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うつ病で本当に辛かったことシリーズ!!


どうも、初めての自己紹介が思ったより反響がよく、小躍りしている元うつ病患者のbbボウラーです。休日にこうしてnoteを書くのが楽しみで仕方がありません。
今回の記事は私がうつ病で特に辛かったこと・困ったことをまとめたものになります。
早速ですが、私がどのような経歴を持っているかは下記の自己紹介を見ていただけたらと思います。 



上記の内容をざっくりまとめると、将来の見通せない社会や生活に漠然と不安を抱いた大学院生がうつ病になり、ボウリングを通して社会復帰を果たすといった内容です。
現状、正確には私のうつ病との戦いは緩やかですが続いています。いわゆる寛解という状態で、2ヶ月に1回は通院して、処方された薬は毎日飲んでいます。
それでも症状が酷かった時と比べれば、自分でいうのも何ですが、人並みに生活できていると感じています。

このnoteは二部構成となっておりまして、第一部は今回の記事内容でもある、辛かったこと・困ったことを紹介するシリーズです。うつ病やその他の病気・けがで苦しんでいる方にも共通する部分があると思います。またそういった病気・けがで悩んでいる人たちが周りにいる方たちにも、当人がどんなことで生きづらさを感じているのか知ってもらえたらと思います。



第二部は有料noteになりますが、うつ病時代に結果的にやって良かったシリーズをまとめています。うまくいく時もあればいかない時もあるのは、うつ病・ボウリング・人生に共通していると思います。私の経験ではちょっとしたことを変えるだけで、視界が広がる感じや自分がポジティブに行動できるようになった気がしたのを覚えています。こちらも今悩んでいる人や、背中を押してあげたい人がいる方にぜひ読んでもらいたいです。

あくまでも、これから書く内容は『bbボウラーの場合』ということに留意していただき読んでいただければ幸いです。

辛かったこと・困ったことシリーズ

大きく5つの辛かったこと・困ったことを挙げます。おそらく、誰にでも当てはまることから、本当に経験した人ではないと気づかないことまであると思います。
私自身、辛かったことを思い出すのに抵抗はありますが、
「誰かの役に立てるなら私が病気になった意味もある!」
と考えられるほどには回復しているので頑張って書きます(笑)また、今だからこそ、冷静に振り返られることもたくさんあると思います。
今現在、特にうつで苦しんでいる方達へ、
このnoteであなたがいる深くて暗い闇に光を照らすことはできないかもしれませんが、似たような境遇の人間が立ち直っているという事実も知って欲しいです。
うまくいかないこと、苦しいことが目の前や将来にたくさんあって身動きが取れないかもしれませんが、ゆっくり休んで、休むだけ休んだら、ほんのわずかでもいいので一歩踏み出すきっかけを一緒に探っていきたいです。
もし読むのが辛くなったらすぐにページを閉じてください。いつまでもこの文章は公開しておくので、自分1人だけが辛いも思いをしているわけではない、そしてあなたの痛みを少しだけでもわかる人が世の中にはいると覚えていてください。


前置きが長くなりましたが、辛かった・苦しかったシリーズを紹介していきます!

その1 気力が出ない

うつ病は日常生活に支障が出るほど強い気分の落ち込み、意欲の低下が続く脳の病気です。私も例に漏れず、ひどく落ち込み、そして波はありますが、物事に打ち込む気力がなくなっていました。着替え・シャワーやお風呂に入る、歯磨き、トイレ・簡単な掃除など身の回りのやることさえ相当な体力を使い、酷い時は家族の助けがなければままならない状況でした。外出したり友達に会おうなどとは全く思いませんでした。また集中力が欠如して、大好きだった読書も、活字を長時間読んだり、理解したりすることができなくなっていました。音楽を聴くことも好きでしたが、全てが耳障りに聞こえ、具合が悪くなったことを今でも覚えています。
ですが、不思議と自分でやりたいと思えることも私の場合ありました。
ボウリングです。
ほとんど何もかも嫌になって、できなくなっていた私ですが、ボウリングをすると決めた時には何とか重たい身体を動かすことができました。
大学時代の良き思い出からなのか、ボウリングのゲーム性の魔力なのか、ピンを倒す爽快感や刺激的な音なのか、ボウリング場にいつもいる私を可愛がってくれたシニアの方達のおかげなのか。。。
本当に不思議なものでどんなに精神的に辛くてもボウリングをやめることはありませんでした。この点に関しては、自己紹介中にも書きましたが、人生で一番自分を褒めてあげたいと思っています。
きっかけは人それぞれでいいと私は思っています。
もし何か今あなたが無理をしてでも、もしくは無意識にでも続けていることがあれば、それはあなたを支える1つの大事な要素なのかもしれません。

