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私がジュエリーデザイナーになるまで

おはようございます☀
今日は私の略歴と、デザイナーになるまでの道のりをお話しします。

【学歴】
大阪芸術大学
【職歴】
大手ジュエリーメーカー
外資系保険会社

私はもともとモノづくりや絵を描くことが好きで、漠然と将来は芸術系の仕事に就くんだろうな、と思っていました。

高校生の時に画塾に通い、
デッサンの試験を受けて大阪芸術大学に入学。

四年間、工芸学科でガラス工芸を学び、使用用途のある芸術作品が好きになりました。

毎日ガラスと石膏とワックスと火に囲まれながら楽しく充実した作品制作の日々を送っていましたが、大学2回生の頃にふと、
「人より何でも出来るようになるのが遅いから、今から就活をしよう!」
と思いました。

そこで一先ずスマホでリクナビを開いた時に出会ったのが、ジュエリーメーカーが募集している、デザイナーの新卒募集でした。

読んだ瞬間、私が就職するのはここだ!と決め、早速説明会にエントリー。
3回生に交じって説明会を受けたり、ジュエリーについて勉強を始めました。

就活の時期になって再度エントリーし、
書類選考でドキドキ。

面接では、根拠のある作品制作をしているのか深掘り質問などをしていただき、一緒に受けた隣の子は落ちたことを確信。

一次面接後は、事前課題があったので猛練習。

立体把握能力の試験や、
デザインで性格がわかるような面白い試験、
記憶力の試験を受けたり…

色々頑張った結果、デザイン職で採用いただくことができました。

しかしその後も試験は続く…
正式にデザイナーになるには2週間のデザイナー合宿で更に合格せねばならず、デザイン職採用の13人で東京に集まり、寝ずに毎日デザインを描き続けました。

合宿中も色々と試験を受け、
結果、その時デザイナーになれたのは4〜5人/13人中。
その中の一人に入ることができ、
やっと欲しかった仕事が手に入りました。

そこから2年間、「天職だ」と思いながら最高に楽しい日々を送っていたのですが、
とあるきっかけがあり、一度デザイナーを辞める決心をしました。

これだけ努力して手に入れて、天職だと思って働いていた中で、

【私が一度、デザイナーを辞めた理由】

次回はこのお話を書きます。
また見に来てください。


【大野Instagram】
https://instagram.com/mako_jewelry_designer?igshid=MjEwN2IyYWYwYw==






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