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新企画〜「JBFAパートナー・インタビュー『オフ・ザ・ピッチ』①」アクサ・ホールディングス・ジャパン株式会社

混ざり合う社会の実現を目指して協働する、JBFAパートナー。
そのJBFAパートナーと、JBFAの法人営業担当者の対談形式で、2者の取り組みを紹介する新企画、「JBFAパートナー・インタビュー『オフ・ザ・ピッチ』」がスタートします。

第1弾は、2006年からJBFAの活動をご支援いただいている、アクサ・ホールディングス・ジャパン株式会社、アクサ生命保険株式会社の広報部を兼務する岩田肇さんにお話をうかがいました。岩田さんは、2006年当時からのご担当者で、ブラインドサッカーおよびロービジョンフットサルの成長を長きにわたって見てきてくださっている方の1人です。

岩田さんプロフィール写真
アクサ・ホールディングス・ジャパン株式会社 広報部 岩田肇さん

どのようなきっかけでブラインドサッカーと出会い、JBFAパートナーとして協働するに至ったのか、そして今後の展望について。

インクルージョン&ダイバーシティ先進企業であるアクサとJBFAの取り組みから、そのヒントを学びます。

黎明期のブラインドサッカーとの出会い

糸魚川(インタビュアー/JBFA法人営業担当):本日はお忙しいところお時間いただきまして、ありがとうございます。インタビュアーは初めてで私も緊張しています。気合いを入れに床屋に行ってきました。

一同:(笑)

糸魚川:岩田さんには普段通りお話いただければと思いますので、よろしくお願いします。

岩田:はい。よろしくお願いします。

糸魚川:まず初めに、これまでのアクサと JBFAとの歴史を振り返りたいと思います。岩田さんはいつ頃ブラインドサッカーに出会ったんですか?

岩田:ブラインドサッカーとの出会いは2006年です。その頃所属する広報部で、全国どこでも従業員が参加できるボランティア機会を探していました。
アクサは1991年からグローバルで「アクサハーツインアクション(*1)」という、従業員が自分の時間を寄付するボランティアプログラムを展開していて、日本でも会社として機会を探していたのです。アクサは1994年にアクサ生命を設立して、2000年に日本団体生命、2007年にウインタートウル・スイス生命と経営統合しました。私は1999年に広報部に異動し経営統合が進む中で、会社でできるボランティア機会を探していました。全国に従業員がいる会社の特徴を活かして世の中の課題を解決する活動はないものかと、探すのにとても苦労した記憶があります。

*1:「アクサハーツインアクション」
「アクサハーツインアクション」は、従業員が地域社会の課題解決に寄り添い、時間を寄付するボランティアプログラムとして、1991年に創設されました。コーポレート・レスポンシビリティの「気候変動と環境」、「健康と病気予防」、「社会的不公正の是正とインクルージョン」のマテリアリティ領域で活動を展開。38カ国からの55,000人を超えるボランティアで構成され、障がい者や環境問題、リスクを予防する教育などの取り組みを支援しています。

https://www.axa.com/en/commitments/volunteer-program
岩田さんがパンフレットを指差しながら、アクサの取り組みについて説明する様子

糸魚川:90年代初頭からグローバルにボランティアとは、先進的な取り組みをされてきたんですね。
先ほど、ボランティア活動を探されている中で、2006年にブラインドサッカーを知ったとうかがいましたが、何がきっかけだったのですか?

岩田:広報活動をサポートいただいていた会社のスタッフやデザイナーの方とブレストしていて、何気なく「従業員がボランティア活動に参加できる先を探してるんだけど、何か知らない?」と聞いたときに、「ブラインドサッカーっていうのがありますよ」と教えていただいたのがきっかけでした。彼女は新聞記事か何かでブラインドサッカーを知って話してくれたのだと思うのですが、後で調べてみると「これはおもしろそうだ」となり、早速JBFAに問い合わせました。当時の理事長の釜本美佐子さんと、松崎英吾さん(現専務理事)がアクサの白金本社に来てくださって、色々なお話をうかがいました。

糸魚川:雑談からとは、偶然の出会いだったんですね! ボランティアを探されていたということは、やはりボランティア活動からJBFAとの取り組みが始まったんでしょうか?

