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自分の体や呼吸を信頼し切ること〜【呼吸のワーク日記】(2024.5.12)
SNSから興味を持っていただいた方とご一緒する2回目のオンラインワーク。
この呼吸のワークに関しての経験年数は確かに違うのだけれど、その方が自分の感じることを臆さずに行動に移してくださったり、言葉にしてくださったことで、私も「初めて聞いた」という先生のお話を引き出してくださったり、これまで感じていたことについてもより深い発見に繋がった。
そこで改めて痛感したことが、自分の体は自分が思う
呼吸って愛おしいなあと思った時間〜【呼吸のワーク日記】(2024.4.14)〜
昨夜食べた揚げ物が引き金になったのか夜中からの胃腸の不調が完全には回復せず、背中の痛みもありつつのオンラインワーク。
休憩しながらでもいいし、本当に体調が悪くて無理だと思ったら、そこでやめてもいいのだからと、最初に「今日は胃腸の調子が悪いです」と申告(笑)。
最初のうちは動きも悪く、伸びも慎重になる。
「そういう時はかえって体を深く観察できるからよいこともあるのですよ」ということばで、
【呼吸のワーク日記】(2024.3.24)
昨年同時期に同じ場所で対面ワークをして、少し早かったけど咲き始めのソメイヨシノを見ながらの屋外ワークができたので、今年も期待したのだけれど、残念ながら桜の開花には至らず、お天気も雨に向かっていたので、屋内でじっくりとワーク。
前半は、以前、パフォーマンスの会や声と呼吸の実験などにも来てくださった方が参加してくださり、対面でのグループワークでしかできないパートナーワークなども取り入れながらの充
【呼吸のワーク日記】(2024.2.24)
3連休中日の東京。
ここ数日冷たい雨が降り続き、昨日も雨の寒い1日だったのが嘘のように朝は雲ひとつない快晴。
強烈な雨女の私を上回る晴れ男、晴れ女は誰?
輪読会常連参加者だった男性がやっている土曜日夕方のワークショップに、同じく輪読会常連参加者で、現在は宮崎県を活動拠点にしているシャンソン歌手の池澤彩さんがソロコンサートのための上京に合わせて参加、その輪に私も加わらせていただく。
【呼吸のワーク日記】(2024.2.11)
3連休中日のオンラインワーク。
入口での私の不用意な対応が一時「険悪」と言っていいほどの空気を作ってしまった。
実はこのところ主に仕事で、自分の傲り、気の弛みの生み出すような仕事の仕方をしてしまっていることが気になっていて、やんわりと注意されていることも気づきながら、なんとなくズルズルきていたことがワークの場面でも現れてしまって、そのことを厳しく「それは違うだろう!」と指摘された感じだっ
【呼吸のワーク日記】(2024.1.14)
気持ちの良い快晴。
新年早々の対面ワークで、感じの良さそうな和室の会場が取れたので楽しみにしていたのだが、昨日から家族が風邪をひき、長時間家に1人にしておくのは心配な状態だったため、泣く泣く先生に連絡して、他に参加希望の連絡はないとのことなので、急遽オンラインに切り替えていただく。
13時30分からの開始に今度は先生のPC不調などもあったが、今日は無事に繋がり、年末年始の話などをしながら
まさかの「Skype不通」からの急遽の対面ワーク設定【呼吸のワーク日記】(2023.11.19)
お天気も良くて、朝からワークを楽しみに、午前中の用事を済ませて準備万端13時30分からのSkypeに入室...したのにあれ?先生はまだ?
ちょっと待ってみたが先生とつながらない。5分以上待ってさすがにおかしいと思ってお電話してみたら、パソコンもスマホもSkypeの調子がおかしくてうまくつながらないとのこと。
しばらくいろいろやってみたがお互いに自分はSkypeに入室できてはいるのだがどう
「声」はその人の心を含めた体全体の在り様を凝縮して表現する一形態なのかも
10月26日にろう者の感覚を知る講座の3日目に参加してきました。
「これは私のために開設された講座かも‼︎」と思うほど目を開かされた感があった前回とは少し違い、(前回の講座を受けていたからこそ、)自分の中での更なる疑問や、このワークの中でもっと自分の表現を深められたのではないかといった思いにつながる時間になりました。
前回やった「一枚の絵から感じられる音を聞こえない講師に伝える」というワ
「声」は心を含んだ体の在り様を凝縮して表現している一形態なのかも。
〜前回以上に言語化できない講座3日目に思ったことの備忘録です。
写真は講座が終わって出てきた時に見上げた夜空です。
音が出ていなくても、呼吸する体があるかぎり、そこに「声」は在る。
先日この講座の2日目に参加しました。
私は「声を使った表現」に興味があり、下手の横好きレベルではありますが、過去には合唱にも打ち込み、今は呼吸のワークを土台とした声のアンサンブルをやってみたいなあなどと模索しています。
人の体から出る声そのものだけで何かを感じてもらえる表現をしたい・・・。
技術的な上手下手を競うのではなく、かといってそこまできた苦労談や背景に過度な思い入れを求めるの