アメリカの歴史(1)「アメリカ」とはどこだろうか?
こんにちは!自由主義研究所の藤丸です。
今回から新シリーズ「アメリカの歴史」です。
1,アメリカとはどこか?
さっそくですが、
皆さん、アメリカってどこかわかりますか??
「馬鹿にするな」と思われた方もいると思いますが、
私はアメリカって、どうしても「右端」のイメージなんです…(笑)
意味がわからないかもしれませんので、以下の世界地図を見てください。
日本、アメリカ、ヨーロッパに丸をつけてみると…
アメリカは右端、ヨーロッパは左端です。
小中学校の授業で使っていたこの地図の印象が強くて、
アメリカとイギリス(ヨーロッパ)は、
端と端、とても遠いようなイメージがあります。
※私だけではないですよね…??
もちろんそうではなく、アメリカとヨーロッパは実際はとても近い。
下の図のように、大西洋を挟んでお隣さんどうしです。
この「アメリカの歴史」シリーズでは、
アメリカとイギリス(と他のヨーロッパ諸国)の関係が重要ですので、
こちらの地図をイメージしてくださいね。
そして、「アメリカ」と言っても、
「今のアメリカ合衆国」と、「独立革命当時のアメリカ」は全然違います。
アメリカ独立革命で、
1783年にイギリスから正式に独立した時のアメリカは、赤丸の部分でした。
↓ 図の濃いグレーの部分(メキシコと北アメリカ大陸の西半分)は、
当時はアメリカではなく、スペイン領です。
そして、独立革命開始時やそれよりも前の時代、
イギリスの13植民地とは、↓ の図の黄緑の部分だけです。
この小さい黄緑部分の人達が中心となり、
イギリスと戦って独立を勝ち取りました。
↓ こちらは現在のアメリカと、独立革命開始時の13植民地を図にしたものです。
ちなみに、アメリカの話とは関係ないですが、
日本列島を同縮尺・同緯度で重ね合わせた図がこちら ↓ です。
2,植民地から建国へ
北米大陸のヴァージニアに、
イギリスの最初の恒常的植民地「ジェイムズタウン」が建設された17世紀初頭から、イギリス領13植民地が独立革命に向かうまでの1世紀半あまりを
「アメリカ植民地時代」といいます。
先住民を駆逐した「自由な(ただの)土地」に、
イギリス本国の余剰人口が植え付けられ、
さらに不足する労働力を補うために黒人がアフリカから収奪されました。
3,北米植民地のはじまり
話を植民地のはじまりに戻します。
15世紀の北アメリカ大陸には、500万~1000万人の先住民が住んでいたと推定されています。
1492年コロンブスの新大陸発見があり、
その後、ヨーロッパ人がもたらした「天然痘・はしか・インフルエンザ」という恐ろしい病気により、
先住民の人口は著しく減少します。
逆に、新大陸の風土病の「梅毒」が、ヨーロッパを席巻します。
※でもヨーロッパが新たに出会った病気は梅毒くらいで、
これは人口を減らすほどの怖い病気ではありませんでした。
スペインはブラジル以外の新大陸を勢力下に置き、
アステカ帝国・インカ帝国を滅ぼし、
フロリダ・アリゾナ・テキサス辺りまで植民地を建設しました。
アジアに向かう航路は、
フランスとイギリスは、北米の北端を回る北西航路の発見を目指します。
北米大陸では、
イギリスは、西欧諸国が未進出の大西洋岸地域への入植を試みました。
エリザベス1世の時代の1583年、
イングランドはニューファンドランド島を最初の英領植民地としました。
翌年の1584年から北米大陸への探索は進み、
処女王と称されたエリザベスにちなんで「ヴァージニア」と名付けた地で、イギリス領植民地が始まります。
エリザベスの後のジェームズ1世の時代、
ヴァージニアで「ジェイムズタウン」を建設します。
これは最初の恒常植民地です。
最初の礎石は、北部ではなく南部に築かれ、タバコの栽培が開始されます。
ジェイムズタウンを首府とし入植地を拡大するヴァージニア植民地は、
入植者に土地を与える「人頭権」などを導入し、移住を促し、
1619年には植民地議会(自治的議会)を開催します。
また、1619年は初めて黒人奴隷がもたらされた年でもあります。
黄熱病・マラリアなどの伝染病に一定の耐性・免疫を持っていたことも、
黒人が奴隷として用いられた要因の一つだそうです💦
初期の植民地時代には、
先住民の長の娘ポカホンタスと植民地人の結婚など、
先住民と良好な関係を結べたこともありましたが、
ヴァージニアの人口の4分の1が殺害されるなど、
植民地人が先住民に虐殺されることもあり、
植民地人と先住民は互いに敵視していきます…。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
アメリカの歴史、2回目に続きます。
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