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何かに従属しきらない胸のうち

主語がどこにあるんだろう。
いつだって考えるのは自分で、言葉にするのも自分なんだけど、それは個人の成すコトか。はたまた身内、友達、チーム、組織なのか、社会の、世界の、なんなのか。こうやって綴ったり、声に触れて、その出処を確かめたい。

雨とくもり空の間隔が長くなって、ようやく秋らしい日に落ち着いてきた。冷えこむ夜に鼻水をすする。できるだけしっかり眠るようにしたい。季節の変わり目、ただでさえ体調には気をつけたい。そうは思っても、秋の夜長。雑念は絶えない。

新しい職についた。先月と違う場所にいて、当然だけど慣れないことが多い。誰だって、新しい環境になじむのは時間がかかる。日々の生活も、実務も違えば、関係する人もルールも違う。ハッキリした理解には至っていない。でも不思議と、その違いを味わいたい。なんて思えるぐらいでいられる。

先月の自分に言えば、「余裕かよ」と自責されそうな気もする。余裕はあっていいし、その上でどんな意見があってもいいんだなと思える。就業規則ひとつを取ってもそう。みんな管理する(される)ための管理でなく、各々のやりやすさを求めていると感じる。違う世界なら“甘さ”になるのかもしれないが、今は他論を認めないほうが甘いと思う。

noteがやや停滞しているけど、まとまらないままアウトプットしていないだけ。半端な自分を主語に述べてみよう。無理にまとめなくていい。ある環境だと見習いで、また別の環境ではスーパーマン。そんなふうにハッキリ人はできていないし。どちらが良いという話でもなくて、どちらにしても自分はすぐに変わらない。

出せる力を、うまく発揮してみたいと思う。それと同時にできない力を託そうと思う。得意も不得意も伝えてね。働き方だって、リモートだろうと、深夜残業しようとしまいと、やることには変わりない。

人もそうそう変われない。環境が変わっても、思ってる以上に、自分や自分の選んだ理を信じきっている。

だけど、世界は180°変わりうる。品質の基準も期日も与えられないとしたら?コミュニケーションが不得意な人もコミュニケーションする場所があったなら?皆が自分たちの働きの価値に納得できたなら?当たり前が笑う。

今はそれらを突き詰めて、受け売りのHow toとして落としたくない。「こうあるべき」と言葉で言うのは誰にでもできる。確かなことより、今ここにいて感じられること、それも誰かと確かめあえることが大切だと思える。

しばらくすれば、きっと価値や確からしさをつかんでいくと思う。感じながら、つかみながら、また新しい視点で綴れたらいいな。徐々にね、言われなくても書いてると思う。

今やってることはうまくいく。

もしこれが成功しなかったら、ということは考えない。ひたすら成功する策を考える。勝手な基準や、べき論がなければ、この先はプラスになる(はず)。

その時に、自分がどんな主語で何を書いてるか。ちょっと楽しみにしていたい。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。