その2 寝れない・眠れない

睡眠時間には色々論じられていますが、一般的には成人で6〜8時間前後が目安にされることが多いです。また最近では時間だけでなく質にこだわる傾向が出てきたように感じます。(商品やサービスが充実してきてメディア等で取り上げられることも多いですよね!)
一方、うつ病だった私の睡眠は大変ひどいものでした。疲れるまでひたすら寝れず、眠っても1〜2、3時間というのがほとんどでした。
具体的には夜中の1時から2時くらいまでは横になっても寝付けず、夜中の3時や4時には一回目が覚めてしまうという感じで、その後は寝ているんだかいないんだかのかなり浅い眠りを早朝6時くらいまでしていました。
慢性的な寝不足で、睡眠薬も服用していました。これも中々の曲者で、寝つきをよくする薬や、途中で眠りが途切れないようにする薬など様々試しました。結果的に少し眠れるようになるまでに薬の種類は3、4回替えた気がします。薬の効き目を重視すれば朝起きれずに仕事に支障をきたすし、そもそも飲まないと眠れない。当時は農業をやっていましたが、身体的にも相当きつかったです。頭痛・吐き気・目眩・耳鳴り・腹痛など色々な症状が日中襲ってきました。
また副作用的に味覚に影響を与える薬もありました。
水が苦い!
今では、ちょっとしたネタ話になるかもしれませんが、その薬を飲んだいた時期が、コロナウィルスが未知のウィルスとして世の中に登場した時期と重なって、家族にコロナじゃないかと本気で心配されました。

追記ですが、夜中目が覚めたとき、読者の皆さんなら何をしますか?
トイレをして、水を飲んでまた布団に戻るでしょうか?
うつ病だった私の場合、何かソワソワした不安な気持ちを抑えるため、また満腹で睡眠を促すために、間食をしていました。夕食の残りや、菓子パン、ゼリー、ヨーグルト、アイスなど何でも食べていました。自分ではコントロールできないほどの食欲でした。(服用していた薬の影響もあるかもしれませんが)
今思えば、本当にダメな習慣でした。
ご想像の通り、夜中の間食の破壊力は凄まじく、65kgだった私の体重は2年で95kgになっていました。
30kg増!
中々の増量を果たした私ですが、当時はそのヤバさに自分では気づけていませんでした。(それが一番ヤバい)
そして現在も減量には大変苦労しています。(ー11kgで84kg)
もし似たような境遇にある人は、何とかして眠れる環境を作り、間食をやめないと私みたいになります(泣)

その3 人間関係がうまくいかない(特に家族‥)

自分に自信がない時は、人の目が気になるものです。私もそうでした。自分から「私、うつ病なんです!」なんて言えるわけがないので、私は他人から見れば多分相当不審者だったと思います。身なりも綺麗にする気力もないし、何を着ても覇気がないので萎びて見え、本当に自信がなかったです。
そして、そんな人間が魅力的なわけがなく、当然親しい友人とも疎遠になり、信頼していた人も私から離れていきました。

それだけならまだしも、
家族とは嫌でも顔を合わせないといけません。

夕食の時間なんて私にとっては苦痛そのもので、部屋に食事を運んで食べることが多々ありました。つけているTV番組の音も嫌でしたし、自分のせいで家族の会話がどうしても暗くなったり、無駄に明るく振る舞おうとしている様子が嫌でした。自分がこの空間を居心地の悪いものにしているという確信がありました。

両親は私にそこまで干渉的ではありませんでしたが、それでも私を心配するあまり、私を年齢相応に扱ってくれない場面がたくさんありました。例えば、私が少し元気になって活動的になり始めた頃、ボウリングをして20時を過ぎて家に帰宅したことがありました。母親は何度も私に連絡をいれていましたが、私は無視していました。帰ってくると何処に行っていただの、何で連絡をしないのか、挙句には何時だと思っているかと言われてしまいました。当時25歳だった私は、それだけでひどく惨めになったことを鮮明に覚えています。
私は、この年にもなってまだこの程度のことで親に心配されているのかと。
ほっといてくれ
これが当時の私の率直な思いでした。

父は父で私の病気を理解するのが難しかったと思います。体調の良い時もあるからと、農業の仕事を頼めば私が急に体調が悪くなる。こんなことばかりで、お互いの仕事上の関係は徐々に険悪になっていきます。ある日、ほんの些細なことをきっかけに溜まっていたお互いの感情がぶつかり合い、理解してほしい自分と、理解できない父がぶつかり完全に仲は冷え切ってしまいます。

