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アメリカの歴史(2)宗教?経済?~イギリスの北アメリカ植民地

※サムネの写真は、博物館「ジェームスタウン・セトルメント」の、1607年英国人入植当時の3隻(再建)です。



こんにちは!自由主義研究所の藤丸です。

今回は「アメリカの歴史シリーズ」の2回目です。
自由主義を理解するためには、イギリスやアメリカの歴史を知ることも重要だと思うので、このようなシリーズを書いています。


イギリスによって北米大陸に建設された植民地について、
具体的にみていこうと思います😆

前回はこちら。


ところで、この旗、知っていますか?

これ、な~んだ?


イギリス国旗もどきとアメリカ国旗もどきが合体した感じですね…。

これは今回のテーマである、
「イギリス領北アメリカ植民地」
の旗だそうです😆


1,北米大陸に建設された13の植民地


北米大陸に建設された13の植民地は、
↓ の図の色で分けたように、3つに大別されます。
この3つの地域がどのように発展していったのかを簡単に紹介します。

13の植民地

入植のポイント✨

ヴァージニア(南部)の入植は、主に「経済的動機」に基づいた

ニューイングランド(北部)の入植は、主に「宗教的動機」に基づいた

(1)南部植民地

まずは、初めのイギリスの入植地を含む南部植民地についてです。

南部植民地では、
黒人奴隷制プランテーションが広範に展開されていきます。

温暖な気候を利用し、
タバコ、米、インディゴ(藍)などの換金作物が作られました。

植民地の経済発展は、
ヨーロッパ市場なしにはありえませんでした。



ヴァージニア植民地(最初の植民地)の首府は、
ジェイムズタウン(1607年)から内陸に移り、
当時の国王ウィリアム3世にちなんで、
ウィリアムズバーグと改名されます。

カロライナ植民地は、
チャールズ2世が功績のあった貴族たちを領主として創設した植民地で、
チャールズ1世の名前にちなんでいます。
※チャールズのラテン語形はカルロス。

ジョージア植民地は、
13の中で最も遅く、ジョージ2世にちなんでいます。
フロリダのスペイン勢力への防壁の役割も担いました。


(2)ニューイングランド植民地(北東部)

図の水色部分がニューイングランド植民地

ニューイングランド植民地は、

1620年に本国(イングランド国教会)の宗教的迫害から、
「メイフラワー号」で逃れてきた分離派ピューリタンたちによって建設されました。

後世の人々は、彼らを「ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)」と呼びます。

土地が肥沃ではないため、漁業・造船業・貿易業などが盛んとなりました。

ピルグリム・ファーザーズは、アメリカの入植者として有名ですが、
実際にはヴァージニア入植の方が10年以上早いのですね。


(3)中部植民地

図の緑色部分が中部植民地


中部植民地は、穀物の産生・輸出が多く「パンの植民地」といわれました。

ヨーク公(のちのジェームズ2世)にちなんでニューヨークと言われました。

ペンの森、という意味のペンシルヴェニアでは、
信教の自由が定められ、
ピューリタンの大移住を上回る規模のクエーカー教徒の大移動がおこり、
多様な社会を構築します。

※中部植民地のペンシルヴェニア植民地とメリーランド植民地の境界をめぐって争いがたえず、
「メイソン・ディクソン線」という境界線が確定されましたが、
これはのちに自由州(北部)と奴隷州(南部)の境にもなります。


現在でも残るアメリカの地名の多くが、
イギリスの王や貴族の名に由来していることが、
アメリカとイギリスのつながりを改めて感じます😊

特に、あのニューヨークが「ヨーク公」に由来するなんて…!
※ヨーク公はのちのジェームズ2世です。
つまり名誉革命で追い出された王なんですよね…

2,植民地の産業と貿易

当時の北米大陸の植民地には、
どのような人々が暮らしていたのでしょうか?

イギリス第一帝国の内外から、白人と黒人の労働力が移植されました。

初期には、イギリスやヨーロッパ諸国から、
下層の民衆が「年季奉公人」として送り込まれましたが、

1670年代以降は、黒人奴隷制の導入が促進されます。


一方、先住民の排除(「清掃」)が進行しました。


先住民や黒人が、
混血の人々とともに社会の中に位置づけられたラテンアメリカと異なり、

イギリス人が北米に築いた社会は、
先住民を排除した上で、白人の共和主義・民主主義を追求していきます💦

三角貿易

上の図にあるように「三角貿易」が盛んになります。

■カリブ海の西インド諸島では、
砂糖が生産されます。
地主はイギリス本国に居を構えて不在化します。


■北米の南部植民地では、
タバコが生産されます。
地主の不在化は生じず、社会的にも人口的にも自律化へ進みます。
18世紀までに、質・量とも急激に上昇し、「消費革命」が社会の下層を巻き込んで進行し、イギリス本国と植民地の交易も劇的に増加しました。
社会の複雑化・イギリス化が進行していきます。

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この記事は、下記の本を特に参考にしています。



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