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終着点

いくら自分で努力して頑張ってきたと思っていても、上司などの上役から評価されなければ意味がない。
その組織において、利益になっていなければ、それはただの独りよがりの自己満足に過ぎない。

いくら自分の能力が優れていると思っていても、それを測るのは自分ではなく他人なのだ。人の評価がなければ、例えどれ程の能力を持っていて、発揮していたとしても、ゼロでしかない。

今現在、再就職活動で評価されるのは、全て履歴書次第。以前のように、自分で電話したり、ハローワークで電話してもらい、面接の場で履歴書を手渡しするようなことがなくなったので、先に送る履歴書を見て判断されてしまい、面接すらしてもらえない。
働いても3ヶ月や数年しか続かずに、職場を転々としていても、面接でその理由を伝えて、今の自分自身をアピールすることで採用されていた時代ではなくなってしまった。
いくら送り状に、自分の障害とこれまでの経歴との関連性を記したとしても、A4の紙1枚に収まる文字数では伝えきれない。

毎日毎日、こんな恨み節ばかり書き込んでいることしかできない、こんな人間なんてどの企業も採用したいとは思わないだろう。
自分がどうすれば社会の役に立てるのかが分からない。
どう動けばいいのかが分からない。

ようやく、社協の生活支援の相談の順番が回ってきたと連絡があった。
しかし、本当なら失業給付をもらっているうちに、障害年金と失業給付を無駄遣いしないよう残しておくために、社協に入ってもらいたかったので、失業給付ももう終わってしまう今の段階では、すでに無駄遣いしてしまって管理してもらうような金は全く残っていない。

もうすでにぼくの人生は終わっているのかもしれない。

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