一番症状がひどい時は、親が一番言われたくないであろう言葉を浴びせてしまったこともあります。
『何で、俺なんかを産んだんだ。こんなに辛いなら生まれてこなければよかった』
これは自分でも言いたくなかった言葉でしたが、本当に勝手に口から出てきてしまいました。
不幸の連鎖は自分以外にも連鎖すると冷静に思えるようになったのはしばらく後のことでした。
当時は本当に自分のことで精一杯。
人間関係を保つほどの体力は残っていなかったです。
今考えても、本当に大事にしたい人たちとの人間関係でさえも、ぐちゃぐちゃにして歪にしてしまう「うつ病」という病気は本当に恐ろしいものだと思います。

その4 お金がない

稼げなければ、もちろんお金はありません。大卒でうつ病になった私は、もちろん自由に使えるお金がありませんでした。最初のうちは物欲がなく、欲しいものは特になかったので良かったですが、ボウリングをするようになってからはお金に困ることが多かったです。プレイ代や用品を揃えるのにも一苦労しました。
必要なもの(服や食事など)は親が揃えてくれました。これは大変ありがたかったのですが、卑屈になっている当時の私はどうしても同世代の人たちと今の自分を比べ、親に甘えてる自分を情けなく思っていました。
自由に使えるお金がない私は、ただの一般人ですから恐怖を覚え、考えが小さくなってしまいました。行動にもそれが現れ、自信のない振る舞いをしていたと思います。何より見えてる世界が暗かった。これからどうやって生きていこう、そんなことばかり考えるのですが、行動に移せず気持ちはただ小さくなっていました。
最終的に、私が続けていたボウリングで今はご飯を食べさせてもらっています。学生の頃、私がボウリング場で働くとは微塵も思っていませんでした。決められたレールの上を、石橋をたたきながら一歩一歩積み重ねて進んできたような学生時代からは想像できない選択だったと思います。でも、今の仕事には何も不満はありません。むしろかなり充実していて、この職場で働けてよかったと思います。
巡り合わせで、今の状況があります。
全てではありませんが、サイコロのでた目で行き先を決めるような人生も案外悪くないかもしれません。

その5 最悪についてすぐに考えてしまう

最悪すなわち「死」についてはよく考えていました。
(死という言葉は強すぎるのでこの文章では『それ』と表現します。)
今、その選択をとれたら自分は楽になるのだろうかとか、残された家族はどんな気持ちになるのだろうとか、体調が悪い時は『それ』に思考が引っ張られている感じがしました。

私の心の形はモノで例えることができると思っています。
大学院生時代、ある教授からの一言で、それまでギリギリを保っていた私の心ののようなものが「ブチっ」と切れた感覚になったのを覚えています。
少しだけうつ症状が回復した時は心に蝋燭の小さな炎が灯ったような感じがしました。これから何とかこの状況から這い上がって見せると思っていた矢先、当時の彼女に振られあっけなくその火は消えてしまいます。
その後の闘病中も心のモノの形は姿を変えて私を支えようとしますがすぐに壊れてしまいました。
その度に『それ』は私を揺さぶり、私をひどく落ち込ませました。
目を瞑っても、今の自分を受け止め切れずに、また過去の心の形を失ったことを思い出して、枕を濡らす日が数え切れないほどありました。

それでも、朝はやってきます。

今の私の心の形はとても太くて硬い金属の棒です。今までよりはだいぶ強靭で頼りになるモノになったと思います。ここまで至るにはかなりの苦労があったのは間違いありません。
どんな人でも最初からつよい心を持っているわけではないのだと思います。何度も壁にぶつかって、自分を否定されても、立ちあがって前に進んだ人たちが強い心を手にしているはずです。
私も発展途上です。今の心の形がいずれ壊される日が来るかもしれません。しかし、それは自分がまた強くなるチャンスでもあると思います。そう考えると、試練も前向きに捉えれそうな気がして、今では少しワクワクします。

最後に

今回のnoteも中々のボリュームになってしまいました。
ここまで、読んでくださった読者の方々には感謝申し上げます。
うつ病の闘病中は当人でしか気づけないこと、当人だから気づかないことだらけだったように感じます。私が苦しい思いをしている間、周りも苦しい思いをしていたに違いありません。でも、私は暗い闇の中をもがく気力もなく、周りの支えてくれた人達にあまり配慮ができていませんでした。
しかし、私はその過程も含めて治療の一環だと考えています。
休むだけ休んだら、暗闇の中でも目が慣れてきます。たとえそこに光がさしていなくとも、人は生きていくために行動し始めます。その時に誰かに手を差し伸べてもらえればかなり心強いのは間違いありません。
抽象的な内容も多く、読みづらい部分も多かったと思いますが、これが私のつらかったことシリーズです。
今度はやってよかったことシリーズを公開予定です。
こちらの執筆にもお時間をいただくと思いますが気長にお待ちいただけたら幸いです。


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