岩田:最初に釜本さんと松崎さんにお話をうかがった際に、競技だけでなく、競技を普及させる意義や目的、現在抱えている課題や、どのような支援を求めているのかなどを、詳細にプレゼンしていただきました。
会社がボランティアを募り、活動していくからには、しっかり話を聞いて、課題やニーズを理解し、何故そのボランティア活動を行うのかという理由も明確にすべきだと考えていたんです。本当に社会の課題解決に繋がれば、活動も長続きします。
そして、ちょうど関東リーグが開催されるとうかがい、百聞は一見に如かずということで、早速観戦に行くことにしました。

糸魚川:実際にブラインドサッカーを観に行かれて、いかがでしたか?

岩田:当時まだ小さかった娘2人を連れて、学校の土の校庭で行われた試合を観に行きました。試合が始まると、視覚障がい者がキーパーやガイド、監督やコーチ、チームスタッフの晴眼者と一緒にプレーしているところが、やはり衝撃というか、こういう競技があるんだっていうのが、最初の驚きでした。そして、皆さん混ざり合ってすごく楽しそうにやられていて良いなと思いましたね。

当時は、サイドフェンスがなくて、サイドライン上に人が立って、人壁(ひとかべ)を作って公式戦を行っていました。その場に居る人たちが、サイドライン上に等間隔に並んで、選手が近付いてくると「カベ、カベ」と声で知らせたり、サイドアウトするボールを止めたりするんです。
加えて出場チームのサポート、視覚障がいのある選手の誘導も、ボランティアの方が活躍されていて、まさにここにニーズがあり、ボランティア活動の場がたくさんあると感じました。
そしてその時、私は直感的に「全国にブラインドサッカーチームができて、各地で大会が行われるようになったら、アクサの全国の社員が各地域でボランティア活動に参加できる日が来るのでは」とも思ったんです。競技自体のインパクトが大きく、ニーズもあってボランティアが活躍できる機会も多い。ブラインドサッカーとの出会いは運命的なものだと思いました。

糸魚川:岩田さんが探し求めていたものが、まさにそこにあったんですね。ちなみに岩田さんは人壁をされたことはありますか?

岩田:あります。「カベカベカベ」って言うじゃないですか。それでも選手たちは突進してくるわけですよ(笑)。あとはボールが人壁の間を抜けてしまって、しょっちゅうプレーが中断していました。
今はサイドフェンス沿いでボールを奪い合ったり、フェンスにぶつかるすさまじい衝撃音に圧倒されたり、サイドフェンスを利用するプレーはブラサカの醍醐味にもなっていますが、当時はそういったプレーはなかったと思いますね。

Wallman manual
ブラインドサッカーは本来、サイドラインを壁で囲まれたグランドでプレーされます。
今日は皆さんに人間壁=wallmanになってもらいます。

まず、ライン上に立って、サイドラインを分割して担当してください。
結構走りますから、がんばって!

ボールだけが近づいてきたら
ピッチ内に軽く蹴り返します。
自分は壁であることを意識して、自然な角度や勢いを心がけましょう。
もし、跳ね返せそうにない場合は、その場にボールを止めてしまっても構いません。

選手だけがゆっくり近づいてきたら
3~5mまで近づいてきたら「かべ」と声を出して選手にしらせましょう。

ボールと一緒に選手も近づいてきたら
3~5mまで近づいてきたら「かべ」と声を出して選手に知らせ、自分は下がります。

「かべ」と言うときは一回、はっきりと伝えればOKです。何度も「かべ、かべ・・・」と繰り返さないよう心がけましょう。

本来、壁は動けませんから、選手が突っ込んでこようとそこでふんばるモノですが、
怪我や事故でせっかくのゲームが中断されるのは本意ではありません。
安全第一、選手との接触は避けましょう。

Wallmanが声に出せるのは「かべ」のみです。
盛り上がるのは大いに結構!
ただし歓声をあげたり、選手にアドバイスをしてはいけません。
積極的にゲームに干渉するのも厳禁です。

審判の指示に従って、円滑なゲーム運営にご協力お願いします。
「人壁マニュアル」
当時JBFAスタッフが作成し、人壁を行っていただくボランティアの方に配布していた。
サイドフェンス沿いに人が立ち、試合が行われている様子
人の壁。サイドフェンス沿いに等間隔に人が立ち、サイドフェンス代わりの役目を果たしていた。
川村怜選手がドリブルしている様子
「第20回 アクサ ブレイブカップ ブラインドサッカー日本選手権」決勝戦
現在では公式戦は毎試合、サイドフェンスが設置されている。

糸魚川:長くブラインドサッカーを見てくださるなかで、日本国内における競技力の向上も肌で感じられているんですね。
松崎から話をお聞きになった中で、ボランティア活動以外にはどのようなニーズがありましたか?

