見出し画像

好奇心のアンテナが傾いた?

3月にnoteを始めてから、TVをつけることはほぼなくなった。
ここ何年も、面白いと感じられる番組がなく、ニュースやドキュメンタリー以外では、TVを観ることはなかったのだが、noteに執筆し始めたら、そうした時間もなくなった。

平日の出勤前だけ、天気予報の確認と時間のチェックのために、特定のチャンネルを合わせるが、ゴールデンウイーク中はそれもない。

もちろん、私が知らないだけで良質な番組もあると思うので、TVの存在そのものを否定しているわけではない。

ただ、そんな中、ある不安がよぎる――私の好奇心のアンテナが傾いているのではないか。
 
元来、私は、経済・政治・社会ニュースもさることながら、芸能、皇室ネタ、幅広い雑学も大好きで、今まで貪欲に、広く浅く情報を収集してきた。

ここ数年はスマホからの情報が圧倒的に多かったが、最近はその収集意欲も薄れていることに気付く。やはり、年かな。。会話の内容にもついていけなくなってきている。
 
毎週水曜日にアップされる週刊文春や週刊新潮の次号予告もかかさずチェックしていたのに、今はすっかり忘れている。
 
以前勤務していた新聞社は”インテリ”ばかりだったからなのか、家にテレビがないという人たちも結構いた。電機メーカーを担当する記者が、「家にTVがありません」と堂々と言っていたけど、「なんだかなあ」と呆れていた自分。
 
私は、元々の好奇心旺盛な性格も手伝い、幅広いジャンルのネタも、コミュニケーションの潤滑油になるはず、と暇さえあれば、スマホに目をやり、どうでもよい知識までインプットしていた。

そのおかげかわからないが、取材先の人とは、会食の場でも、本題とはあまり関係のない芸能ニュースや雑学で盛り上がり、間接的に仕事にもいい影響があったと思う。
 
そして、雑多な情報を得ていたことが、現在のアイディアの源泉にもつながっているのでは、とも感じる。
 

今は、少しでも空き時間ができると、noteをチェック。まるでつないだ手を払えない親友のようだ。
 
noteでは気づきを与えてくれる記事が沢山ある。

きっと、求める情報の質が変わっただけで、好奇心のアンテナは健在なのだろう。

それでも、アイディアが枯渇したらどうしよう、と不安がよぎる毎日だ。

https://twitter.com/ATF_TOKYO

この記事が参加している募集

スキしてみて

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?