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ご老人と猫目石の指輪

とある友人から、相談を持ちかけられた。

「見てほしい指輪があるんだ。僕のとか彼女のじゃないよ、ちょっと変なお願いなんだけど…」


友人のお父さんが経営する会社から顧客のご婦人(かなりのご高齢らしい)に請求していた費用が回収できなくなり、これを代わりにと指輪をひとつ渡された。その昔、羽振りが良かった頃に買ったもので、売れば請求額と同じ100万円くらいになるはずだから…と。

押し切られて仕方なく指輪を持ち帰ったお父さんが、街の宝石屋はよく分からなくて入りづらいし、知り合いで誰か詳しい人はいないかと言っているのだそうだ。

個人的に見るだけならできるけど、自宅では機材でちゃんと鑑別するわけじゃないし、だいたいのことしか言えないよ、と念押しして見せてもらうことにした。

こういった「ちょっと本物かどうか見てくれる?」という相談事は、時々ある。


友人が持ってきたのは、キャッツアイ(猫目石)と金の指輪だった。

アンティークやヴィンテージと呼べるほどには古くない、でもそのままで再販は難しい、地金をたっぷり使っているけれど野暮ったさを感じる程度に古いデザインだった。

ざっくり見て、おそらく地金や石は本物、キャッツアイはちゃんと猫目が出ているけれど大粒ではないし、最高といわれる蜂蜜色よりは暗めの色、周りの小さなダイアモンドも並のレベルかな…。

金相場が高いといっても、ご婦人に言われた額での売却は難しくて、たぶんその10分の1に満たないくらいだと思うよ。

そう伝えて、指輪を友人に返却した。


谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』には、息子の嫁の性的魅力に倒錯している老人が登場する。老人は77歳、妻や娘もいるのだが、息子の嫁は元踊り子でプロポーションの美しい女だ。

この嫁のほうも、舅が自分に惚れ込んでいるのをいいことに、お風呂場で背中を拭かせたり足を舐めさせたりして、300万円もするキャッツアイの指輪をちゃっかり買わせている。

しかも嫁はその指輪をはめてボーイフレンドとデートしに行くのだが、舅はその意地悪さ加減をたまらなく気に入っているようなのだ。

読む人によっては、倒錯っぷりに抵抗があるかもしれない。私は、お年寄りのくせに色ボケで下品!という感想はさほどなくて、昭和30年代という古きよき時代の、真面目にエロスに突き進む老人と悪女的な嫁の対比が面白いなと思って読んだ。

映画化もされているから、公開時から人気小説だったのだと思う。

(老人目線での日記形式の小説だから、今のブログ世代・SNS世代が読めば、一周回って新しく感じるかも…?)

ここまでではなくとも、現実の老人にだって恋心やドキドキ感はあるだろうし、もっとエロティックな願望も当然あるだろう。老人は心身ともに枯れ果てているに違いない、なんていうのは単なる思い込みだ。

私の祖母(未亡人)も80歳を過ぎてから、デイサービスで知り合った男性とデートの約束をしてきたことがあるくらいだ。もっとも、ホテルの展望喫茶店でお茶を飲む程度だが。


それから、輝くダイアモンドや色鮮やかなルビーではない、キャッツアイをねだるというところが、小悪魔的というか、演出効果だなとも思う。
上品とは言い難い嫁は、皿の上の魚も好きなところだけを食べ散らかし、舅を弄ぶかのごとく勿体ないからと食べさせてしまう。もちろん嫁にぞっこんの舅は大喜びだ。こんな描写も、猫を彷彿とさせる。

キャッツアイは、そのものずばり猫の目。気まぐれでずる賢く、色っぽく、甘え上手で、時には人間を手玉に取ってしまう、猫の目の名を持つ宝石なのだ。


それにしても、当時の300万円とはどのくらいの価値だったのだろう。昭和30年なら大卒初任給が1万円を少し超えるほど。100万円で家が建つのではなかったか。

キャッツアイが人気でとんでもなく高価な時代があったのは事実だそうだ。

その頃を知る年配の職人さんは、
「本当に、もう本当に昔は手に入りにくかったんだ。今は採掘も増えて流通も変わったから安くなって、その気になれば誰でも買える。時代が変わって誰でも買えるのに、売れ筋というほどよく売れる石にはならないんだよね」
と語っている。

そう、誰にでも似合う宝石ではないのだ。


友人のお父さんはその後、ご婦人に指輪を返却して、費用回収はまた別の方法を考えるよ…と、ため息をついているそうだ。



画像引用元https://jp.123rf.com/photo_45714883_.html

※この記事は過去にShortNoteにて公開したものに加筆修正したものです。

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