岩田:当時の日本代表が、2006年11月にアルゼンチンで開催される「世界選手権」の出場権を手にしていたにもかかわらず、渡航費が足りず大会に参加できないという状況を聞きました。せっかくの機会を断念するなんてもったいないと思い、社内に呼びかけてチャリティーキャンペーンを企画したんです。アクサで応援Tシャツを作って、全国の営業社員にチラシを配ってもらいました。その際、1口1,200円で寄付を募り、寄付くださった方にサポーターになっていただいた証として応援Tシャツをお渡ししました。結果的に集まった200万円をJBFAに寄付することができたのですが、そのチャリティーキャンペーンを通じてブラインドサッカーという競技のことを全国の方に知っていただく機会にもなりました。

白いTシャツの真ん中に、サポーターの番号である12番の数字が印字されている。また右肩にアクサのロゴ、右胸にアディダスロゴ、左胸にJBFAロゴが印字されている。
当時アクサが製作した「応援Tシャツ」
日本代表vsイングランド代表の試合。日本選手がドリブルする様子
アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催された「IBSA ブラインドサッカー世界選手権 2006」
世界選手権デビューを果たした日本は、8ヵ国中7位の成績を収めた。

糸魚川:当時はいまほどブラインドサッカーの知名度も高くなかったですし、日本代表にとっても、とても力強いご支援だったと思います。
初の「世界選手権」出場を経て、国内のブラインドサッカーにも何か変化はあったのでしょうか?

岩田:日本代表チームの帰国後、関係者の方から「アルゼンチンには、ブラインドサッカー専用コートがある」と話を聞いたんです。しかも「専用コートにはサイドフェンスがフィールドの両サイドに設置されていた」と。当時の日本はまだプレー環境が整ってなくて、まずサイドフェンスが必要なんですっていうお話だったんですね。
そこで今度はサイドフェンスをつくるためのチャリティーキャンペーンを打とうということになりました。ブラサカのボールをモチーフにした携帯ストラップ「シャカシャカボールストラップ」を作りました。当時はまだガラケーの時代で、携帯ストラップが流行していたので。画面クリーナーも着いていましたよ(笑)。
ストラップを4,000個ぐらい作り、チラシを配布して寄付を呼びかけ、1口500円の寄付をしてくださった方にサポーターグッズとしてお渡ししました。ブラインドサッカーを知っていただく活動にもなり、寄付は200万円ぐらい集まって、それで国内第1号のサイドフェンスを作っていただきました。

シャカシャカボールストラップ
シャカシャカボールストラップ。ブラインドサッカーボールは、振ると音が鳴る仕組み。

糸魚川:いくらニーズがあるからといっても、ここまで全社的な取り組みを推進していくのは簡単なことではなかったと思いますが、どうしてブラインドサッカーへの支援にこれだけの規模で取り組んでいただけることになったのでしょうか?

岩田:まず、松崎さんが常にJBFAのビジョンと課題を明確にされていて、ニーズが分かりやすかったことが要因としてあったと思います。当時のJBFAの課題は「競技の認知向上」と「プレー環境の整備」であると、常におっしゃっていました。そういったJBFAのニーズと、アクサのボランティアができる場がほしいというニーズがマッチし、Win-Winな関係で取り組むことができたんです。

また、ブラインドサッカーの認知向上のために、全国の6,000人の営業社員がチラシを持ってお客さまのところをまわっていたのですが、それがお客さまとのよいコミュニケーションの機会になったことも、私たちにとってはメリットでした。対面でお客さまに寄り添う保険のビジネスは、いかにお客さまとお話をする機会をつくるかが「初めの一歩」となる仕事です。お客さまとの対話の中で、ブラインドサッカーという社会性のある話題で企業姿勢をご紹介する機会にもなり、お客さまとの良い関係性を築く契機になったと思います。

