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第二外国語への挑戦|中国語編│ 赴任した国が英語圏でない場合、その言語を真剣に勉強するかは、とても大事な判断だ

いうまでもないことだが、海外で仕事をしたり、生活をしたりするのに、外国語は相当重要だ。

英語圏に赴任した場合は、なにも迷うことはない。
英語のレベルが低かろうが、高かろうが、英語を勉強するのみである。

英語はとても学びがいがのある外国語である。
世界の共通言語であり、映画、音楽、ニュース、世界クラスのスポーツ等、日本にいても英語を活用して最新の情報に触れたり、ワールドクラスのエンターテインメントを楽しめたりと、とても役に立つ。

特にインターネット環境により、英語コンテンツがリアルタイム、ダイレクトに供給される機会が飛躍的に増えた現代では、極東にいる日本人といえども、英語を使えることは、人生を豊かにすることに大いに役立つと思う。

同じYoutubeを見るにしても、日本語のものだけを見るのと、英語のものを自由にみれるのとでは、その情報量には雲泥の差がでる。

しかし、赴任する国が非英語圏であった場合、どこまでその国の言葉を勉強するか、どれだけ時間をかけるかは、とても大事かつ難しい判断である。

私の場合は、英語以外に中国語とベトナム語を学ぶのに相当時間を使った。
入社3年目で香港赴任、中国セールス担当になり、毎日のように中国に入り、中国企業に電子部品を販売するのが仕事であったため、ほぼ毎日中国語を使う環境であった。
当時の中国企業には英語を話せる人は皆無で、商談は全て中国語であり、
商談の場には、毎回、英語/中国語ができる代理店の人間が通訳として同行するというパターンであった。

赴任して英語を話す香港セールス担当の予定が、急遽中国セールスになったために、当初中国語の準備は全くしておらず、当然、まったく話せなかった。

これでは仕事にならない(前述したように、代理店の人が通訳で同行してくれたが)、ということで、毎晩、帰宅してから最低でも1時間は中国語のテキストを読む。寝るときには、中国語のラジオ放送を枕元で流すこととした。
(夜は宴会のある日も多かったが、酔っ払って帰宅しても、頭を揺らしながらでも、必ず1時間は中国を勉強した。)
更には、会社もサポートしてくれて、週に2回ほどは業務後に中国語クラスを用意してくれたりした。

で、1年くらい頑張て勉強をして、どうなったか。
相変わらず、中国語の商談には全く入っていくことは出来なかった。
レストランで料理を注文するとか、Taxi運転手に行先を伝えたりということはできたが、残念ながら商談には全く歯が立たなかった。
わずかに、価格や購買数などの数字はわかるのだが、お客がその数字に満足しているのか、不満を述べているのかが分からないため、結局は役に立たなかった。

ちょうどその頃、本社の営業部長が香港出張にきて、何か困っていることないかと聞いてくれたので、深圳大学で中国語を勉強したいとお願いした。
それは、もっともだということで、本社営業部長、香港販売会社社長の二人がサポートしてくれたが、そこはJTC企業、現場推薦での社員の語学学習は前例がないから、みとめられないとの人事からの回答。

で、どうなかったというと、本社部長と販社社長の采配で、午前中は深圳大学の語学クラスで勉強、午後は深圳市内にある代理店事務所で勤務することとなった。
本社人事にばっくれて、長期出張扱いとして3ヶ月間、午前中だけだが、深圳大学の語学コースに通えることになった。

深圳大学は国境からかなり奥にあるため、香港の自宅から毎日通うには、距離的に無理があるため、最初は深圳大学の寮に入ろうとした。
料金は数百円/月くらいで安かったが、いかんせん、寮ではお湯がでなかった。季節はちょうど冬に向かており、とてもここでは暮らせないということで、大学の傍に会社のお金で安いアパートを借りた。

中国人学生は全く問題なく水シャワー寮で生活しているとのことだったので、1対1の人間として勝負した場合、生命力においては中国人にはかなわないと感じたのであった。

余談だが、このアパート、よく断水した。
朝起きて、小便をして水を流した時に、次の補給の水が流れない時に、断水だと気づく。
で、学校に行く前に、大きいほうをするので、その場合は、アパートの中庭にある池にバケツを持って水汲みにいったものである。

4ヶ月、大学の語学学校で一生懸命勉強した。
無事に優秀学生賞をもらった。
で、お客との商談に行くと、なんと、言っていることの半分くらいは分かるようになっていた。
そして、それから更に4年間、中国営業をするうちに、私の中国語はビジネスにおいてはネイティブに近いものになった。

初めて代理店の通訳者なしで、トレーダーと深圳の夜に会食をした時のことはよく覚えている。
会食の最初から最後まで、トレーダーの人と全て自分の中国語で会話した。
多少通じないところや、誤解しているところもあったかもしれないが、2時間あまり自分の力のみで会話した。
あの会食の後に、お月さんに向かってガッツポーズをした時の喜びは、人生のprecious momentの1つである。

中国で直接、お客や自社社員、代理店社員と会話ができるよことにより、自分の中国ビジネスへのグリップ力は飛躍的に高まり、地にしっかりと足がつくようになった。

*ちなみに、私を深圳大学に語学留学させてくれて、当時の上司二人には深く感謝している。
香港を離れて8年後、中国語のおかげで私は台湾子会社社長になるのだが、爾来、この二人には、15年に渡りお歳暮を贈っている。(二人ともとうに現役は引退されているが)


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