あなたにはわからないだろうけどこっちは大変なんだからさ
というパターン。

これも面白いんだけども、こちらがそういう話をした際に、相手は鼻で笑ってくるケースがある。そして謝らない。とても不思議。

今日は変な話ばかりですみませんが、あるやり取りで一気にこう言った話を思い出して書いておこうと思ったので書きました。

結局は尊重と自己の確立というのが人間関係には非常に重要だし。

それプラス、許容量(元気の残りみたいなもの)も大きく作用すると思っている。

つまり、尊重と自己の確立がある人は人が集まるし、その上で許容量が大きければ多数集まる。そして、多くの人から多くの良いものを得られる可能性がある。しかし、嫌なこともそれだけ増える。なので、尊重と自己確立はいつでも必要だけど、許容量は誰しもがあるわけじゃないから、あったとしたら広げればいいと思っている。

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