アクサは2010年から、CR(Corporate Responsibility)を戦略に組み込んでアクションプランを策定しました。CRは「責任ある企業(Corporate)として、地域社会の課題に対応する(Response)能力(Ability)」を涵養し、高める取り組みです。企業として社会感度を高めて、地球環境や生物多様性を守り、健康や病気予防、社会的不公正の是正やインクルージョンといった地域社会の課題への対応力をしっかりと養うための土壌をつくるアクションです。世の中のニーズに機敏にお応えする能力が高ければ、商品やサービスが選ばれる企業になって、結果としてサステナビリティを高めることができるという考え方です。ブラインドサッカーとの伴走もそのCRのマテリアリティ領域における取り組みで、一番長く続いているフラッグシップアクションです。アクサのパーパスを体現し、SDGsを民間企業として支援する取り組みです。

『アクサ ブレイブカップ ブラインドサッカー日本選手権』の誕生

糸魚川:2013年から、「ブラインドサッカー日本選手権」のメインサポーターになっていただき、「アクサ ブレイブカップ」という愛称で大会が開催されるようになりました。これはどういった経緯だったのでしょうか?

岩田:松崎さんから、「その年の予算次第で、日本選手権をやったりやらなかったりするのは、競技団体としていけない。国内での競技普及のためには、日本選手権は毎年必ず開催する必要があるので、安定的に開催できるようにしたい」という話を聞いていました。そういったなかで、「日本選手権」の持続性を確かなものとし、競技を全国に普及させることで、混ざり合う社会をつくるというビジョンの実現に向けてサポートをお願いしたい」というお話をいただきました。私たちにとっては、日本選手権を支えることができることは大変光栄なことです。インクルージョン&ダイバーシティを経営戦略に組み込んで、2度の経営統合を経て、当たり前に混ざり合って、誰もが自分らしく能力を発揮できる職場づくりを目指していたアクサにとって、大会への支援はその姿勢を社内外に示すよい機会になると考えたのです。

その際、大会名にアクサの社名を冠していただきました。ただ、アクサとしては社名を冠してもらったことはとてもありがたかったのですが、それが目的ではなかったんです。この大会が長く続いていくようにサポートすることで、双方がビジョンの実現に近付くことができます。それはJBFAにとっても、アクサにとってもメリットがあり、「日本選手権」という場でお互いに学ぶことが多く、地域社会のさまざまなステークホルダーの皆さまとつながって、そこから得られるものが多いので、会社としてもそういった意思決定ができたのだと思います。

試合後に選手たちがお辞儀をしている様子。観客席で多くの方が観戦されている。
「第20回 アクサ ブレイブカップ ブラインドサッカー日本選手権」準決勝ラウンド
コロナ禍を経て、観客の声援を受けながらプレーする環境が戻ってきたことを実感する大会となった。
ボランティアの方がサイドフェンスを設営する様子
大会運営には、多くのボランティアの方に協力いただいている。

糸魚川:そういった意思決定をするにあたって、社内から反対の声はなかったんですか?

岩田:反対はなかったですが、JBFAのニーズをしっかり社内に理解してもらい、何故今ブラインドサッカーなのかというアクサ側の意義づけを見出して浸透させるのは、やはり大変な作業でした。アクサには、多様なスキルと経験、バックグラウンドを持ち、ジェンダー、ジェネレーション、国籍の異なるメンバーが一つのチームとして働いています。たとえばこれまでのCEOも、アメリカ、フランス、オーストラリア、ベルギー、イギリス、日本と、多様です。「当たり前に混ざり合う」ビジョン実現に向け、その時々のブラサカのニーズをヒアリングし、会社の状況や社会の動きを踏まえて経営陣にプレゼンして、ブラインドサッカーの企画を毎年つないできました。広報のチームメンバーの間ではとにかくさまざまなことを考えていましたね。この多様性とそれが混ざり合ってこそ力を発揮できるという考え方こそが、I&DそしてEquityの戦略においてブラサカから学んだことだったのだと思います。

