Jay:28年間海外勤務をした人

米国の大学に留学。インドから欧州まで陸路で貧乏旅行。海外に強いJTCに就職。香港、中国…

Jay:28年間海外勤務をした人

米国の大学に留学。インドから欧州まで陸路で貧乏旅行。海外に強いJTCに就職。香港、中国、台湾、ベトナム、オーストラリアと28年海外勤務。3ヵ国で海外子会社 社長。今は、日本で自遊人。 世界は楽し!

最近の記事

海外に比べて日本人の給料が上がらないのは、なぜ?

ネットで少しググると、過去20年くらいの主要国の給料増加の推移資料が簡単にみつかる。 こうした統計数値は統計のマジックや、為替の影響なども受けるので、給与推移の各国比較を緻密にみても意味がなかったりすることもあるが、それにしても、この図からは、日本だけ給料が上がっていないことがハッキリとみてとれる。 ちょうど、日本の給料が上がらないというこの期間1(1990年代から)、私は、香港、中国、台湾、ベトナム、オーストラリアで働いていた。 国際会議などで、各国の子会社の経費議論(

    • 個人レベルの仕事品質が高いのに、欧米企業に勝てないのは、なぜか?

      海外で生活をしてみると、日本の方が圧倒的に便利、できが良いということがよくあると思う。 例えば、コンビニ 海外でもコンビニはあるが、その商品内容、サービス内容において、日本は圧勝である。 私がいたオーストラリアだと、コンビニの棚には、同じ商品がだーっと並べられていたりする。ポテトチップスの同じブランドの袋がずらーっと並び、そして、隣の棚にはコカ・コーラがずらり。 数えたことはないが、同じ面積のコンビニで、日本とオーストラリアだと、おそらく100倍くらい商品数が違うのではない

      • 中国でどぶ板営業をして、人生は定規で線を引くようには進まないと、体得した話し。

        大手JTC電機メーカーに就職してまだ、3年しかたっていない頃、私は中国でとぶ板セールスをしていた。 オーディオのメディアとしてのカセットテープがすごい勢いでCDに代わっていく時代、私は、CDプレーヤーに使うレーザー部品や半導体を中国の工場に販売する仕事をしていた。 当時は、中国市場で外国企業が販売活動をするのが許されたばかりの時代で、本社からみても、中国にどれだけのポテンシャルがあるのかよく分からず、香港販売子会社に赴任した私が、とりあえず、1人中国担当となった。 中国

        • 第三外国語への挑戦 |ベトナム語編|ベトナム語はきつかった、涙目で勉強した

          私がベトナムに赴任したのは40台半ばの頃。 ベトナム子会社の社長というポジションでの赴任だった。 ベトナム語はそれまで全く触れたことがなかった。 (ホーチミンとサイゴンが同じ街の名前だとも知らなかった。。。) 既に自分のキャリアの中で、英語と中国語がビジネス用途ではネイティブレベルになっていたので、ベトナム語への挑戦は第三外国語としてであった。 海外営業のプロとして、現地のお客様と簡単な挨拶会話はできた方がよいし、また駐在員として、レストランや買い物で使う簡単な日常会話の

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          第二外国語への挑戦|中国語編│ 赴任した国が英語圏でない場合、その言語を真剣に勉強するかは、とても大事な判断だ

          いうまでもないことだが、海外で仕事をしたり、生活をしたりするのに、外国語は相当重要だ。 英語圏に赴任した場合は、なにも迷うことはない。 英語のレベルが低かろうが、高かろうが、英語を勉強するのみである。 英語はとても学びがいがのある外国語である。 世界の共通言語であり、映画、音楽、ニュース、世界クラスのスポーツ等、日本にいても英語を活用して最新の情報に触れたり、ワールドクラスのエンターテインメントを楽しめたりと、とても役に立つ。 特にインターネット環境により、英語コンテン

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          新しい国に赴任すると、この国の人たち、少し頭がおかしいのでは?と感じるが、1年くらいすると、変なのは自分の方だったとなる話し

          私は、今までに、アメリカ、香港、中国、台湾、ベトナム、オーストラリアと6ヵ国に、のべ29年間住んだことがあるが、だいたい新し国に住み始めると、この国の人は頭少しおかしいのではないか?と感じることが出てくる。 そして、1年くらいたって、その国に馴染みだすと、頭がおかしかったのはその国の人でなく、自分の方だったということに気づくこになる。 もう何度もそういう経験をしている。 世間は広く、自分が見えているものはその全てでないということが重々分かっているつもりでも、デジヤブーのよう

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          国境を越えて通勤したものだ

           香港赴任になったと思ったら、突然中国担当になり、香港の自宅からほぼ毎日、香港の隣町の中国、深圳にかようことになった。 向かう先は、深圳にある香港系の部品の代理店のオフィス。香港の事務所にも机は置いてもらったが、月曜日の朝のミーティングに出る以外は、香港事務所に用事はなかった。 朝、6時過ぎに香港島の自宅を車で出発し、地下トンネルをくぐって九龍サイドに渡り、ハイウエイを飛ばして中国ボーダー近くの上水という街に入る。(ランサーに乗って、朝焼けの中このハイウェイを飛ばしている

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          どこでも行きますと言っていたら、入社3年で香港赴任に。海外赴任の待遇はとてもよかった

          入社3年目でめでたく、香港赴任を射止めた。 大学時代にNew York(正確にはとなりの州のNew Jersey)に語学留学をしたり、それに味をしめて、1年間日本の大学を休学してテネシー大学の経済学部に編入したり。 更には、休学後、日本の大学を卒業する前の4ヶ月ほど、バンコク、インドからヨーロッパまでほぼ陸路で横断したり。(これは当時、沢木耕太郎の「深夜特急」という本に刺激を受けたため) 当時としては、かなり海外にかぶれた学生だった。 学生同期の友達から1年遅れての就職活動の

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          28年間におよぶ海外駐在のはじまり

          山崎豊子さんの書いたベストセラー小説「沈まぬ太陽」では、主人公が左遷人事で長期海外勤務で苦労するという話しがある。 約8年間、パキスタン、イラン、ナイロビと俗にいう、エマージング系の生活が厳し国でたらいまわしにされるというものである。 私の場合は、左遷でたらい回しにさせられわけではない(と自分では思っている)が、同じJTC (Japanese traditional company)会社勤務で通算28年間の海外勤務をすることになった。 私は海外勤務がとても楽しかったの

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