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沖縄のココ❣️『浦添城跡』

首里城、今帰仁城跡、中城城跡に続いて勝連城跡が有料になって…
そのうちここも更に観光地化して有料になるのかも。


浦添城跡

『浦添城跡は王宮が首里城に移される以前の、舜天(しゅんてん)王統、英祖(えいそ)王統、察度(さっと)王統の居城として13世紀~15世紀の200年余りに渡り琉球国中山(ちゅうざん)の歴史の舞台となったお城の跡です。

標高約130mの琉球石灰岩の丘陵に位置し、東シナ海や遠く読谷(よみたん)まで見渡せる景観を持ちます。1609年の薩摩軍の琉球侵攻で焼き討ちされ廃城となりました。』

※“沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語”より引用。



浦添ようどれ

ようどれ=「夕凪」
無風状態での波の静かなる意から転じて
この墓の名前になったとも言われている。


右の西室が英祖王陵
左の東室に尚寧王とその一族が葬られている


説明書き



前田高地

1945年4月1日、北谷から読谷に上陸した米軍は、宜野湾の嘉数高地から浦添の前田高地を経て日本司令部が置かれていた首里城を目指そうとしました。
乏しい兵力の日本軍は、大軍で攻めてくる米軍を嘉数高地・前田高地で迎え撃ち、激しい攻防戦が繰り広げられました。
「ありったけの地獄を一つにまとめたようなもの」と言われるほどに壮絶な戦いでした。
米軍は前田高地に登る北側の絶壁を“ハクソーリッジ(弓鋸の尾根)”と呼びました。


どんなに想像力を駆使してみても
かつてそんな惨劇があったなんてイメージできないほどに穏やかです🌲



ワカリジー(為朝岩)

立て札から↓
『ワカリジーは、英祖王と女神職のウシキンベーとの間に生まれたイソノジー(伊祖の子)を祀った場所とされ、主に前田集落から信仰され、首里や那覇からも参拝者が訪れたといます。

沖縄戦中は米軍から「ニードルロック(針のような岩)」と呼ばれ、日米両軍の間で争奪戦が繰り広げられました。』

でっかい石灰岩です。


野生のバナナ🍌


月桃の花


沖縄はやっぱり空が広くてキレイ✨️


楽しい注意書き
こーゆーの、まーまー好き♡


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