また、保険と資産運用のビジネスのバリューチェーンの中ではどうか?その検討結果として形に残っているものの一つが、JBFA主催大会でいつも設置されている「弱視啓発ブース」です。視覚障がいの原因の一つとして糖尿病の病気予防の啓発や、視覚障がいのリスクの兆候として弱視にはどのような見え方があるのか、どうしたら気づけるのか、といったリスクプリベンションの啓発活動を行いながら、大会の支援を行うと良いのではないか、というプレゼンもしましたね。アクサは医療保険に強みを持つ会社ですので、その企画が通って、弱視体験ゴーグルや啓発パネルをJBFAに寄贈しました。今も大会の会場では弱視の社会啓発を続けています。

弱視ゴーグルを装着した子どもが、弱視体験パネルを見て、色の見え方の変化を体験している様子
弱視体験ブース
体験者は弱視ゴーグルを装着し、色や文字がどのように見えるかを体験できる。

競技人口拡大へ向けた協働

糸魚川:「アクサ ブレイブカップ(日本選手権)」の支援開始から4年後の2017年、「アクサ 地域リーダープログラム with ブラサカ」が始まりました。これまでにのべ23チームが受講し、このプログラムをきっかけに活動を開始し、大会に出場するチームも増えてきています。このプログラムはどういった経緯でスタートしたのでしょうか?

岩田:「日本選手権」を支援し、JBFAの皆さんとお話しする中で、「競技の裾野を広げるには、全国47都道府県にクラブチームが必要」という話を聞きました。全国にブラインドサッカーの土壌をつくることが、ゆくゆくは選手の発掘、そして日本代表が強くなることにも繋がっていくという思いです。この活動によって、ブラサカのすそ野が日本全国に広がって、競技の発展が加速すること、当たり前に混ざり合う社会の布石となることを期待しています。

受講生が議論しながらワークに取り組む様子
「アクサ 地域リーダープログラム with ブラサカ」受講生が、ワークに取り組む様子。

糸魚川:受講チームのその後の活動について、印象的なものはありますか?

岩田:第1期および第5期に受講した琉球Agachiは、代表の屋良さんをはじめとしたチームの皆さんの熱い思いが実り、昨年6月に沖縄県で開催されたイベント内で、県内で初めてサイドフェンスを用いて試合を行いました。イベントは大成功だったと聞いています。アクサの沖縄支社の仲間もお手伝いに行ってくれたんです!、アクサの社員と地元チームとの連携は本当に嬉しかったです。
私が2006年に初めてブラインドサッカーを観戦に行ったとき、直感的に「全国にブラインドサッカーチームができて、各地で大会が行われるようになったら、アクサの社員が各地でボランティア活動に参加できるかも?」と思ったことが、ようやく実現したと感じました。

糸魚川:ブラインドサッカーの広がりとともに、岩田さんはじめアクサの皆さんが描いてきたことも、実現に向かっているんですね。立ち上げからこのプログラムに携わるなかで、どういった感想を抱かれていますか?

岩田:全国各地で「チームを立ち上げたい」という想いがある方を発掘していくことは、非常に意味があることだと感じています。また手を挙げた皆さんが、実際にチームを立ち上げて活動される行動力は、実にパワフルで、学ぶところがとても多いです。私もプログラムに関わり、皆さんと色々お話しすると、本当に感動してしまうんです。
JBFAがあり、本プログラムを通じて全国各地でリーダーシップを発揮する人にチームの経営ノウハウをシェアし、それを受け継いだ方たちが、地域ごとに異なる課題や未来に対して主体的に取り組んで、競技の裾野を広げていってくださると思います。コロナ禍で対面活動がしづらい期間も長く続きましたが、その影響も少し落ち着き、これからはより一層活性化していくのではと、期待しています。

今後のアクサとJBFAの取り組みの展望

糸魚川:「東京2020パラリンピック」の開催決定を機に、パラスポーツの競技団体をスポンサーする企業も増えたと思います。アクサは2006年から長年にわたり支援を継続くださっていますが、双方にとって意義ある取り組みを実現するために、意識すべき点はどういったことだと考えていますか?

