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イギリスの歴史(16)ウォルポールの平和~増税なければ戦争なし!?

こんにちは!自由主義研究所の藤丸です😊

今回は「イギリスの歴史シリーズ」の16回目です。

前回のはこちらです ↓


1,ホイッグが優位のイギリス議会

アン女王の死後、王位継承法のとおりジョージ1世が即位し、ハノーヴァー朝がはじまります。

ジョージ1世


正当な後継者とはいえ、ドイツ出身のジョージ1世は「外人王」として反発も大きかったそうです💦

この頃イギリス議会では「ホイッグ」が優勢です。

「トーリ」の一部の議員に、王位継承時にジョージ1世ではなくジェームズ2世の長男を擁立しようとした動きもあり、
ジョージ1世の即位後、トーリの多くは失脚していました。

「トーリ」:議会とプロテスタント諸派。のちの「自由党」
「ホイッグ」:王とイングランド国教会を重視。のちの「保守党」


しかし、当時のホイッグの最有力議員スタナップは、「南海泡沫事件」をきっかけに失脚してしまいます💦

「南海泡沫事件」とは🤔

イギリスの南海会社は、政府が貿易独占権を与える見返りに、国債を自社株に転換させる形で引き受ける金融機関でもありました。

1720年に投機ブームによる株価の急騰と暴落、およびそれに続く混乱がおこり、南海泡沫事件というバブル経済の語源になった事件がおこります。
南海会社を後援していた当時のイギリスのスタナップ政権が批判されます。

バブルの語源…!

2,長期政権「ウォルポール」の平和

スタナップの失脚後、南海泡沫事件の混乱を収拾したホイッグのウォルポール議員が政権を担っていきます。

1721年、第一大蔵卿に復帰したウォルポール議員は、
その後約21年間にわたりイギリスの政権を担います。
これは21世紀の現在も破られていない最長記録の政権です‼

ウォルポール議員


ウォルポール政権が長期となったのは、2つの原因があります。

(原因1)
「王からの信頼」
ジョージ1世の息子ジョージ2世が即位すると、
ウォルポールは王室費を10万ポンド上乗せすることを議会に認めさせ、
王妃とも懇意にすることで王の信頼を得ていました。
さらに前王と同様にジョージ2世も、出身地であるハノーファー(ドイツ北部)に関心が向けられ、イギリス政治に関心が少ない「外人王」であり、
ウォルポールにイギリス政治を任せていたことも大きいです。

(原因2)
「議会からの支持」
当時のイギリス議会は、ホイッグとトーリという2大党派に属する議員は100名程度で、残りの300人以上は「独立派」とよばれ特定の指導者に頼らない議員でした。
独立派議員の大半は地主貴族階級でした。
ウォルポールは土地税(地租)の「減税」を進めて、彼らの歓心を買おうとしました。
当時、土地税は戦時に真っ先に増税されたので、ウォルポールは、
土地税を減税するため、イギリスが対外戦争に極力巻き込まれない政策を取っていきます。
ウォルポールは代わりに、議会に影響力を持たない民衆から税を取る路線を目指しました。
ウォルポールの21年間は末期を除き、イギリスが対外戦争に乗り出さなかった時代でもあり、「ウォルポールの平和」と呼ばれました。

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最後まで読んでくださりありがとうございました😊
たしかに戦争は増税を必要とするので、増税を避けるためになるべく戦争をしない、というのは納得できますね!
次回で、「イギリス政治」シリーズは一区切りつきます!


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