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どこでも行きますと言っていたら、入社3年で香港赴任に。海外赴任の待遇はとてもよかった

入社3年目でめでたく、香港赴任を射止めた。
大学時代にNew York(正確にはとなりの州のNew Jersey)に語学留学をしたり、それに味をしめて、1年間日本の大学を休学してテネシー大学の経済学部に編入したり。
更には、休学後、日本の大学を卒業する前の4ヶ月ほど、バンコク、インドからヨーロッパまでほぼ陸路で横断したり。(これは当時、沢木耕太郎の「深夜特急」という本に刺激を受けたため)
当時としては、かなり海外にかぶれた学生だった。
学生同期の友達から1年遅れての就職活動の時、特に行きたい業界や会社はなく、海外に赴任させてくれる会社がよいということで、JTC大手電機メーカーに入ったのであった。

就職後、東京勤務となり、会社から徒歩10分程度のところにある、寮に入った。
5帖程度の狭い部屋で、共同のトイレ、お風呂。電話も入寮当時は部屋に引くことが許されず、寮管理人さんの部屋の前にある公衆電話を寮生全員で使うという環境であった。
でも、地方から上京してきた20歳そこそこの当時の自分からしたら、環境に特に不満はなかった。

入社してから部長に早く海外い行かせて下さい、どこでも行きます、と機会がある事にアピールしていたら、3年目にめだたく香港赴任となった。
赴任したい国とか地域をいちいち言わなかったのがよかったと思う。
大抵の人は、インドは嫌だ、中国は嫌だとか、赴任地を選り好みするコメントをしたりするが、私の場合は、とにかく海外に出たかったので、どこでもよいと無条件だったのが功を奏したのだと思う。

香港に赴任して驚いたのは、その待遇の良さである。
5帖一間の会社の寮で暮らしていたのが、赴任すると、高層マンションの18Fに部屋を借りた。
2LDKで、家賃は当時で40万円/月ほどしたと思う。
ちなみに、東京の寮はひと月3,090円/月だった。
そして、車(三菱ランサー)付き。
マンションには、24時間守衛がおり、プール付き。
マンションは香港の閑静な山の手に位置しており、マンション専用のシャトルバスが麓の地下鉄の駅まで定期的に運行していた。
日本では、入社3年目のペーペー社員であったが、何か急に自分が偉くなったように感じた。
そして、給料も海外勤務手当、物価調整等が上乗せされて、2倍近くになった感じであった。

この時に、サラリーマンをするのなら、海外赴任勤務が断然よいと思うようになった。

実際、香港・中国に6年赴任した後に日本に帰任した時に、日本給料が香港給料から3-4割も減っていて愕然としたものである。
あまりの減額に、これは何かの間違いに違いないと、たばこ部屋で渋い顔をしていたら、数か月前に帰任していた先輩が、給与通知書を睨んでいるのを認め、その金額であってるよ、俺も最初、何かの間違いだと思った、と言った。
それくらい、海外駐在の給料と日本の給料には違いがあった。


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