岩田:まず一つは、取り組みを長期視点でとらえ継続することです。そしてもう一つは、相手のニーズをしっかり捉え、理解して、社内には戦略的に落とし込み、自社のビジネスの強みのあるところで、社会的な課題に応えられるような仕組みをつくることですね。また一度始めたことも、毎年双方のニーズは変化しますし、異なるはずなので、常に相手の話をしっかりと聞き、計画を練り直す対話と柔軟性が重要です。

糸魚川:岩田さんはじめ、広報部の皆さまが、常にJBFAとの取り組みをどう掛け合わせたらうまくいくか、考え続けてくださっているがゆえの結果として、継続、そして発展的な取り組みに繋がっているんですね。
岩田さんご自身の想いとして、今後JBFAとどんな取り組みを行なっていきたいと考えていますか?

岩田:アクサは、様々な自治体と包括連携協定を締結しています。包括連携協定の協働の取り組みの中にも実はブラインドサッカーを組み込んでいまして、多様性を柔軟に受け入れて混ざり合う文化を地域社会に広げていきたいですね。地域のステークホルダーが、ブラサカきっかけで混ざり合っていくような連帯の輪を作っていきたいと思っています。地域の方が応援してくださることで、クラブチームの財務的な支援やその先の自立にもつながると思います。結果として、JBFAと共有するビジョンの当たり前に混ざり合う社会の実現に近付いていくと思います。微力ではありますが、私たちもその一助になりたいと思っています。

糸魚川:ありがとうございます。昨春からは、JBFAとアクサ生命保険株式会社との契約から、JBFAとアクサ・ホールディングス・ジャパン株式会社との契約に変更となりました。今回の契約主体の変更は、今後のJBFAとの取り組みにおいて、何か変化しそうなことや、期待などはありますでしょうか。

岩田:アクサは日本における事業基盤を会社が経営統合することで飛躍的に拡大してきたという経緯があります。さらに、ダイレクトの損害保険ビジネスがあり、持株会社のもとで組織のシンプル化に取り組んできました。2024年からはこの戦略上の優先課題を実行に移す流れの中で、契約主体の変更に至りました。シンプル化が進むことで、お客さまの体験価値を高めたり、組織がオープンでフラットになり従業員が融合していくことも期待できます。「人が混ざれば、新しい発想が生まれ」ます。そのような流れの中で、ブラサカの「当たり前に混ざり合う」という考え方は、ますます重要なものになってきます。
これまでとは違った発想が生まれてくるかもしれません。ぜひ皆さんには、そこに期待していただきたいです。そして社会起業家としてのJBFAの皆さまには、突破力や社会的な課題に対する見識、国際舞台で培ってこられた経験から学ばせていただきたいと思います。対話が双方にとっての新たな挑戦につながり、何かを生み出す化学反応につながるのではないかと思います

糸魚川:ぜひ私たちも一緒に混ざりながら、新たな価値創造に取り組んでいきたいと思います。
これまでたくさんお話をうかがってきましたが、これまでの話を経て、岩田さんが最も伝えたいことはなんでしょうか?

岩田:心のブラインドを開きましょう、ということですね。閉ざしてしまうと、何も入ってこなくなってしまいますし、学びもありません。これは私が、ブラインドサッカーから学んだことです。
社会的には、コロナ禍で物理的にも精神的にも閉じてしまった部分が多かったのではないかと思いますので、今後少しずつ社会に開いていく雰囲気が広がることを期待しています。ブラサカはそれをリードすることができると思います。

糸魚川:最後に、岩田さんにとって、ブラインドサッカーとはなんですか?

岩田:自分の存在意義を考えるキッカケをくれた存在、これまで意識していなかったワークでもライフでもない新しい世界があることを気付かせてくれた存在です。ブラインドサッカーのコミュニティの皆さんとの関わりの中で、自分のことを別の視点から見られるようにもなったし、やりたいことも見えるようになりました。これからもブラサカでつながった人との関係を大切にして、深めていきたいと思っています。これまで同様、伴走していきますので、これからもよろしくお願いします。

糸魚川:本日はたくさんお話を聞かせていただき、ありがとうございました。こちらこそ今後もともに歩むパートナーとして、よろしくお願いします。

糸魚川と岩田氏の2ショット
左から、JBFA事業運営部 リレーション営業グループ 糸魚川、アクサ・ホールディングス・ジャパン株式会社 岩田氏